![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148518280/rectangle_large_type_2_70f93056ea993399504bbbe2b782ec0e.png?width=1200)
親友よりも長老
夏休み・・・なかなか大変です。
すでに1週目で疲弊気味。
暑さもあり、エアコンの温度調整も難しくて、
夜中に目覚め、頭がグルグル、眠れない・・・
今ここにないところにあちこち心がお出かけして、
思考に飲み込まれていたことにハッと気づき、今に戻る
いつもだったら、夜中に目覚めてすぐに眠れなさそうな時には、
「じっくり瞑想できる!やったー!」となって座れるのに、
何しろ体が疲れていて、体を起こして座る気力がわかない。
夏休み恐ろしや。
そのうち、頭のグルグルは、ただの考えではなく
自分を責めていることに気づく。
良い母親ではない自分
不機嫌でコントロールしようとしてしまう自分
夫へのイライラが抑えられない自分
ありのままを受容できない自分
そして、本日、自分の不注意で大失敗、
周りに迷惑をかけてしまった恥ずかしい自分・・・
(あちゃー)
もう全てが嫌になって、
自分でいるのが辛くなり、
はぁーーーとため息。
理想とは違う自分
いや、理想とは程遠い自分にがっかり
そんな自分を責めてしまう自分にもがっかり、悲しい。
私、相当疲れてるんだな、と気づく。
こういう時に、必要なのは、
ありのままの自分を観察するのではなくて、
あーだこーだ言ってくる頭の中の余計な声を断ち切ることなのでは?
やるべきなのは、集中瞑想?
それとも、そんな自分に優しい声をかける
セルフコンパッション?
ことりさん、私は今何をしたら良いのでしょう?
おーしーえーてーーー(夜中の叫び)
とりあえず、もう眠れないし、
一旦、ジャーナリングしよ。
というわけで、仕方なく起きてきて書いてみたら、なるほど合点。
辛い理由がわかった。
単なる夏休みの疲れや辛さではなかった。
もっと根本的に
『理想と現実に途方に暮れている自分』がいた。
今まで、現実の自分をあまりはっきり見ずに、
ただ、理想の自分を目指して前へ前へと進んで生きてきたけど、
最近は、自分の現在地が良く見えるようになった。
(よく見える眼鏡かけちゃった)
マインドフルネスを始めて、辛い原因はこれなんだよな。
理想と現実がかけ離れていることに気づいてしまった。
理想に向かって自分を叱咤激励して
進み続けるのって辛くない?と気づいてしまった。
結果に執着して、良い結果が出た一瞬しか安心できないような生き方では
どうもよろしくないことに気づいてしまった。
別にすごーく生き辛さを感じているわけではないんだけど、
なんか、マイルドに生き辛い。
こんな状態がずっと続いていて、
マインドフルネスだけじゃ足りない部分を補ってくれるはずの
第二の秘密道具!『セルフコンパッション(心の救急箱)』
をやっと手に入れたんだけど、
まだ、試運転という感じで、なかなかうまく使いこなせていない。
セルフコンパッション
=大切な親友にそうするように、自分にも優しさを向ける。
自分の中にいる心の親友が、あれこれと優しい言葉をかけてくれる
それを「うんうん、ありがとう」と受け取れる時もあるけど、
私の場合、理想を追い求める完璧主義の自分と、
ありのままの自分で大丈夫だよ、という
セルフコンパッションがどうも闘ってしまうときもある。
自分を叱咤激励して、理想に近づけようと頑張る前向きな自分
でも、理想が遠すぎて途方に暮れている自分
そんな変われない自分を「そんなんじゃダメ!」と責める自分
そこに、
「そんなことないよ、十分がんばってるよ」
「ありのままのあなたも、十分ステキだよ」
と慰める自分が割り込んでみるものの・・・
アンタ、ちょっと邪魔だからあっち行ってなさい!
と、ポイっとつまみ出されてしまう感じ。
長年、自分の中に居座ってきた自分の声、強っ!!
私の心の親友ちゃん、まだ新人だからなぁ・・・
ありのままの自分に安心できない。
以前、私のセルフコンパッションの師匠に、
自分の中で、完璧主義とセルフコンパッションが闘ってしまう
ということを相談したら、
こんなアドバイスをくれました
「自分の中で議論が起きない声をかけましょう」
なるほど、そうだった!
自分の中の声が闘っているということは、
きっとかける言葉が違ってるんだ。
うーーん、なんだろう・・・。
「辛いねぇ」
「いつも闘っているのは疲れるよねぇ」
「人間だもの、そういう時もあるよね」
「いろんな気持ちがあって、いいんじゃない?」
「ついがんばりすぎちゃうし、無理しちゃうよね」
どんな言葉を考えてみても、
うちの新人ちゃん、
長年、自分の中で強化選手として選ばれ続けてきた完璧主義をおさめられない。
そんな時、突如現れたのは・・・
あーだこーだ 好き放題言ってくる自分の頭の中の声を
「そうか、そうか。」と
ただただ聞いてくれる長老。
ほうほう、と両者の意見をただ聞いて、
決着をつけようとしない
どちらが正しいとか、どちらが良いとか判断しない
全部をただただ聞いて、
助言も何もせずに
「フォッフォッフォッ・・・」と微笑んでいる長老。
事の成り行きを、ただ優しく見守っている。
長老ーーーっ!!!
そうか!
私に必要だったのは、優しい言葉かけではなく、
ただ『聞いてもらう』ことだったんだ。
3月のmeet up での体験に始まり、
オープンダイアログとか、アティテューディナル・ヒーリングとか、
『聴く』ということを
ちょうどいろいろ学んでいる最中の私。
聴いてもらうこと
聴くこと、とても大事。
今、どんなに苦しくてもがいていても、
「フォッフォッフォッ・・・(それも君の人生の一部じゃよ)」
と微笑んで、
何もコントロールしようとせずに
ただ聴いて、優しく見守っていてくれる長老。
セルフコンパッションと言えば、親友のイメージだけど、
まさか、私の場合は長老だったとは。
そうだった。
私はもともと言葉で考えていない
イメージで考えるタイプの人間なのだから、
セルフコンパッションも言葉ではなく
イメージが大事なんだと思う。
真っ白い髪の毛とおヒゲと眉毛でモサモサしている
丸いフォルムの小さなかわいいおじいさん。
というわけで、親友にとって代わって現れた長老。
私の中のセルフコンパッション役として
これから活躍するのか??
乞うご期待!!