「くもをさがす」
カナダで乳がんと診断された西加奈子さんのノンフィクション。
こちらは正統派の闘病記。
ただ、たどり着いたところは「猫だましい」とおなじ、
「自分の体のボスは自分」だ。
がんを告知される前から漢方に頼っていた彼女は、抗がん剤の妨げになる場合があるから漢方は止めて欲しいと言われてショックを受ける。
漢方は精神的な拠り所ともなっていたので、
「今は本当に漢方に助けられてるから止めたくない」と伝えると
あっさり「オーケー」と言われる。
日本ではまず考えられないと思う。
楯突いてどうにかOKをもらうか、こっそり隠れて漢方を続けるか、どちらかだろう。
あっさりOKを出したのは「インターン」とあるけれど、日本だと
インターンの立場でいいとかダメとか、その場で返事できるのか?
主治医という立場のひとはいないの?
そもそも「患者の体のボスは患者」だから、医者はそのサポートをするだけで「主治医」という概念がないのか?
この辺、読み飛ばした感があって、カナダの医療体制がよくわかっていないのだけど、医療従事者にも確固たる「個人主義」が確立されてるんだろうな。
秀逸なのは、看護師さんたちの関西弁。
これがなんだか、包容力があって、相手との距離が近い。
ぽんと突き放したようなことを言っても、冷たく聞こえない。
そんな感じが、看護師さんたちの話し言葉にぴったりで
西さんと看護師さんとのいい感じの距離感がよく伝わってくる。
私の経験から言うと、関西弁はうつる。
関西出身の友人と長く一緒にいると、自分もイントネーションが関西弁風になる。
知人のおじさんは、関西人とふたりで三年間エジプトに派遣され、
帰国したらすっかり関西弁の人になっていたそうな。
大阪の言葉は感染力が強いのはなんでだろう?
九州の人や東北の人と長く一緒にいたからといって、熊本弁や秋田弁を喋るようになる人は少ないんじゃないか。東北弁なんかは真似るにはハードルが高すぎるせいもあるけれど。
相手との距離を詰めるのにもってこいの言葉なんだろうか。
そして「人は辛い時に笑う」ということ。
両乳房切除手術の時に、先に飲んでおくべき薬を看護師さんが飲ませ忘れたことが発覚する。
なのに、なんとかなるやろと麻酔室に運ばれてしまい、あげくギリギリになって「もう間違えへんで〜」とでっかい錠剤3錠をおちょこ一杯の水で飲ませようとする。
「飲めるかーい」「ほんで遅いわい」と西さんは関西弁でつっこんで
げらげら笑う。
ひとは、怖かったり痛かったり辛かったりすると、笑うよね。と思う。
笑ってごまかしているだけかもしれないけど、正面からぶつかったら玉砕しちゃうこともある。
つらいことを「笑い」に持っていくことは、
生きて行く上で結構大切なスキルみたいな気がする。
笑って、とりあえずその状況から逃げる。
一旦逃げてから考えればなんとかなる、あるいは、逃げてるうちに状況が変わることもあるしね。
関西弁は突っ込んだりボケたりしやすくて、物事を「笑い」に持って行きやすい言葉なのかもしれない。