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自分史 部活の思い出

募集中のお題企画「#部活の思い出」を見かけたので、部活の思い出について書きましょう…   ……ん?無いな。それで終わると何も書けないので少し振り返る。そして恐らくほとんど誰にも話した事がない話題な気がする。

高校時代は部活ができないクラスに所属していた。

私の高校時代は男子校な上に部活できないとか…そんなわけで部活の思い出はない、進学クラスとかいうやつだった。言ってみれば勉強が部活動だったのか?いずれにしても部活では無いな。

小学生時代、幾つかのスポーツをやらされた。

小学生時代、幾つかのスポーツをやらされたと思っている。決して自分から望んでやったわけでは無い。ソフトボール、剣道、水泳、それくらいかな。
どれも中途半端に習い始めの頃に辞めている。水泳は行ったフリしてみんなと遊び、帰りに公園で海パン濡らして帰った。ダメなことはよく覚えている。罪悪感なのだろうか。

大学時代はサークルにも入らず、友人と過ごす毎日。

大学時代はサークルにも入らず、友人と過ごすかバイトしたりバイトしたり結構バイトしてたな。思い返すと。一番続けたのは大学の図書館の受付(4年間やったのか?)。これはなぜ始めたのだろうか… でもまあこれで年上の彼女(司書さん)ができたので良かったのだと思う。基本的に年上が好きだった。

あと楽しかったのは夏休みを丸々使ってホテルに住み込みのバイトをしたことかな。仕事は清掃や配膳をしたと思うけど、なんで楽しかったのだろう… 細かいことは覚えていない。はじめて錦帯橋をみたのもこの時で、その後見ていないな。いつか行こう。

唯一の部活は中学時代のバレーボール🏐

部活らしい部活の思い出がない中で、唯一しっかりやったのは中学時代のバレーボールか。3年間やった。夏休みも冬休みもやってたし、吐くまでトレーニングした記憶とかうっすらある。

背もそれなりに高い方だったので何度か試合にも出ていた。だけどいい思い出は全くない。最後がとても思い出したくないくらい惨めだったから。

3年の中総体の予選だったんだろうけど、そこでコートに立った私はトスをもらってアタックを決めるはずだった。が、盛大に空振りした。

最後の最後のチャンスだったと記憶している。なぜならそこで試合は終わり負けたのだから。

失敗して惨めな思いになった記憶だけが鮮明に残っている。気持ち悪いくらい。

惨めで失敗したく無くなった

その後、チームメイトに何を言われたのか、コーチから何か声を掛けられたのか、全く覚えていないのだけど、人前で何かをする時に失敗を怖がるようになったきっかけだったのではないかと考えている。

人の目を気にする性格に、失敗が怖い事、恥ずかしい事だとプラスされたのはこの時なのだろう。

バレーボールに限らずスポーツは競技として勝つこと、結果を出すことが求められる。そこには他者からの期待に応えるということも含まれているのだろう。私はトスをくれたセッターの期待を裏切っていると感じたのだ。

周りのチームメイトの思い、応援してくれていた人たちの思い、そんなものも裏切ったと感じているのだ。

また、当然のように自分も含まれていて、自分の期待も裏切ったと感じている。

他者の期待は他者のもののはずなのに、自分のものとして取り込み、唯一の正解としてしまうから、そんな風に考えるのだろう。だからバレーボールをやってたよとあまり言わないのかも知れない。

今ならどうすれば良いかわかるのに

それでも何度も何度も失敗し続けた結果なのだと思うが、失敗することをそれほど恐れたりしなくなった。とても時間がかかったけど。これはショック療法だったのだろうか。

いまではそんな方法では無く、失敗を恐れない方法を知っている。もっと早く気がつけば人生の何かが変わったのだろうか。いまだから気がつけたのだろうか、それはわからない。

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