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アーティストな自分について考える感想文

アートについて改めて考えてみたい。それにせっかく読書感想文というお題も出ているので、これまでに考えた感想を書いてみようと思う。

最初に読んだ時のはこちら。

改めて、自分が何を見ているのか?感じているのか?読むたびにそんなことを考えさせてくれる本書。とても理解できているとは言えないけれど、感覚的にわかったきたことは自分のものの見方で世界を捉え、探求することが続けられる人が真理を読み解けるのだと言う事。

アートとは真理を読み解き、さらに表現することと思うようになった。

真理とは普遍的な価値、誰が見ても直感的に良いものだと感じられるもの。

そして真理を読み解き表現するとは、誰が見ても直感的に良いものだと気付き、そしてそれを他の人が感じられるように形にすること。

さらに形にできるのは才能があると言われている人達。

それは、真理を読み解き表現するために何をするかを知っている人、それは体の動かし方、声の出し方、頭の使い方、様々な分野で才能があるとは、そんな事を自然とできる人。できる・できないでは無くやれるのだという人達だと思う。

才能がない人は簡単にはその領域には届かないのだ。残念だが。

それでも表現する方法は別にきっとあるのだと言える。歌の才能がなくても、楽器の演奏に才能があるのかも知れない。絵画の才能がなくても陶芸に才能があるのかも知れない。美術ではなくても、ビジネスに才能があるのかも知れない。さらには才能ある人の最大の理解者となり得る存在ではないかと思う。

自分には表現できないけど、それを見て良いと言える。

本書で語られる、正解や常識にとらわれずという点は、正にそのような、ない物に固執する自分、自分にはこれしかできないとの固定観念に囚われ、他の事が見えなくなっている状態の時にこそ、意識し考える必要があると感じている。

そう考えると、自分なりのものの見方から探求をし続けることはとても価値があり、探求の根を伸ばした先に表現の花を咲かせられるのだとしたら、葉を茂らせ蕾を膨らませる過程があるはず。

誰もが自分なりのものの見方を手にれる事が可能な時代。手に入れた自分なりのものの見方から出てきた表現の花を自分のものとしていれば良いのですが、これはイイモノだからと他の人に押し付ける事のない様にしたい。

イイモノは押し付けなくても、真理が表現されているので自然と人を惹きつけイイモノと認識されていくのだから、それこそアートなのだから。

アート思考を読んで、自分自身がアーティストのように考えたいと思い悩んで、未だどこにも辿り着けてないのだが、自分のやることが他の人にイイモノとして映る様な何かを残したいと思っている。それは絵画や音楽などではなく自分の仕事を通してとかそんな感じ。なぜならそっちの才能がありそうだから。

そんなわけで改めて、まずは自分なりのものの見方からだな。

また読んでみよう。

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田邊紀彦
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