生活はかかっていないが、人生をかけている(日経MJを読んで想うこと)
個人で言えば自己実現とか、組織で言えばパーパス(存在意義)ってことなのかな。人は誰しも「なぜ毎日、この仕事やってるんだろう?」の答えを求めている訳だけど、きっと、どんな単純作業も、社会の役に立っているんだよね。
そこに「人生をかけている」って言えるものができたら、幸せだろうなって思います。今日はそんなお話。
農家とシェフつなぐ集配便(2023/09/18日経MJ)
この記事自体は、国分寺市の取り組みで、同市の食と農を「こくべじ」と呼んで、ブランディングを図ってるんだよってこと。そこにはやっぱり苦労があって、いまようやく「訪ねる農家は15~30軒で、配達先の飲食店は40~50軒ある」と輪が広がってきてるよってこと。「地産地消をかけ声だけで終わらせない」、そんな熱意が伝わってくる内容です。
ちなみに、こくべじのサイトはこれね(↓)。
いま、求められるバウンダリースパナーって?
で、こんな風に記事は続くんです。「台風が以前来たときは、ヤマモモを買ってくれそうな先に直接声をかけて回った。ヤマモモが落ちてしまう前にまとめて収穫し(以下省略)」。
こういう、人と人、何かと何かをつなぐ役割の人、そこからイノベーションを起こす人。わざわざカタカナを使って「バウンダリースパナー(越境担当者)」って言うんですが、まさにそれだなって思います。
バウンダリースパナーについては、グロービスさんの解説が分かりやすいですよ。グロービスって敷居の高いイメージがあるんですけど(偏見か)、「こっそり借用」とか「人たらし」とか、私にもわかりやすいように解説してくださってます。これな(↓)
生活はかかっていないが、人生をかけている。
記事に出てくる奥田さんも、きっとそういう人なんだろうなあって、想像しながら読みました。バウンダリースパナーってきっと、エネルギーのある人にしかできないよね。人と接するって、すり減るし、疲れるもの。
「この活動にエネルギーを注いでいる。生活はかかっていないが、人生はかけている」。最後のコメントがシビれる。
人の命は有限なんだから、自分もこう言える仕事に、残りの仕事人生を捧げたいな。そう想いながらスマホを閉じました。おしまい。