クラスはセッション
かつて、カリスマ性高めで強い影響力のあるヨガの先生との2ヶ月間の期間限定稽古がありまして。
そのお別れ会の時に先生からの挨拶で、君たちを指導している間、自分も君たちに自然とサレンダーしていたよ『surrender each other』だったんだよ。それは君たちから引き出されたことでとても感謝していると言われ、そのことが衝撃的で情緒がバグってボロボロ泣いた記憶があります。
それと同時に、そう言われてみればあれもこれも先生の方もサレンダーしていなかったら起きてないことだったよなと思い出されて深く納得もしたけど。
『surrender each other』
ヨガの指導はいつだって一方的ではない。
練習してると丸出しになっちゃうから、生徒さんはいつだって丸出しなわけで、
指導する側もその場所や生徒さんたちに対して、コントロールせずにただ在るという状態でいられるのが、まあ理想。
それができると生徒さんをこうしてやろう、こんなふうにしてあげようという強めのエゴが出てこなくて済んで、いい感じのヨガの時間になるんだよね。
それは自分の師匠であるケンさんからも受け取っていたことだけど
ケンさんは強い言葉を使わないし意図的に誘導したりもしないから、
あらためてサレンダーイーチアザーって明確に言われてはじめて、そういうことなんだなって認識できたなー。
「先に練習を始めたみんなが練習で気がついたことを、後から練習を始めた人に教えてあげたらいいよね」
ケンさんからヨガを教えるってこんなことだよ、と言葉で言われたことの一つだけど、本当にそう思う。
場を作って、いつでもそこで待ってて、生徒さんが来たら静かに観察して、
自分もまたヨガの状態でいれば、そこで生まれるものがある。
昨日のクラスではまさにその「生まれるもの」があり、いろんな偶然が重なってたまたまやってきた生徒さんからの質問で、話は思いもかけない方向へ行き「ヨガって。。。」と二人して涙したという時間になりました。
本当にクラスは生き物で、ありものを教えるものじゃないんだよね。
まあありものを教えるんだけどさ、それだけなら動画コンテンツにおまかせだよ。
一期一会で、有難いものです。