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筋肉と脂肪で感じるトラウマ反応と自己救済、ミロク感覚。そして体の何を、どこまで学ぶか。

筋トレに感染して写真とか載せてたので、
「なんか変わりましたねー」とお声がけいただくことが増えた。

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今日はちょっとだけ真面目な話をしてみる。
そして、体の何をどこまで学ぶか、というテーマも後半に少々。

筋トレでやってるのは、トラウマ解放と身体構造。

筋トレやってて、一番実感としてあるのは、「ここにトラウマ反応がある/あった」という、筋骨格とバイタルサイン(生命感覚)からの反応。あとはPNF的な、神経促通の心地よい感覚。

むしろ今は、体のストレスやトラウマ解放が強いので、
食事も睡眠もめちゃくちゃ甘やかしていて、
ちっともトレーニング感がない。
「がんばったぜ」「変わったぜ」という実感はあまりないのよね。

しいて言えば、ジャンプ力がついたかな、ってことくらい。
基礎代謝は50kcal上がった。でもこれは実感というより計測。

今は、体を構造的に見ることがボディーワークの主流なのか、身体構造の統合(ストラクチュラル・インテグリティ)や、骨格の力学と神経学的な関係性とか、かっこいいなーって思うんだけどね。

ウエイトを使ったトレーニングは、重力と筋骨格系との関係性が強調されるから、構造にかかるストレスとその改善、筋力アップが最大テーマ。

でも同時に、筋骨格をとりまく筋膜、腱、作用する関節には、感情や毒素、外因性・内因性のトラウマが深く関わっている。

わたしには、
「自律神経系的な要素が先」
とか、
「いやトラウマ解放が先」
とか、
「それより構造でしょ」
とか、

そういうベースになるものがなく。

「相手」の状態が立ち現れるまでは、
Know Nothing Stateで、何も考えてないことが多い。
相手は、自分も含めて、観察対象となる相手ってこと。

正しい何か、広めたい何か、も持っていない。
人と関わりたくて、コミュニティを運営しているだけ。

筋肉と脂肪のよい塩梅を探して

筋肉は、男性にも女性にも備わっていて、一般的に男性の方が筋力はあり、女性であっても男性性に属する分野。

筋肉系のトラウマ反応は、多岐にわたっている。

わたしは支えることができない、支えられていない。
わたしは守ることができない、守られていない。
わたしは自分を統合できない。
動きのネットワークを連動させられない。
わたしは弱い。わたしは強さに屈した。

骨格も含めると、信念システムの核のようなものも感じられる。

おそらくわたしは、もっとも助けが必要な時に、誰からも守ってもらえなかった、という体験をして、その絶望感から自分を救済すること、救済をより抽象化して「ミロク感覚」を持つことが一連の魂のテーマだったように思っている。

こういう筋骨格の意識を観察しながら、60kgを10回、5セットとか数えながら、淡々とやっている。

トラウマ反応の反対もあって、筋肉にいい血液が送られている状態や、神経系がつながったときは、とても嬉しい。

筋肉を分離させる動きをしたあとは、必ずジャンプやスピード系を入れて、連動や統合の動きをする。

構造と機能、
生理状態とエネルギーシステム、
感情、トラウマ、信念システム、
分離と統合。

つまり、筋トレは、施術としても、ものすごく総合的で良質じゃん!?
だから気に入っている。

エゴ的には、早くここから抜けて、かっちょいいボディメイクに向かいたいのだけど、魂の意図は、こういう体験をやりたいんだろうなと感じる。

筋膜や筋肉がトラウマ反応を起こしたままだと、トレーニングしても、脂肪は減らない。
いやむしろ、トレーニングが直接的に脂肪を絞ることはない。
仕組みと順番がある。

減らないどころか、体を守ろうとして、皮下脂肪は増えるかもしれない。
ストレスで食べたら、内臓脂肪も増えるかもしれない。

わたしは前にパーソナルトレーニングで、気づきもいい体験もたくさんありつつ、同時にストレスも強くて、むしろ内臓脂肪が増えた。

脂肪をよくもわるくもするのは、女性性の分野。

脂肪の意識は

貯蔵すること、
保護すること。

これが過剰になると、次のようなアンバランスな意識が生じる。
満たされていない何かを満たしたい。
感情的に守りたい、守らなければならない。
わたしは汚れている(毒素は脂肪にたまる)。

筋肉がつかなくて困っている人、痩せすぎの人は、やっぱり根底に性の意識のアンバランスがあるのかもしれないね。

こんなふうに書くと、筋肉と脂肪は両極にあるように思うけど、体組織としては、同時に作られるし、同時に減る。

減らしつつ増やすというのが、一筋縄ではいかないところ。
塩梅が肝心だよね。

体の何を、どこまで学ぶか。

トレーニングと両輪なのが、食事。

筋トレで朝ごはんを抜くなんてありえない、というのを読んで、3週間、朝ごはんを食べてみた。

結果、全体的に食べる量が増えて、体が重い。
朝の作業が多い人なので、ご飯作って食べてるとか、心的にも体的にも時間的にも負担が大きいだけ。

人それぞれなんだな、という結論に達し、今朝からまた、朝はEAAとサプリ生活に。

生理学にしろ、トレーニング理論にしろ、神経学にしろ、栄養学にしろ。

専門家はたくさんお勉強していて、「なるほど!」と思うことを発信してくださっている。

一般の人は体のことを知らなくていいのか、というと、どうだろう?
お客様で多いのは、次のパターンかな。

・あまりに不安ベースで煽られた情報に接しすぎ、知識もいろんなこと試したこともあるけど、どうしていいかわからない。だから教えて欲しい。

・とにかく疲れ切っていて、休みたい(けど休めない)、だから癒して欲しい。

そういうパターンを持っている人に、「じゃあ不安を煽らない情報や実践をお伝えしましょう」と言っても、正直なところ、喜んで受け取っているようで、ほとんど入る余地がない。

ちゃんと休めたらちゃんと勉強したい、と思っている人も、「ちゃんと」を条件にしている限り、先延ばしパターンを繰り返しているにすぎない。

おすすめなのは、トレーニングとケアと座学と食事の合わせ技。それぞれがバラバラに存在するのではなく、その人のスタイルや要望に合わせて、原理原則的なケアとトレーニングと座学があり、さらに特異的な個別のトレーニングとケアと座学がある。プラス食事。

わたしはこれに近い状態が実現できているので、恵まれている。

ケアや食事は、トレーナーの経験則ではなく完全にその人に合わせたものを提供する必要があるので、潜在意識を使ったテクニックの出番。

ただし、現実的には「座学どころかセルフケアさえ取り入れる余地がない」ほどクライアントの内的スペースが圧迫されている、ところからのスタートが多い。

だから、トレーニングは健康で余裕のある人がやる、ケアが必要な人は治癒が先、トラウマ解放はトラウマ解放の安全を確保した専門家がいて、という状況になってるんだよね。

内的スペースを取り戻すのは、呼吸法でもトラウマ解放でも自律神経調律法でもない。それは効果がある。しかし本質ではない。

内的スペースを開くのは、魂の働きかけによってだ。これは魂の仕事。
魂が働けないから、副次的なやり方をしているにすぎない、とわたしは思っている。

そういう意味では、スピリチュアルにも大きな仕事がある。

生理学的・心的なケア、三次元的トレーニング、古い学習内容を更新する座学、生活と体にあった食事、そしてスピリチュアル。
一般教育のためのティーチャーがいて、個別対応のためのトレーナーがいて、自覚を持って取り組むクライアントがいて。
一人の体をみる、というのは、そのくらい価値があり手間もかかる、大切なこと。科学とスピリチュアルの橋渡しができることも、過渡期の今は、大切。

スピリチュアルを妄想だけで終わらせるのは、本当にもったいないし、相手をマインドコントロールするような仕事をしてそれをスピリチュアルと名づけるのも、本当にもったいない。

わたしがやりたいのは、内的スペースを開く、魂の創造的な仕事だ。

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