やっぱり学習が足りない。
ここ何日かは自分の中で小休止しています。極力事務作業もせずに脳にこびりついた垢みたいなものを取るような感じでいます。
定期的に脳をデフラグする感じですかね。整理しないと自分のしている事って駄目だなぁって15年以上していて痛感していますし、これをできていないときに限って、自分のパフォーマンスが著しく悪いなぁって。
なんで、先週末はリフレッシュと自分のしたい仕事絡みで出ていました。自分の住んでいる所だけいるってのが駄目なんですね、僕は。遠くに行って、新しい空気を吸い、日常では感じないことを気付いて、それを仕事や生活に生かすってことをすることで自分を成長させるって僕にとっては一番いいサイクルなのかなって感じています。
タイトルと内容がなんかずれているような気もしますが、今回のことはその道中から帰ってきたときに痛感したことなんです。
あー、大学の時のカリキュラムって本当に考えられているんですね。この歳になって「原論」で出てくる内容にぶつかるなんて思いもしなかったです。というか、全然できてませんね。偉そうに他人に宣う資格もありません。僕は。
昔、習ったことの大切さって今になって気づくんですよね。気付けるだけましなんでしょうけど。そう取っておくのが一番なのかもしれません。
最近、やっと自分の疑問に答えが出るような本に出合えて、それを自分のものにしようと時間があるとそれを開いて読んでいる訳なんですが、まあ、学生の時に聞いた名前が出てくること出てくること。学生の時に戻って、「もっとちゃんと身に付けとけ!」と言いたくなってしまうぐらい、今の自分に身について無さが浮き彫りなりました。
当時の僕は、専門的知識、応用的知識こそが大事だったって思っていた典型的な専門バカだったと思います。「一般教養?なにそれ?もっと専門的知識を教えろよ。深い応用的知識を教えろよ。」って思っていましたから。舐めた学生ですね。それで成績はそれなりに良かったから天狗になっていたともいます。
それが大学院に行って、「学問」として捉えることで、仕事をするようになり現場で捉え直すことで、基礎・基本、一般教養の大切さを理解するようになるのですが、どうも原論とか基礎論に出てくる古典的なものに対して「理解していたつもり」になっていました。避けているのもあったのかもしれません。
それが今読んでいる本を読み進めているうちに、自分のウィークポイントとして如実に出てきました。あー本当に自分が嫌になる。
僕が院生時代にとってもお世話になった先生が仰られていた言葉で、「完璧を目指しなさい、でも、自分が完璧と思った瞬間に、思わぬところに落とし穴ができる」というのがあって、それを聞いた時から自分の中で座右の銘として持っているんですけど、それでも、なってしまいますね。根がお調子者ってところもありますから。
上記にも書きましたが、今気づいて良かったと思うことにします。あまりにネガティブになって、「駄目だ、ダメだ」って思うよりは、ポジティブに「今からまた新しく学べるチャンスができた」と捉える方が精神衛生上良いですし。
いつまでたっても学んでいかないと駄目ですね。常日頃から思ってはいますけど、改めて思い直しました。