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「秋憂や卵巣ふたつ摘出し」虎吉の交流部屋プチ企画に参加

わたしは誕生日は1958年の10月です
もちろん私にその日の記憶はありません

幼いころから感じていた違和感を
両親にぽつぽつと聞き始めたのは
ほとんどの子どもがそうであるように
「なんで?」「どうして?」
というようにな感じで
4歳頃だったとおもいます

その頃、逆子の出産は危険な出産で
途中で帝王切開になる場合も考えて
必ず医師と助産婦の両方が必要でした
が、当直の婦人科の医師は院内にはいなかったそうです

それでも助産婦さんや看護師さんが
なんとか頑張って無事に生まれましたが
やはり母が初産だったので
わたしの首が膣に引っかかってしまい
何分か脳に酸素の届かい状態が続き
結局産声も上げなかったそうです

その結果延髄の神経が傷み
構音障害が残りました
しかし、両親は
我が子の障害を認めることが出来なかったようです
誕生日を迎えるたびに
そのことを嫌でも思い出します。
でも、見たこともないその医師のことを
不思議と恨んだことは無いのです

もうひとつ
これは1998年11月12日のことです
わたしは子宮摘出手術を受けました
Ⅰ年間病院に通いましたが
経過が良いということで、診察も打ち切りになりました
あとで聞いたのですが
その医師は
次の3月で中央病院の産婦人科部長になる予定だったそうです
もう関わることのない患者だと
思い軽くあしらったのでしょう

「子宮を除けると、卵巣が腫れやすくなるので
毎年の検診を義務付けるのが普通ですよ」
と2014年9月に愛大付属病院の先生に言われ
ただただ驚くばかり
それも先生の顔が暗いのです
あぁ~もうだめなんだと死を覚悟しました

子宮がなくてよかったです
内側だけでまだ他には転移してないようです
すぐ手術しましょうということになり
5年間の観察期間も終え
今に至ります

どう考えても楽な人生ではなかったけれど

他の人よりたくさん傷つき
他の人よりたくさん泣いて
でも
他の人よりたくさん笑い
他の人より少しだけ優しくなれて
他の人より強くなれた
もう怖いものはない気がする

だから他の人より濃い人生が送れた思う

ふたりの医師も
自分の人生も
何もかも
許せる今の自分が嫌いじゃないんだよね


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のり
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