何かに守られている、という感覚
2ヶ月ぶりに集まったメンバー4人。
性別、年代、職業、生まれ育った場所、まったくバラバラ。
唯一の接点は、毎年催されるピアノコンサートのスタッフということ。
知り合った頃のわたしはまだ若く、人生の先輩でもある3人がする、宇宙や精神性の話になかなかついていけず、もどかしい思いをした。
若輩者のわたしを、決して見下ろすようなことはせず、ちゃんと尊重して接してくれる温かい人たち。
それから15年
いつのまにか、臆せず話に参加できるようになっていた。
こんなこと言ったら変な人と思われるんじゃないか?という心配を全くすることなく話ができる。この集まりが、わたしは結構気に入っている。
今年の暑さはひどかったね、から始まり、時事・方言・宗教と話が多岐にわたったあと、最後にまとまったのは、いまのこの時代の変わりめ感がすごいよね、ということ。
これからどんな世界に変わっていくのか、こんな変化が大きい時代に生まれてきたことは、宝くじを当てたような(それ以上?)もので、しっかりと見届けるためにも、スーパーおばあちゃんになろうと密かに思っている。
我が家にテレビはないけれど、インターネットニュースを見れば相変わらず戦や不穏な出来事が並んでいる。それでも未来はきっとよくなると、感じることができる。なんの根拠もないけれど。
目に見えない 大きな力に
いつも、守られている。
いつも、愛されている。
凍結した道路でブレーキがきかず、
交差点に進入してしまった冬の日。
もし車が来ていたら、
もしハンドルがまわらなかったら、
いまは無かったかもしれない。
似たようなことは他にもあった。
そのたびに、生かされているんだと感じた。
なんの脈略もなく、突然あたまに浮かぶ直感は
わたしにとって正しい方向へ進むための案内通知
このからだを借りて生きるのは一度きりだから
自分の使命を果たしたい。
それは、
社会に足跡を残すような働きをすることかもしれないし
ただただ生を思う存分楽しむことかもしれない。
誰かとくらべての正解は、ない。
そんなことが頭にうかんだ一日だった。
満月のせいかな?
蝉の声はかすかに聞こえる程度になり、頭上には吸い込まれそうな穏やかな空が広がっている。
秋到来。