奈良紀行 2023秋~③ あをによし ならの麗し大仏殿
夜中、
ビイーッともギイーッとも聞こえる動物の鳴き声で目がさめた。
あぁ、鹿か。
とだけ思ってふたたび眠った。
朝6時、
カーンという、時をしらせる興福寺の鐘(と後から知った)の音で目がさめた。
ん?鐘?
朝陽でうっすら明るくなった部屋のなか、寝ぼけまなこでベッドから這いだし、障子をあけてから再びベッドへもどった。
ここは猿沢池ほとりに建つ宿。
窓からどんな景色がみえると思いますか?
こんな景色です!
興福寺の鐘は、奈良太郎さんよりも高くて明るい響き。無意識のうちに残音を追いかけると、倍音が2つ3つ聴こえ、そしてそれが消える頃にまた次の鐘がつかれる。5回ほど繰り返されたような気がする。
最高のながめと響きで少しずつあたまがクリアになり、30分のちに起床。なんて優雅な目覚め!毎朝こんなふうに目覚めたい。
旅二日目、
さあ、今日はビッグイベントが待っている。前夜残した奈良名物「柿の葉寿司」を食べてから、はりきって宿を出発しました。
興福寺境内を通りぬけて登大路へでてから、多数の出勤する人々に交じって東大寺へ向かいます。きのうは人が多すぎて近づけなかった南大門から、今日は堂々と入る!
おはようございま~す
左右の仁王像にあいさつをしながら南大門をぬけ、めざすは昨日も通った二月堂裏参道。途中には、”転がり落ちると猫になる”と伝承のある猫段もあります。
そしてやって来た裏参道。
わたし以外に人の姿はなく、朝一にきたのは正解でした!清々しい空気のなか、気持ちよく二月堂へむかって石畳を歩みます。
さいごに登廊を心拍数を上げながら登ると、待っているのは二月堂の舞台から見えるすばらしい眺め。まるで奈良の国主になった気分です。
このボコボコした手すりのへこみは、おたいまつの痕なのだそう。登廊を上がってきたおたいまつは、火の粉を落とすために一旦ここへ立てかけられます。修二会で毎年およそ140本のおたいまつを支えてきた歴史が、こうしてはっきりと目で見られるのも、おもしろいですね。
さて、時刻は9時。今日ここへやってきたのは自分のためだけではなく、ある人と会うためです。スマホで連絡をとりつつきょろきょろしていると・・・あ!いらっしゃいました!
このnoteの街で知り合った、kumokichiさんです。
ご縁がかさなり、今回の奈良訪問にあわせて会うことになったのです。kumokichiさんは明るく健康的で、ブラックがよくお似合いのすてきな女性でした。
無事、あこがれの”二月堂で待ち合わせ”を果たしたので、本日のメインイベントに参列するべく大仏殿へ向かいます。
今回この日をえらんで奈良を訪れたのは、東大寺友の会から「良弁僧正1250年御遠忌法要」のおしらせが来たから。
良弁さんは、聖武天皇の仏教政策を支えた僧侶のひとりで、東大寺初代別当。どこかのタイミングで奈良へ行きたいと思っていたのと、この案内のなかに舞楽法要という文字をみつけ、よし行こう!となりました。
3日間にわたる法要の、今日は最終日です。
美しい布で装った大仏殿は麗しく、ちょうどよい風で幡がはためくさまを見ているだけでも、来てよかった!と思えました。
法要は粛々と進められ、よくわからないことも含めて、献花・声明・舞楽など、十二分に楽しむことができました。
なかでも舞楽は、とくに印象に残りました。
舞楽・奉楽を担当したのは、南都楽所という、奈良時代からつづく雅楽を伝承している団体です。
春日大社から貸出された鼉太鼓と雅楽にあわせて、おどる子どもたちのかわいいこと。まるで源氏物語にでてきそうな舞の様子です。
演目のひとつ『迦陵頻』は、奈良時代にいまのベトナム地方の僧がつたえた舞で、奈良の諸大寺での大きな法要の際にはよく舞われていると、説明書きにありました。
・・・よく舞われている?奈良時代から伝わるこの優雅な舞が?
やはり奈良はすごいです。保ち伝えるという力が、けた違いだと感じました。
法要が終わったのは13時半、見るもの聴くものどれもめずらしく、あっという間の3時間半でした。今年たまたま東大寺友の会に入会しておいてよかった!
東大寺さん、ありがとうございます。
遅めのランチを済ませたあとは、再び東大寺を散歩したり、ならまち散策したり。すてきな和菓子屋さんも教えていただきました。
kumokichiさんとわたしの共通点は、奈良すき、入江泰吉すき、おひつじ座という3つ。それで十分。
kukokichiさん、楽しい一日をありがとうございました!
あしたは最終日、行く場所はもう決めてあります。
では、今日はここまで。
kumokichiさんから見た一日を綴った記事はこちらです。
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ー次回、いよいよ最終回!
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