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「第2土曜」に野球しようぜ

あなたの原風景は何ですか。

そう訊かれたら、僕は「中2の第2土曜」と答える。

まだ学校が週5日制じゃなかったころ、土曜日も休みにすべきだという議論が巻き起こった。そこで全国的に「まずは毎月第2土曜日だけ休みにする」ということになった。1992年、中学2年のころだった。

小学生のころから土曜日は登校してきた。中学生になってからもそうだった。だから急に休めと言われても困る。朝から学校に行き、2時間目が終わってお昼になると帰宅して、吉本新喜劇を見ながらご飯を食べる。そのサイクルが体に染みついていたからだ。

「今度の土曜、休みらしいで。どうする?」

クラスの話題は「今度の土曜の過ごし方」で持ち切りになった。みんな、何をしていいか分からなくなっていた。なにせ部活まで休めと、全校的に言われているのだ。

窓際の席に座っていた僕は、ふと思いついたことを口にした。

「野球やろか」

灯がともる、というのはこういう瞬間を言うのかもしれない。この言葉をきっかけに、クラスの温度が上がった。

「ええやん!」
「やろうやろう」
「おれも参加するわ」
「5組の奴も誘ってええ?」
「人数、何人集めたらええかな」
「けど、グラウンド使えるんかな」
「休みや言われてんのに、無理ちゃう」
「ほんなら先生も誘ったったらええやん」
「おー、それナイス!」

こうして僕らは社会からも学校からも「休め」と言われた土曜日に、いつものように学校にやって来た。誰もいないガランとした校舎のとなり、土埃の舞うグラウンド。2チームでは収まらない数の男子が集まった。

野球部の奴も、サッカー部の奴も、陸上部の奴もいた。バレー部だった僕もいた。

生徒に「カワタク」と気さくに呼ばれていた若い男の先生も、顧問のように来てくれた。「私が様子を見にいく代わりに、彼らにグラウンドを開放してほしい」と、学校側にかけ合ってくれたのだろう。ふだんはバスケ部の顧問なのに。

「カキーン!」

金属バットの音が鳴り響く。

「リーリーリー」
「ピッチャーびびってる、へいへいへい!」
「おっしゃー、センター抜けた!」
「アホ~! どこ投げとんねん!」
「まわれまわれ!」
「3つ3つ!(=3塁まで行けるぞ)」

腕を組んで見ていたカワタクも、教え子たちに混じってバッターボックスに立った。見事なヒットを打った気もするし、あっさり凡退した気もする。正直、まったく覚えていない。

そもそも誰がピッチャーだったか、自分はどのポジションを守っていたかさえ忘れた。どっちのチームが勝ったかなんて、今となっては1ミリも記憶がない。ただ頭の中に残ったのは「ええ時間やったなあ」という嬉しさだけ。

こうして「月に一度の休みの土曜」は、暇を持て余して「野球がしたい」と手を挙げた男子たちが行かなくていいはずの学校に集まって、白いボールを投げて打って追いかける日になった。

僕が今わの際に思い出すとしたら、きっとあの光景だろう。

余談だが、この中学校はヤンキー野球漫画の金字塔『ROOKIES』の作者、森田まさのり先生の母校でもある。作中で、この学校の校舎やグラウンドが背景として描かれている。あの学校には野球を引き寄せる何ががあるのだろうか。

あれから30年近くが過ぎた。今では学校は完全週5日制になり、土曜日に学校に行くことは(部活を除いて)なくなっている。あの「第2土曜」は、遠い遠い記憶だ。

でも、あのとき自分が何気なく発した一言に火がついて、おれもおれもの手が挙がり、みんなでひとつのことを成し遂げていったあのプロセスは、今でも自分自身の立ち返りたい原点になっている。

思えば試合に勝っても負けても楽しめた野球は、後にも先にもあの日だけ。そういう時間を、これからも作り上げたいなと思う。それが仕事になるかもしれないし、そうでないかもしれないけれど。

いま、思う。このたびのコロナ禍は「第2土曜」のようなものだなあと。

外に出るな、会社に行くな、人との接触を極力避けろと言われる中で、いったい僕たちは何をすればいいのだろう。

でもたぶん、そんなに深く考えなくてもいいのだ。

何気ない思いつきで「野球やろか」と、口に出してみることが大事なのだ。そのとき「おれも」と手を挙げてくれる奴がいたら嬉しいし、いなければまた別の楽しいことを思いつけばいい。

みんな、第2土曜に野球しようぜ。




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松岡 厚志 / HI MOJIMOJI
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