【書評】北欧のお洒落なカフェのガイドブックでは決して紹介されないデンマークの酒場文化の足跡(種田麻矢)
タイトル(原語) Bag de gule gardiner
– Fortællinger fra Nørrebros værtshuse
タイトル(仮) 黄色がかったカーテンの向こうで –ノアブロ区の酒場–
著者名(原語) Luna Signe Hørdum Nielsen
著者名(仮) ルナ・シーネ・フアドム・ニルセン
言語 デンマーク語
発表年 2014年
ページ数 240ページ
出版社 Nordstroms
デンマークに存在する”Værtshus”とは、 アルコールを提供する、一般的には古臭く、野暮ったい酒場として現在認識されている。パブとも違うし、バーや居酒屋も違う。日本で例えるなら、ママが経営している小さなスナックといったところだろうか。ここでいう酒場では、ビールが300円ほどの安さで飲め、労働者階級やアルコホリックな馴染み客が集う社会的地位が低い場所というイメージも浸透している。デンマークの法律では、店内の広さによって喫煙の規制が定められており、40平方メートル未満であれば喫煙が許されている。そのような小さな酒場の店内は、霧がかかったように煙草の煙が立ち込め、数分もしないうちに目がしばしばと滲みる。 カーテンや壁紙は煙草のやにで黄ばみ、店内はアルコールの匂いが漂っている。時にはお酒がまわった客の大きな話し声が響き、時には理性を失った客同士の殴り合いが生じる。良くも悪くも、人間らしさが垣間見える場所である。このような酒場は、外観や内装の色味から「茶色い酒場」とも呼ばれている。1990年代後半に短期間で実施された都市改革により、古いアパートや酒場のほとんどが姿を消し、コペンハーゲンはモダンでお洒落で物価の高い町へと変貌した。近年ではレトロさに興味をもつ若い世代やヒップスターのあいだで注目されるようになるが、酒場文化自体は衰退する一方だ。
本書では著者自身が幼い頃から馴染みのあるコペンハーゲン・ノアブロ区をはじめとする28の酒場が紹介されており、70〜80年代の店内や客の写真、そして店主の回想を通して当時の様子に触れることができる。子どもが酒場に馴染みのあること自体、想像しただけでも道徳的な観点からして眉をひそめずにはいられないかもしれないが、著者にとって酒場が育った環境の一部だったのは、自分の父親に会いたいときはいつでも酒場に行けば会えたからだ。大人の客に混じり、幼い著者はカウンターに座ってジュースを飲んだ。時には酔っ払って絡んできた、少し正気を失った娼婦の話を聞いたりもした。
このような酒場文化が消滅しつつあるなかで、著者は自分が幼い頃から知っている、またはそうでない酒場を訪れ、 その様子を描写している。(写真の一部はこちらで見られます。http://www.lunasignes.dk/bag-de-gule-gardiner/)
本書は、北欧のお洒落なカフェのガイドブックでは決して紹介されない、むしろ目を背けたくなるような文化やその足跡を、忠実にそしてユーモラスに、店主や馴染み客の声、そして写真を通して伝えている。
酒場はお酒を飲む場所であるだけでなく、地域社会を象徴するものでもあり、それは本書で紹介されている酒場を営む店主の回想からもうかがうことができる。
馴染み客が数日顔を見せなければ、必ず店主が客に電話をして様子を伺った。よく知っている客同士はお互いの家の鍵を持ち、急にぱたりと来なくなった客がいれば、すぐ家に行き安否を確認した。実際にこの方法で、少なくとも二人の客が自宅で亡くなっていたことを確認している( アルコールが原因かは定かではない)。今では考えられないような地域社会の繋がりが、たった半世紀前までは当たり前だったことも、この本を通して考えさせられる。
ファッションや社会学的な視点からではなく、酒場という場所が切っても切り離せない暮らしの一部となっていた市民、なかでも社会的な敗者、そして彼らを酒場のカウンター越しで見守りながら接客をしていた店主たちの視点を通して、デンマークの影の文化に触れることができるだろう。
(Maya Taneda)
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来週水曜日は、羽根 由 さんがスウェーデンの本を紹介します。どうぞお楽しみに!
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