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ドイツに留学する。 48にちめ
留学は終わりと、地団駄を踏みながら明確に自分で線を引いた日だった。
河原に黄昏に行ったのに、顔を出し始めた春の陽気に浮かれる住人達に挟まれて、泣く気にもなれなかった。
朝役所の前で買ったチーズケーキが甘すぎたから、結局晩御飯まで分割して食べた。
相変わらず対応のあんまり良くない外国人局に行って、永久に帰ってこないメールの催促を打ち続け電話をかけ続け荷物を片付けてお土産を買い回っていたら街を去る最後の日になっていた。
結局銀行口座は解約できなかったし保険は仮解約止まりだし、寮の契約は切れてないし退学届けは貰えてない。
けど、明日この街を出て、明後日の朝ドイツを発つ。
早かった。はやかった。
ようやくちょっと諦めがついてきたけど、日本にいる人達に会える喜びよりは、未練の方がまだ大きい。
隣の部屋の友人が、最後だからってチャーハンを作ってくれてふたりで食べた。
きっと、ひとりふたりと帰っていってしまうのだろう。彼女は残ると言っていたけど、迷っているとも言っていた。
最後までやりたかった、途中で帰りたくなんてなかった。
サークルの、合宿も、大きなコンサートも、年に一度の旅行も、追い出しコンパも。何もかも捨ててここに来たのに。
一つずつ、自分がいない思い出ができていくのを噛み締めながらこの地で踏ん張ろうと決めたのに。
ままならない現状と、遠のく平常に。
すり減っていく中で、それでも体と頭を動かさないといけないか。
私はこの留学で何か達成したか?
私が留学に行ったという記録は、残るかもしれない。でも私が留学に行ってしたことは、何をもっても証明できない。
課題を突破することだけが全てではない。
でも人生において多く、結果に答えを求めてきた。
過程あってこその結果。それすなわち結果が過程を証明すると。
だから、少し胸を張れない自分がいる。
得たものがあるとすれば、自分の弱さを知れたことかもしれない。
自分の弱さなんて、中高生活のあいだに散々思い知ったと思っていた。
でもそこでは気づけなかった、自分に何ら影響をもたらさなかった弱さが、ここへ来て私に牙を向いた。
ひとつ、他者の輪に入っていけないこと。
昔は得意だったのに、人付き合いを学ぶにつれて臆病になって、出来ている輪に入っていくことが出来ない。全員留学生で、全員が数ヶ月以内の知り合いだと、自分を奮い立たせることさえしなかった。
ふたつ、頑固であること。
筋を通すことが美徳だった。人の意見を聞かないという意味ではなく、自分の信念を自分で曲げられない。自分が好きじゃないと思っていることも、自分が得意でないと思っていることも、ついぞ変えることが出来なかった。楽しもうとすることにさえストッパーがかかる自分に呆れた。
初めに留学をしようと思ったのは、留学することに意味はあるか?ということを証明したかったからだった。
価値観が変わるだとか、視野が広がるだとか、新しい自分に出会えるだとか。
それは日本ではできないことか?そうずっと思っていた。
予期せず短期留学と変わらない期間になった私だが、この短い間で出した結論は、
意味がないことはない、
と思う。
価値観を変えるだとか、自分の意見を持てるようになるだとかは、やはりよく分からない。
元々頑固な性格で、意見を持たないということはあまりなく、自分の信念が変わるほどの何かはきっとなかった。
本を読めば、人と話せば、自ら機会を探せば、日本でもできることだと思う。その考えは変わらない。
ただ、明確に「外国人」として扱われることはなかなかいい経験だった。
結局必要なかったとはいえ、ビザを取るために必要書類を駆けずり回って集めて、提出して、コロナのせいもあるだろうがちょっとしたオリエンタル差別も味わったり。
日本で生きている限り、はなから悪いことをする前提で話をされ、悪いことが出来ないようにがんじがらめのシステムに登録する経験はないだろう。しないって不法労働なんて。
国民健康保険への加入も、決まった額しか引き出せない閉鎖口座の開設も、全部「自国に不利益を与えないように」する措置だ。
なるほどたしかに私はドイツ国民ではない。
性悪説で見られることは、人生で初めてかもしれなかった。
あと確かにリスニング力は向上した。聞く量は大事だ。でもこれは、やろうと思えば日本でもできる。
ちなみに私は全く言葉がわからないドイツに留学したが(諸事情あって(0にちめかその辺で散々書いた))、いつか自分の子供とかが留学したいと言ったら(いるかも分からんが)、生活言語が分かる国に行くことをお勧めする。英語圏か、第二外国語圏か。もしくはきちんとその国の言葉を勉強していくことを。
街ゆく人の言葉が分かれば、きっともっと「留学に行ったからこそ」吸収できるものがある。と、思う。
まあ言葉が分からない分多分差別とかが気にならないこともあっただろう。
何を言われてるかわからんが嫌がられてる事だけは分かる、みたいな事は、状況が悪くなるにつれて増えていった。
時期が悪かったと言えばそれまでだが、願わくば、そんなことのない社会になることを。
きっと私は日本に帰っても、何ら変わりなく生活していくだろう。
ギリギリのスケジュールを組んで、授業に出てバイトに行ってサークルに行く。たまに遊ぶ。
この留学は、私に表面上の大きな影響を与えるだろうか。多分与えないな。
絶対に無駄じゃなかった。そんなことは分かってる。から、無駄じゃなかったと胸を張れるように、帰ったらTOEICの勉強でもしようかなぁ。結局結果に答えを求めてしまうのは変わらない。笑ってしまうけど、この歳になってそうそう変えられるものではない。
ここまで打って思ったが、良かろうが悪かろうが、結果を出さずに帰ることになった今回は、私にとってはかえって良かったのかもしれない。いや良くないよ絶対最後までいたかったよ!
単位全部落としてでもちゃんとテスト受けたかったけど!
テストのプレッシャーもあったし、逃げたような気分になってないといえば嘘になる。
でも私は逃げを選択することなんて臆病でできないはずだから。どうにか見いだして頑張っていきたい、かな。
そういえば今日、ワニが死んだ。
全然見てなかったけど、4日目くらいから存在は知ってたし、ワニが死んでもまだまだ帰らないんだなって思ったことがあったから、ワニが死ぬまでギリギリここにいれたことに感謝したい。
お風呂上がりに塗ったハトムギ化粧水(500ml)は半分も減ってなくて、やっぱりちょっと切なくなった。