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青いセーターと、父の話。

「あのさ。こんどお義父さんに、セーターを贈るのはどうかなあ?」

息子と手をつないで休日のショッピングモールを歩いていたら、思い出したように夫が言った。
もうすぐわたしの父の誕生日なのだ。

そういえば、誕生日も父の日も夏の時期だからか、これまで父に贈るものは半袖のシャツやハーフパンツのような夏物ばかりだった。

「セーターかぁ。いいんだけど、あれがあるよ。ほら、あの青いセーター。」

「うん。でももう一着あってもいいんじゃない」

「でも、あれ似合ってるからなぁ。最近買ったばかりだし。もったいないとか言いそう」

そんなふうな会話をしていたのだけど、なんだか夫の目が泳ぎ、何か言いたそうにしていたのが気になった。
家に帰って落ち着いてから、……あら?とわたしも思ったのだ。
あの青セーターってそういえば、いつから着てるんだっけ、と。

それでGoogleフォトの写真を遡って確認してみることにした。

昨年の冬ーーー着てる。

4年前、わが家で開いた息子3歳のお誕生日会ーーー着てる。

7年前、病院で息子が産まれた日ーーー着てる。

10年前、実家で夫とお正月のおせちを囲んだ日ーーー着てる!!!!


Googleフォトで確認できる写真はここまでだった。
しかしまあ、まだフレッシュな印象があったあの青いセーター、驚くことに少なくとも十年以上は着ているということが判明した。

夫と結婚したのは十年前。
つまり夫は、結婚当時から毎年冬になると「青いセーターのお義父さん」を見続けてきたことになる。というか彼は、青いセーターのお義父さん以外を知らない。

それじゃあわたしはなぜあの青いセーターに、新しいイメージを持ち続けていたのか。
それは、そのセーターをはじめて着たときの父の姿が、それほどまでに鮮烈だったからだと思う。

父は、面白いことが好きなひとだ。小心者でおとなしくて人見知りだけれど、実はお笑いが大好きで、くだらないことを言っては自分でうひゃひゃと笑う。
温厚に見えるけど意外と短気で、すぐに怒る。怒っているときはメガネが曇る。

ちなみに口癖は、「知らんけど」。
いや、ほんとに、2022年にユーキャンの流行語大賞にノミネートされるずっと前から父はこの言葉を使いこなしていたことをここに主張したい。(誰に)

知らんけど、を連発しながらもたらされる高田純次バリに適当な情報に、母もわたしも妹もずいぶんと騙され、惑わされてきた。
なのにその一言で脱力し、許さざるをえない。腹がたっても憎むに憎めない、まったく父らしい言葉なのだ。


そんな父は、昔からわたしのことを「にいちゃん」と呼ぶ。

当時わが家に泊まりにきて、その呼びかけを聞いた叔母は涙をこぼして笑った。
「なんで、にいちゃんなん? なんでみんな、それで普通にしとん? あー、おかしい!」というのだ。

でもそのときには、笑う叔母のほうがかえって不思議だった。え、なんで?そうですわたしがにいちゃんです。くらいのもんである。


最初は、わたしも「ねえちゃん」だった。
2人姉妹の上だから、ねえちゃん。
でもわたしが女子高生だったある日、「ねえちゃんって呼び方がなんかねえ⋯。飲み屋のお姉さんを呼ぶんじゃないんだから」と母がふと言った。

たぶん母としては、娘の名前で呼んだらというつもりだったんじゃないか。
だけど父は今さら名を呼べなかったのだと思う。
その日から、わたしはにいちゃんになった。

ただ、にいちゃんに文句を言えた義理ではない。
わたしのほうはといえば、父のことを「おじい」と呼んでいた。
孫ができたからではない。何か由来があったはずだけれど、わたしに息子が誕生するずっとずっと前から父はおじいで、わたしはにいちゃんだった。


まだ実家に住んでいたころ、このおじいのファッション事情というものが残りの女子3名の頭を悩ませていた。

おじいは、服に興味がない。
それだけならいいのだが、とにかく服を買いたがらない。
もう何十年も前のシャツなんかを持ち出して、「あるからいらん」なんていう。
すすめられたって頑なに買わないし、他人が勝手に買うと不機嫌にすらなる。

おじいの服になんかお金をかけてもったいない、というのである。

「別に、どんな服も不思議なくらい似合わんからもうええんよ。服が似合わん天才」
としまいに母はやけくそのように言っていた。

普段はまだいい。会社はスーツで通勤していたし、近所をうろうろする分には誰も気にしていなかった。
だけど、珍しく出かけたり、人に会ったりする用事ができるとわが家では慌てておじいのファッションショーが行われた。
2階のクローゼットから、古いポロシャツとかズボンみたいなもんを引っ張り出して、身につけたおじいが階段を降りてくる。
おじいはニヤニヤしながら、「これでどお?」という。

待ち構えていた母と妹とわたしで、
「丈がおかしい」だの「古くさい」だの「だいたい腕が短すぎる」だのとやいやい言って、それをおじいは楽しそうに聞いている。
短気なおじいがなぜだかこういう場面では怒らないことを知っているから、ふだんは気を遣う母まで言いたい放題である。

そして女子3人がドヤドヤとクローゼットに向かうのだ。

それで、だから服を買えばいいのにとか、こういうときに服が必要でしょうがとか散々言われ、あーでもないこーでもないとこねくり回したコーディネートで、おじいは出かけてゆく。

ある日、おじいには意外とキャップが似合うということが判明した。
キャップをかぶりスポーティーな格好をすると大変若々しくなるという大発見である。

当時家を出て1人暮らしを始めたばかりだったわたしは、休日におじいの新しいキャップを買いに行き、そのまま電車に乗って実家に遊びに行った。

前は自分に服を買われると怒って不機嫌になっていたおじいが、このときはなぜだか怒らなかった。
キャップを素直にかぶり、おちゃらけた感じで「アリガト」と言った。

しかし、このキャップにはロゴのようにでっかく「B」というアルファベットがついていたのだ。

夜は久しぶりに4人でごはんを食べにいき、お酒を飲んだりしていたら
「帽子、似合うじゃん。Bって、なんの意味だろう」と妹が言いだした。

「ブサイクのB」

「バカのB」

「ブスのB」

「ボケのB」

いや、出るわ出るわ。ていうか、結構おしゃれなショップで買ったはずなのに何なの。Bってこんな、呪われたアルファベットだったの?

カァー!とか、うひゃひゃとか言いながら、楽しそうにしていたおじいが、
「ビューティーのB!」
と叫ぶ。

ビューティー!!!!
ビューティーおじい!

ギャーハハハハっ 四人で一斉に涙を流して笑った。いちいち騒がしい家族である。

このころからおじいは、わたしが服を買っても怒らなくなった。

誕生日には、おじいの趣味であるテニスのウェアや、半袖シャツやポロシャツやハーフパンツみたいなものを贈るようになった。
選ぶときは、店員さんにも相談をする。
「結構小柄で、痩せ型で、あの、でも、お腹は出てます。手は大変短いです。肩幅は狭いです。」

おじいがいれば、ウヒョヒョと笑ってくれるところも、店員さんはまじめな顔でふむふむとうなずき、
律儀にSサイズではどうでしょうとか、これはゆったりめの作りなので少し肩が余ってしまうかもしれないですね とかアドバイスをする。

加えて年齢をいうと、超無難なジジくさいやつを出してきたりする。

でも、そうじゃないのだ。おじいは、ああ見えて意外と、カジュアルで若見えの服が似合うんだ。
わかっていても、おじいの服で冒険する勇気が出ない。

あの青いセーターと出会ったのは、そんなある日のことだった。

母と久しぶりに出かけていた冬の終わり、
偶然に通りかかったお店のワゴンセールでそれを見つけた。
黒やグレーなど、冬物らしく暗く沈んだ色ばかりのなかで、その青が浮き上がって見えた。鮮やかな色に思わず吸い寄せられるように近づいてセーターを手に取った母が
「お父さんも、こんなパッとした色を一回着てみてもいいのにねえ」
とつぶやいたのだ。

確かに普段なら絶対に選ばない色だろう。なのに、なんか、すごく気になる。
ライトに近づけたり、鏡越しに見たり、その上におじいの顔を想像してみたりした。光の加減で、鮮やかにも、少し落ち着いた具合にも見える。だけど、もしかして、もしかしたらとっても素敵になるんじゃない?というような予感がその色にはあった。

買っていこうと言ったけど、母は渋っていた。
勝手に服を買うと不機嫌になるのもあるし、もったいない、と言うに違いない。
でもセールでとても安くなっていたから、値段をいえばお父さんも怒らないかも、と母は結局そのセーターを買って帰った。

その夜は大騒ぎだった。
ちょっと着てみたところがあまりに似合うということで、わたしと妹に上半身、全身、正面、斜め、色んな角度から撮影された青セーターのおじいが送られてきた。

似合う!
信じられない!
ええ感じすぎる!
まるで素敵なおじさまみたい!!!

わたしも妹も大興奮でメールを返した。
おじいをこんなに褒めたのって、人生初ではなかろうか。
おじいはもう、完全にモデルの顔だった。

その日以来、おじいはくる日もくる日も胸をはって青セーターで出かけた。
冬の間、無休で働かされる青セーター。
えらい所にもらわれたものである。ほかの服は、とたんに見向きもされなくなった。

あまりに顔映りがよいので、わたしがはじめて一眼レフを買ったときには、カメラの練習がてらこのセーターで遺影まで撮った。

清水の舞台から飛び降りる覚悟で、ボーナスをはたいて買った高級カメラ。
それで胸を高鳴らせながら、はじめてポートレートモードで写す被写体が青セーターのおじいである。どうなってんだ。

「遺影でイエーイ!」
カメラに向かってピースをつくるおじい。
黙ってファインダーをのぞき、幾度もシャッターを切るわたし。
一度右から左へ流したはずの遺影でイエーイが、時間差でじわじわと効いてくる。もうやめてくれ。

まあ、それでも。やっぱり青セーターの魔法なのかしら。
なんだかきれいな目をして、穏やかに笑って。
カメラ初心者にしては上出来な写真がとれたのだ。

「ただねえ、100歳まで生きるだろうから‥‥。この遺影は若すぎるかもね」
と母が言った。

「まあ、そうだよね。ヘタしたら、わたしのほうが看取られる可能性もある」
わたしも妹も言った。

病気ひとつせず、今だって炎天下をものともせずに週5でテニスをし、足腰も激ツヨのおじいだ。
万が一ぽっくりいくとすれば、正月に餅をノドに詰まらすくらいしか考えられないのである。

この話を本人にもしたら、「キャ、餅には気をつけよ。期待したってだめよォー」という反応だった。
忠告したことにより餅の可能性も薄まった。当面、死にそうにない。
遺影も、どこかで撮り直しが必要になるなあ。

この青いセーターはおじいの人生に、これまでにないトキメキを与えてくれた気がする。
「ファッションが教えてくれたこと」は、若い人だけのものじゃなかったのだ。

青セーターをめぐる、おじいとわたしたち家族の物語。さてはて、この代わりとなるような服は、果たして見つかるだろうか。

なにも知らない夫は簡単に言うけれど、これは長い道程となりそうだ。
それでもそんな一着と、もう一度出会いたいとも思う。

きっと、いくら探しに行っても見つからない気がしている。いつでも頭の片隅に置いていたら、また思いがけないところで服のほうから飛び込んでくるような、そんな予感がしているのだ。







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