「繊細」は短所じゃない、とんでもなく長所だ。私が証明する。
私の一人っ子の娘は、とても繊細。今世の中ではHSP(子供の場合はHSC)と呼ばれるタイプの人だと思う。
娘が繊細だと気付いたのは、年少さんの頃。
振り返れば、赤ちゃんの頃からチャイルドシートの角度が気に入らなくて乗車拒否(それはとんでもない勢いで)されたり、刺激が強い日は必ず夜泣きをして、2歳ごろになると壮絶なイヤイヤ期、それについて保育士さんへ相談へ行くと、いつもママにべったりなのに空気を読んでママに一切近づかないと言う空気の読みっぷり、、、
あげればいくつも思い当たる繊細ちゃんの要素。
幼稚園に入園し、園の伝説を残す登園渋りや行事前になると必ず情緒不安定になる娘に、どうしたらいいものかと、私はどのようにこの子に寄り添うのがいいのかと悩んだ挙句、たどり着いたのが「HSC」だった。
チェックシートのほとんどにチェックがつき、「あぁ、この子は人より繊細なんだ」とストンと納得できた。
ここまできて、あることに気づく。
「あ、私も繊細な性格だった。さらには旦那も。」
もし、繊細という気質が遺伝するのであれば、娘は「繊細のサラブレッド」な訳だ。
振り返ると、私もずっと繊細ちゃんだった。
母からも事あるごとに「あなたは繊細だから」と言われていた。
(言い方的に、あまりいいイメージではなかったんだけど)
小学生くらいの頃から、みんなの空気感とか、先生の雰囲気、天気の匂い、雨の音、歩く音、細かなところにすごく敏感で、誰にも邪魔されない一人で歩く下校時間が大好きだった。(今でも季節の匂いとか、歩くときの砂利の音が大好き)
「繊細」=「弱い」
なんだかこのイメージがついていて、繊細な自分があまり好きではなかった。
中学に入って、思春期の女子にありがちな出来事が起こるたび、言葉にならない違和感を感じていた。だけど、仲間はずれにされるのは嫌だし、穏便に過ごしたいという気持ちから、空気を読んで過ごしていた。(結局、その空気に耐えられなくなって、ある出来事をキッカケに本心をぶちまけて、過去最大のいじめにつながるわけだけど、この話は長いので割愛)
話は脱線してしまったけど、繊細であることを勝手な思い込みで「短所」と思っていたけど、大人になるにつれて、自分が人が気づいていないことに気づくことが多かったり、芸術(音楽、絵画、映画など)に触れることが好きで、そこから何かを感じたり、表面だけではないものを汲み取る作業が得意であることが、繊細という気質がそれらを得意にさせているんだと思った。
赤でも、真紅・バーガンディー・ボルドーのように種類があって、きっと感情にも同じ「嬉しい」でもいろんな嬉しい、微妙にニュアンスが異なる感情がある。それは誰しもが持っているものだけど、繊細ちゃんはそれ以上に感じるものがあったりするんだと思う。
それらの微妙にニュアンスが異なる感情と、言葉が結びつかないとき、繊細ちゃんはモヤモヤしたり、なんだかわからない不安感みたいなものを感じる。(私はそうだった)
娘を見ていると、よく気づいたね?!と言ったことに気づいたり、場の空気を読んだり、小さなことによく気づく。
だからこそ、人よりストレスを感じやすく、疲れやすく、落ち込みやすくなる。
その部分だけを切り取ると、繊細であることがネガティブに感じてしまうけど、私はそれは繊細であることの副作用で、大事なのは「小さな変化に気づける感受性の強さ」ということ。
繊細であることは、最強の武器である。
それは私が証明する。証明している。
私は、語彙力が高い方だと思う。(自分で言っちゃうけど)
それは、とにかく本を読んだ。本のジャンル問わず、本を読みまくった。
私の感じているこの感情や思いは、どんな言葉に当てはまるのか、当てはめられるのか。
繊細ちゃんは、表現できるようになると強い。(表現できる言葉を増やす、または感じたものを表現できる音楽やアートでもいいと思う。あとは、ダンスとかね。)
自分の感じているものを表現できるようになると、シンプルに楽になる。
武器というだけでなく、楽になる。生きやすくなる。本当に。
繊細な自分が嫌になる時もあったけど、今は断然長所。
「長所は繊細なところです!」と言えるくらい。
ただ、繊細ちゃんは自分の取り扱い説明書をしっかり作る必要がある。
定期的に一人になって休む。積極的に休む。無理しない。情報をストップすることも意識的に気を付ける。
繊細であることの副作用は、対策をしっかりすることが大切。
人の顔色や機嫌にも振り回されてしまうことも多いので、気分転換できる、意識を別のものに飛ばせる楽しいものがいくつかあるといい。読書でも、映画鑑賞でも、推し活でも。
繊細の扱い方さえわかってしまえば、こっちのもんだ。
長所でしかない。素晴らしい感性でしかない。
繊細ちゃんたちよ、人生を謳歌しよう。
繊細であることは、武器だ。