「加川さんとの想い出」好きな歌「贈りもの」の歌詞になったバーでの記憶!
20代の頃の仕事で「加川 良」さんと良くご一緒させていただいた。
とあるミュージシャンのモニターミキサーを担当していたので、その方の出演されるイベントには加川さんも同行されていた。
その関係で必然的に加川さんともお仕事をさせていただいた。
加川さんはとても気さくな方でいつも気軽に声をかけていただき、リハーサルではギターとハミングから始まり音合わせは1~2曲で終了、最後には必ず
「スタッフの皆様!今日も遊んだって下さい!よろしゅう頼みます!」
と挨拶されて終わるのが恒例であった。
1970年代「中津川フォークジャンボリー」というフォークイベントが開催され、吉田拓郎さん・高田渡さん・岡林信康さんら等、日本のフォーク界の第一人者の方々が出演されていた。
当時、加川さんは音楽出版会社に勤め、このイベントにはスタッフとして参加されたが「教訓」という歌で飛び入り参加し一躍脚光を浴び、プロのシンガーとしてデビユーされることとなる。
「教訓」は今でも様々なミュージシャンの方がコピーし歌い継がれているが、詩の内容は反戦カラーが強いように感じられるが、今の時代にも当てはまるメッセージが込められていると感じてる。
そんな加川さんの歌の中で「贈り物」という作品がある。
「レゲエのビーイン ブルーズのティーボーン あいつの生まれは地球・・」
冒頭はこんな歌詞で始まり当時のイベントでいつも歌われていたが、ビーインは宮城県石巻市にあり、ティーボーンは確か四国に実在すると記憶しているが、共に小さなライブができるバーである。
加川さんは場所に関係なく歌う方でそんな気さくさと、どの時代にも通じるメッセージがファンには響いていたのだろう。
こんな事情もあり、この歌と2つの「バー」は頭から離れることが無く数年の時が過ぎたが、あるロックバンドのツアーで石巻市に行く機会があった。
移動日も重なったので夕方には石巻に到着し、すぐホテルの電話帳を開き「ビーイン」探した。
驚くほど簡単に連絡先が見つかり、電話をすると丁度準備中のマスターがでられた。
事情を話し場所を聞くとホテルから徒歩10分程とのことで、すぐに飲みに行くことにする。
土地勘の無い石巻であるがマスターに教えてもらった通り歩き、目印は1階の道路端においてある「コカ・コーラ」の赤い看板。
狭い土間打ちの階段で2階に上がると、加川さんが歌った「ビーイン」はそこに実在した。
お店はカントリー調でお世辞にもお洒落なお店とは言いにくい印象だったが、一見客を快く迎えてくれた。
その日、マスターとは加川さんと仕事をした想い出や、好きな音楽の話で盛り上がり翌日のコンサート終了後に伺う約束をした。
翌日「ビーイン」はレゲエでは無く加川さんの歌が流れていた。
僕との約束に対するマスターの気遣いだと思うが、バーの雰囲気と歌はピッタリであった。
たわいない雑談から、気分よく酔いが回たころにマスターがいきなり
「加川さんに電話してみようか」
と言い出した。
当時、携帯電話など便利なものが無かったので、連絡を取るには家電しかなかったのである。
「旅に出ていることが多いと聞くので、いないかもね・・」
と言いつつ家電に連絡すると最初は奥さんが出られたようだが、耳を澄ましていると加川さんは偶然にも在宅であったようで、マスターと雑談をしている。
ドキドキしながら成り行きを聞いていると、僕の話になり受話器を渡された。
するといきなり!
「ふーやんくん! ひさしぶりやなー えらいとこまで行って・・・そんな飲み屋に行ったら不良になるで(笑い)」
その後の自分の仕事のこと、〇〇バンドのツアーで石巻に来ており、加川さんの歌にある「ビーイン」に来たかった経緯を話した。
当時、ツアーをまわっていたロックバンドはご存じで
「ふーやんくん えーバンドと仕事してるなー」
と言われ後々知ったことだが、このバンドの曲を弾き語りで歌っておられる。
「贈りもの」には、地球という言葉がたくさん出てくる。
加川さんの歌のテーマには男・女・人がたくさん出てくる。
地球は全てを包み込む優しい存在であり、時には厳しい言葉で表現されているが人の弱さも歌っている。
他にも沢山の作品があるが、自分の歌へのポリシーとメッセージを貫き通したストイックなシンガーとしての姿勢が大好きである。
加川さんは2017年4月「急性骨髄性白血病」で亡くなられた。
当時、音楽の仕事はやめていたが、一人のファンとしてもう一度会いたかった。
加川さんとの記憶は想い出となっているが、歌は僕の中で生き続けている。