読んでない本の書評75「砂男 不気味なもの」
112グラム。ホフマンの怪奇幻想小説と、恐怖の源泉としての「不気味なもの」を分析したフロイトの論文が入っている。テレビ通販のようなセット販売。至れり尽くせりであるような、無ければ無いでもいいような、今ならもういっこお付けします。
いつまでも寝ない子のもとには砂男という不気味な男がやってきて目を奪っていくという話を乳母から聞かされながらナタナエルは育つ。
砂男にそっくりの醜い男がしょっちゅう家を訪れ、家族のだんらんから父を引き離しては二人で部屋に閉じこもりあやしげな研究に没頭するのを見た幼いナタナエルは、現実とおとぎ話の境目がだんだん曖昧になっていく。やがて父は砂男と行っていた研究による事故で命を落としてしまう。
洋の東西を問わず、ちゃんと寝ない人にはろくなことが起こらないようになっている。
「今日はこれだけ終わらせてから寝る」などうそぶいていつまでもパソコンに向かっている。やがて、10分だけ休憩、などとつぶやきつつ何かもつけたままばったりと倒れ込むとしよう。
そうこうしているうちに、髪を一本ずつ引き抜かれようとする気配で目が覚めるのである。飛び起きると頭のうえに屈みこんだ猫が器用に髪を咥えて起こしにかかっている。ちょっと寝ぼけたまま払いのけるような仕草をしてもまったくひるまない。ちゃんと寝るか、ちゃんと起きるかするまで猫の羅生門は終わらないのである。
夢うつつの時間は、いろんなおかしなものの出現舞台だ。
やがて大学生になったナタナエルは、彼の母のように聡明で教養ある優しい女性と結婚しようとするたびに、砂男が出てきて邪魔するようになり、人生が引き裂かれていく。
申し訳ないけれど怪奇小説「砂男」の読者としては、健全な生活を愛し空想を現実世界から切り離しておこうとする合理主義の彼女たちは、ちょっと退屈な人である。
どこからともなく現れて目玉を集めて回っている砂男の正体不明の魅力には、到底かなわない。大学生のナタナエルが、「なんとなく退屈そうな家庭生活」の予感にぼんやりと不吉な影を見たからといってそれほど不思議ってこともないのではないか。
フロイトはこの「目玉が奪われる」という恐怖をエディプス神話を例に、去勢不安を表すのだと言う。抑圧された不安が回帰するとき「不気味」という感情を抱くのだそうである。
また去勢の話か、とは思ってしまうけれど、一応は想像できなくもないので解釈の可能性として合わせて収録されているのは面白かった。
でもフロイトもこういう論文書いてると、途中で10分休憩、とか言って仮眠をとってる時なんかの夢うつつタイムに「はいはい。わけわかんないこと言ってくるやつは目玉取るよー」って言いながら砂男が出てきたりしないものだろうか。砂男は、かく説明されてしまうことが、きっと嫌いであろうから。