読んでない本の書評84「羆嵐」
130グラム。主人公たるヒグマは383キログラム、2.7メートルだったそうである。怖い。
巨大なヒグマが北海道の天塩山麓の開拓村を数回にわたって襲い、二日間で六人を殺害した事件を描いたドキュメンタリー長編である。
今も現地には巨大ヒグマと当時の開拓小屋の再現があって、わたしもずいぶん昔に見たが、実はあまり記憶がない。この小説『熊嵐』のほうが、はるかに怖い。
大正4年、寄る辺ない原野の中の開拓村を闇にまぎれて383キロの肉食獣が襲ってくる。屈強で頭がよく、音もたてずに動き回り、夜目がきき、爪と牙を持って、音も火も恐れない。開拓農民には、苦しい生活と引き換えにやっともらい受けた土地と草ぶきの家しかなく、ほかに逃げるところもないし、頼る人もいない。
警察と軍隊が呼ばれるがどうやらあまり役に立たないということで、熊うち名人の「銀オヤジ」の名前があがる。
しかし、この銀オヤジはひどい酒乱らしい。ヒグマと銀オヤジはどっちがマシなのか、という喧嘩がひとくさりあるあたりはちょっと面白い。
酒を飲んでいる折に銀四郎が突然茶碗をかみくだく習癖のあるのを知っている者も多く、かれらは、銀四郎の顔を思い出すだけでも不快なのだ。
そんな北斗の拳みたいなおじいさん本当にいるのか。人類離れした歯の丈夫さもさることながら、何のために突然茶碗をかみくだくのか、行動原理が読めないところが、ある意味ヒグマより怖いのかもしれない。それでも妻子を守りたい開拓農民たちは苦渋の選択で銀オヤジを呼んでくる。意外にもこの熊うち銀オヤジがかっこいいのだ。
人数頼みで右往左往するから楽々とヒグマに避けられている討伐隊の連中を蚊帳の外に置いて、銀オヤジは単独でヒグマの足跡をたどり追い詰めていく。
その中でしきりに言われるのが、女ばかり食っている、ということである。男の死体があってもそれを放置して女だけを食う、民家に入って女が使っていた衣服や湯たんぽなどに執着をみせる。最初に女の肉の味を覚えたので女ばかりを探して歩いているのだ、という話が村人との間にたびたび交わされる。
ちょっと不思議な気がする。熊が人の性ホルモンを嗅ぎ分ける、というなことなんだろうか。実際事件を経験した人たち、調査した人たちがそうだと言ってるものを思い込みで眉唾するものではないが、あまり何度その話ばかり出てくるので、熊を追う男たちと熊との間の絆みたいなものを少し感じてしまう。
恐れ憎みながらも、厳しい土地でやっと生き延び、わずかばかりのぬくもりややさしさを求め原野をさまよう姿に自分たちを見るからこそ、クマが女性ばかり求めることが気になってしかたないのではないか、と思ったりする。それほどに、女性の話ばかり繰り返されるのだ。
孤独な男やもめでもある銀オヤジはたったひとり、巨大なヒグマと対峙し命を賭して勝利する。その祝いの席で銀オヤジがどんな口をきいてもいまや村人は受け入れる。単独で、死の恐怖を目の前にして、誰にも倒せなかったヒグマを倒したのだから。
北海道の山間部に行くと銀オヤジを思わせる独特のおじいさんというのは少し前でもたしかにいた。酒が好きで不愛想であんまりコミュニケーションが取れない。自分でスパイクを打った重そうな自転車で雪の積もった車道の真ん中を走り、後ろに渋滞を引き起こしてひるむことがない。
そんな背中をみると、人に愛想よくへらへらするよりも男一匹経験と腕力で日々迫りくる危険を切り抜けることのほうが問答無用でエラかった北海道を切り開いてくれた功労者の血なんだろうな、と思われて、何もいえなくなるオーラを感じたものだ。