読んでない本の書評89「谷間の百合」
280グラム。279グラムまで語り手が完全に酔っぱらっていて、最後の1グラムあたりで盛大に冷や水をぶっかけられる。読んでいて変な声が出るくらいの剛腕の破壊神がいきなり登場する。
ナタリーという女性にむけた手紙で小説ははじまる。
「あなたが言えっていうから渋々言うんです。このような打ち明け話をしたからには、これまで以上に愛してくださいよ」という卑屈なラブレターの形で過去の悲恋が延々と語られていく。とりあえず話が長い。
語り手のフェリックスは、なぜだか母に疎まれて育ち、どうやらマザコン傾向なのである。
最初に好きになったのは、お堅い育ちの良妻賢母型のモルソフ伯爵夫人。面倒見のいい人妻で、たいそうよくしてもらうのだ。
モルソフ夫人も、夫婦関係がうまくいってないだけにちょっと浮足立ったりもするが、童貞フェリックスをうまくあしらってプラトニックな関係のまま出世の足掛かりなど作って社会に送り出してやるのである。少々くどいけど親切な人だ。
その際、一人暮らしをする息子にあてるみたいな、異様に長い文面の手紙を書いて持たせたりする。なかでも「とにかく女にはよく気をつけろ。とくに若い女はろくなもんじゃない」と力んで書いてあるあたりはおかしい。年増の女に女の悪口を言わせるとなかなか的確だというのをバルザックはどこで学んだのか。
一人立ちしてちょっと成功したフェリックスは、今度はダドレー夫人という肉食系美女に言い寄られる。「本当に愛しているのはモルソフ夫人なのに、この英国女の手練手管めっ!」など妙に人のせいにしながら、ここで一気に愛欲の日々に突入である。
そんな浮いた噂はモルソフ夫人の耳に入り、関係は悪化する。あんなに注意して送り出したのにこのざまか、と冷たいモルソフ夫人。それにたいするフェリックス渾身の言い訳。
「ただ砂漠の中でのどが渇いていただけなのです」
あまりにも最低すぎて面白いので、どこかで使おうと思って一番派手な色の付箋を貼ってしまったほどの衝撃発言である。
ダドレー夫人も情熱的で積極的なだけで、まっすぐにフェリックスを恋するいい人なのに、なんでこんな行きずりの女みたいな言われようをせねばならんのか。フェリックス、もはやちょっと怖い。
フェリックスとの関係が悪化するのに比例するようにモルソフ夫人は衰弱し、ついには死の床についてしまう。今わの際にフェリックスを呼び、彼女ははじめて社会的な仮面を脱ぎすてて心情を吐露する。
「嘘やいつわりではなく、本当に生きるのよ。私の一生はずっと嘘ばかりでつづいてきたの。このあいだうちから、私、自分のごまかしを一つ一つ数えてみたわ。まだ生きたことのない私が、このまま死んでしまうなんてことがありうるかしら」
あまりうまくいかなかった夫婦生活の果てに35歳で死んでいく女性としては悲しい告白である。
それを聞いたフェリックス、「うわごとだ」などと言ってあろうことか全力でスルーするのである。
どう考えても、「自分もずっとあなただけを愛していた」と言って手をにぎりしめて看取ってやるところだろう。7年も付きまとって好きだ好きだ言ってたのはなんだったのか。
「以上、そういうことだからナタリー。今後ぼくがあなたの前で思わせぶりな態度とっても、過去の恋を思い出してるだけだからそっとしといてね」という文章でこのひどい恋バナの手紙はやっと終わる。
この小説のしめくくりは、それにたいするナタリーからの返信である。要するに「ばーか、ばーか(きわめて悪意の意訳)」という内容によりフェリックスはフルスイングでフラれて終わるのだ。ああ、すっきりした。
何がすごいと言ってバルザックである。この全然同情できない男の、言い訳がましい一人称の恋愛話を緻密に美しく書きあげる精神力たるや。最初からナタリー爆弾を落とすつもりでそこに向かって積み上げたんだろうか。それとも書いてるうちに嫌いになってきて、心の中にナタリーが芽生えてきたんだろうか。
最後でナタリーと最高の共感を得るためにがんばって読み通す280グラムというのも、ちょっといい読書だった。長いけど。