読んでない本の書評93「神曲 地獄篇」
259グラム。古い長編叙事詩とあって、一見読みにくそうに見えるが、読んでみると変わった人と生き物がたくさん出てきてお得。
ダンテは暗い森で道に迷っている。そこで出会った古代ローマの詩人ウェルギリウスの案内で二人は彼岸の国を遍歴する。地獄を巡り、煉獄を経て、天上界へとのぼっていく。そこには片思いのまま死別した永遠の淑女ベアトリーチェが待っていて魂を浄化してくれる。
2018年大晦日は、インスタ映えしない蕎麦を食べつつ紅白歌合戦を見た。
また知らない歌手が増えたなあなどと言い言いする一方で、米津玄師という人のパフォーマンスが印象的だった。ミケランジェロの『最後の審判』を背景にしたステージ。近しい人の死を悼む詩を歌うのが荘厳で、その後オンデマンドで何度か見返したほど忘れがたかった。
ダンテの『神曲』を読んでいて急に思い出した。あの時、舞台の前景で身悶えするように激しく踊っていた白いドレスの少女のようなダンサーは、ベアトリーチェではなかったか。
『神曲』の中でもなじみのある「地獄篇」は、かっこいいし、おもしろい。
著名人図鑑かというくらい人名がたくさん出てくるから、知った名前を発見すると、気の毒ながらも野次馬的にうれしくなったりもする。
クレオパトラが肉欲の罪で風に吹かれて飛び続けている様子はちょっと絵面を想像したくなる。あるいはイスラム教の開祖マホメットが二代目のバルタン星人みたいに縦まっぷたつに裂けている様子にはいくらなんでも差し障りがありすぎではないかと気を揉まされたりする。
空想動物図鑑として読んでも楽しい。人身牛頭(ミノタウロス)も、半人半馬(ケンタウロス)も鳥身女面(ハルピュイアイ)も、木になってしまった自殺者も、蛇も竜も鬼も巨人もドレが全部幻想的な挿絵にしてくれている。おかげで見慣れない形式の詩で書かれている文章はほとんど読まなくても倒錯的に熱中になれる。
ちょっと気持ち悪い、というのはどうしてあんなに魅力的なのか。
イタリア語はダンテが作り上げたと言って過言ではないらしい。つねにかみ砕いた日本語訳でしか手に取れないわたしにはそのあたりの業績については読んでもわからない。
しかし、それほどの天才の所業と思って地獄編を読むとまた味わい深い。緻密で壮大な設計図を作り上げる一方で、その中に自分の好きな人、嫌いな人を「あいつはだいぶ腹が立つから糞尿まみれの刑」とか言いながら配置していく様子を想像すると、天才も感情面では普通の人なんだな、と共感する。
だいぶ苦渋を舐めた人生だったらしいが、神に変わってお仕置きする瞬間はきっと楽しかっただろう。
やや地獄マニアな面もあってせっかく『神曲』を手にとってもアミューズメントパークのように楽しい地獄篇で満足してしまい、魂の救済をみたことが一度もない。しかし天才ダンテの意図はやはりベアトリーチェに会いにいかねばきっとまだ片鱗までも見えていないのだろう。
大晦日以来の米津玄師『Lemon』を聴きながら、そろそろ煉獄篇、天国篇まで進んでみようかなという気に、ようやくなってきた。