
北京入院物語(23)
やがて私はこの喫茶店に入り浸るようになりました。
彼女たちとはいつも楽しく遊んでいましたが、めったに客が来ない喫茶店に、2日に1回ほど大柄で品がよい人がコーヒーを飲みながら、タバコを1本吸いに立ち寄るのに気がつきました。
私は彼女たちとたどたどしい中国語で会話をしていましたので、その男性の方から気がつかれたのか、突然日本語で話しかけられました。
この方は実はJICA(国際協力事業団)の日本人派遣医師で、脳神経外科医のS先生でした。
S先生は国際医療部の回診の折に、文字通り「一服」をするためにこの喫茶店を利用されていましたので、一服が済むと席を立たれることが多かったのですが、喫茶店で日本人の私を見つけるとついつい長居をされ、いろんな話をしました。

今ではどんな話をしたのかは覚えていませんが、後からS先生から聞いたのですが、私の第一印象は変わったものだったようです。
先生曰く「ごく普通の人が、車椅子に座っている」というのです。
それは別の言い方をするならば、私は病人に見えなかったということです。
先生は職業柄多くの病人を見てこられましたが、私は病人らしくなかったと言われました。
私はその当時、毎日昼から外出し、喫茶店に入り浸り、北京を満喫していました。
顔色を変えるという言い方がありますが、私は毎日本当に楽しく、目新しい異国の文化に熱中していました。
きっと目は生き生きし、顔色も変わっていたでしょう。
私は病気のことをまったく忘れていました。
私の頭のどこを調べても「びょう気」の気がまったくなかったのです。
なんといっても、私は北京に遊びに来たからです。
北京入院物語(24)