noppo san

(1985年)脊髄性進行性筋萎縮症を発症。(2000年-2003年)北京で漢方治療のため入院。(2007年)両親を在宅で看護師と看取った経験よりホームヘルプセンターを共同で設立。自身は1種1級障碍者、介護保険利用者。

noppo san

(1985年)脊髄性進行性筋萎縮症を発症。(2000年-2003年)北京で漢方治療のため入院。(2007年)両親を在宅で看護師と看取った経験よりホームヘルプセンターを共同で設立。自身は1種1級障碍者、介護保険利用者。

最近の記事

北京ドタバタ旅行(66)

 そこそこというのは、いつもいつもと言う意味ではありません。同じ漢字でありながら全く違う意味を持つ「手紙」などという漢字があります。中国では手紙とは、トイレットペーパーの意味なのだそうですが、その意味を教わってから、だんだんこの手紙という漢字はむしろそっちの方がより意味を伝えているのではないかと思ったものです。  さて、余談になりましたが、そういうことで、タクシーの中には、運転手と私だけになりました。この運転手はどちらかというと無口です。乗り合わせている中国人のガイドが時折

    • 北京ドタバタ旅行(65)

       結局私たちは、頂上を少し過ぎたところにある、駐車場に車を止めました。しかしながら、駐車場から頂上付近の登り口まではだらだらした登りになっています。歩くとさほどではないのですが、車椅子の場合、かなりゆるめの傾斜でも押すとなると力がいります。  それに明の十三稜の時もそうでしたが、何となく雰囲気的に、ガイドはいやがっています。母が父を助け、ガイドが私の車椅子を押したら、なんとかなったかも知れませんが、それをわざわざガイドに言うのが、なんとなく言いにくい雰囲気がありました。冷静

      • 北京ドタバタ旅行(64)

         ストリップで言うなら、ちょっとだけよみたいなものが見え始めました。山並みは高く険しく、車の窓のかなり上の方にほんの少し、この壁が見えるだけです。私はどうもうまく体を低くできません。高速道路と平行に走る線路を眺めていました。  ふいに、フロントガラスの向こうに大きな山の中腹から、山頂までが見えます。その中腹から山頂にかけて、色とりどりのカラフルな色が連なっています。それは万里の長城を登っている人々の姿でした。それはたしかにびっくりするような光景でした。青々とした山の中腹から

        • 北京ドタバタ旅行(63)

            万里の長城  八達嶺は明の1505年に築造されたもの。さらに北には外辺と呼ばれる壁があり、ゆえに八達嶺は内辺ともいう。ちなみに、八達という名は四方八方に通じるという意味の“四通八達"から取られている。高さ7.5メートル、上部の幅4メートル。騎馬5列、兵士が10列で進むことができる広さだという。また、城壁には銃眼も開けられている。約10メートルごとに城楼が設けられていて、ここは兵士が見張りに立ったり、詰め所として利用された。八達嶺の長城は万里の長城のなかでも最も壮麗といわ

          北京ドタバタ旅行(62)

           こういう観光客が来るようなレストランは必ずと言っていいくらい土産物屋がセットになっています。むしろ土産物屋がレストランを経営いているような感覚を受けます。何しろレストランの数倍の売り場面積があるのですから。その土産物屋は友誼商店という名前が付いていました。  友誼商店というのは一昔前まで、外国人だけが買うことが出来る国営商店だったのです。なんでも買うときにパスポートを見せる必要があったそうです。最近は現地の中国人も利用できるようになったそうですが、その国営商店がこのレスト

          北京ドタバタ旅行(62)

          北京ドタバタ旅行(61)

           おいしいお肉料理を平らげて、お皿にはなにも残っていません。そうしますと、オネーサンがやって来て、何か中国語で言い始めました。分からないので、紙に書いてもらいました。大半の漢字は意味不明でしたが、ただ私の目を釘付けにした漢字がありました。  狗!  この漢字をご存じない方もおられるかも知れませんが、これは「犬」の事です。私たち親子がおいしいおいしいと言っていたのは、実は犬の肉だったのです。それをもう1皿どうですか?とオネーサンが聞いているのだと分かりました。確かにおいしか

          北京ドタバタ旅行(61)

          北京ドタバタ旅行(60)

           例の土産物屋のポケットがいっぱい付いたチョッキに後ろ髪を引かれるような思いの父を乗せ、サンタナは昼食に向かいました。私たちは中国滞在3日目にして、初めて一般観光客が立ち寄るような、値段の高いレストランで昼食を取ることとしました。どのくらい高い値段かというと、お1人様50元(650円)という料理です。  もはや中国滞在3日目にして、息子はしっかりと中国人化し、50元の昼食は 「た、たかいなぁ」 という物価感覚を持つに至りました。しかし前にも言いましたが、中国では50元有れば

          北京ドタバタ旅行(60)

          北京ドタバタ旅行(59)

           いい加減待ちくたびれたころ、やっとガイドと両親が戻ってきました。私は中の様子が分かりませんが、カメラを母に渡していましたので、数葉の写真を納めたようです。    さてそれではお昼ご飯に行きましょうということになったのですが、運悪く、土産物屋の前を通ったのです。それは綿菓子を買って欲しいと言い続る子供が綿菓子屋の前を通りかかったようなものです。  誰が子供かというと、父です。父は基本的に薄っぺらい大人の分別の直ぐ下に、綿菓子をほしがる子供の心をそのまま持っている人ですの

          北京ドタバタ旅行(59)

          北京ドタバタ旅行(58)

           こういう観光地ですので、駐車場の端はぐるっと土産物屋が並んでいます。大きなスピーカーからは中国語で「ファンユン、ファンユン」としつこいほど声が響いています。ファンユンというのは、中国語で欢迎、日本語ですと「歓迎」と書きます。まぁようこそ、ようこそと言っているわけです。  私は木陰で土産物屋を見ていたのですが、きらびやかなチャイナドレス、傘、チョッキとか衣類を中心に並べて売っています。小さな店の割に、売り子は3、4人いて、西洋人がバスから降りてくると 「ハッロー」 などと、

          北京ドタバタ旅行(58)

          北京ドタバタ旅行(57)

          明の十三稜   明の第3代皇帝永楽帝以降、明王朝最後の皇帝となった第17代崇禎帝まで、13人の皇帝の陵墓がある。13の陵墓のうち、最大規模を誇るのが永楽帝の長陵であり、これを中心にして他の皇帝の陵墓が左右に並んでいる。このうち、現在陵墓内の地下宮殿が公開されているのは第14代万暦帝の定陵のみ。  毎度の事ながら、まず車椅子で行けるか行けないかと言うことを最初に確かめねばなりません。地下に降りていく定陵という墓は止め、比較的簡単に行ける墓と言うことで長稜に向かいました。

          北京ドタバタ旅行(57)

          北京ドタバタ旅行(56)

           1人感心したり、驚いたりしていますと、サンタナは北京市内から全長62キロメートル、上下3車線、計6車線の八達嶺高速道路に入りました。  今日はまた抜けるようないい天気で、車内は街角の小さなタクシーには付いていないようなエアコンが効いて、実に気持ちがいいです。高速道路は新しく、私たちが100キロで走っていても、スピードを感じません。時折、アウディーがすごいスピードで追い抜いていきます。道路はどこまでもまっすぐで、回りの景色はゆっくりゆっくり流れ、本当にのどかです。後部座席の

          北京ドタバタ旅行(56)

          北京ドタバタ旅行(55)

           さらに郊外に行く足の問題がありました。電車もバスも使えません。いろいろ検討していると、旅行会社の叶琳さんが格安でタクシーのチャーターを申し出てくれました。そんなわけで、運転手付きの大型自動車で、今日1日観光地を回ると言うことになりました。  朝は例によって冰咖啡を飲んでいると、約束の9時きっかりにガイドと運転手がホテルにやってきました。車はライトグリーンの2000CCのサンタナです。運転手はどういうのでしょうか、厳ついというのか、でかいというのか、巨体の運転手で、太い腕を

          北京ドタバタ旅行(55)

          北京ドタバタ旅行(54)

           何分エジプトがインドの隣と思う母ですから、ナイアガラとグランドキャニオンは道1つ挟んだ筋向かいぐらいにあると思っているようです。太平洋を越えるのに10時間以上かかると言うことも分かっていません。行きたいところがまずあって、自分の体力のことが頭にないのです。父は買いたいものがまずあって、財布のことが頭にないのです。  しかし両親ともに高齢で、もう2度と万里の長城に行く機会はないでしょう。何とか両親には万里の長城を見てもらいたいと、それこそありとあらゆる資料を探し回りました。

          北京ドタバタ旅行(54)

          北京ドタバタ旅行(53)

          息子はこういう風に考えていたのですが、母は全然違いました。この万里の長城にはどうしても自分は登るというのです。  だんだん調べていきますと、この長城というのは、恐ろしく傾斜のある階段があり、大の男でも息が切れると言うことです。階段を写した写真を見ても45度位の傾斜が、長く続いています。年寄りの冷や水というのでしょうか、無理にこんな所に行って、翌日動けなくでもなったらどうしたらいいでしょう。  私は写真を見せて、傾斜が急で、年寄りには難しいと説得にかかりました。  母は私

          北京ドタバタ旅行(53)

          北京ドタバタ旅行(52)

           朝起こしに来てくれた従業員は、昨晩と同じ顔ぶれでしたから、説明に多くの時間はかかりません。とにかく車椅子まで移してもらうと、後は何とか出来ます。昨晩と同様、なにがしかのチップを2人に渡しました。  私はチップ反対派ではありません。やはり円滑なサービスを受けるためには必要ではないかと思います。ただ不必要な場面までチップを渡していると、いつの間にか、そのことが当たり前になってしまうと言う雪崩現象は避けたいと思ったまでです。  北京第3日目は、あの月から見える唯一の人工物であ

          北京ドタバタ旅行(52)

          北京ドタバタ旅行(51)

           そんなことで念願だった北京烤鴨をお腹に入れてホテルの部屋に戻ると、フロントから電話があり、FAXが届いていますと言うことです。母に取りに行ってもらうと、旅行会社の叶琳さんが英文で3ページにも渡って色々なことを書いてきてくれました。  その内容は少々プライベートにまたがりましたが、ただその中で、彼女が私と会ったその晩夢を見て、私が1人で万里の長城を自分の足で歩いているのを見て、信じられなかったということを書いてきました。そしてその夢が実現することを望むと結ばれていました。初

          北京ドタバタ旅行(51)