北京入院物語(76)
酒谷先生が、中国医学に対し本を書こうと思いたった理由の1つは、この私の回復結果に驚いたからだと後で聞きました。
しかし私は何度も言うように、治療のために中国にやってきたわけではなかったので、先生ほど驚いたわけではありません。
私には苦い思い出があります。
昭和63年夏、プレドニゾのパルス療法が効くかも知れないということで、すがるように長期入院した結果、なんの効果もないまま寂しく退院した過去があるのです。
発病から日がたつにつれ、治るとも治らないとも考えなくなっていきました。
絶望したわけではありませんが、医学に対する信頼感が薄くなっていくのは、どうしようもありませんでした。
やがて大きな出来事があり、難病と生きる意味を見出し、不安は次第になくなり、むしろ安定感のようなものが生まれてきました。
それは私の頭の中から、病気に対する意識が消えていく過程でもあったのです。
そんなことはどうでもよくなり、簡単に言うと「病気と思わなくなった」ということです。
中国に渡航する少し前から、筋萎縮はあまり感じなくなっていました。
そんな意識で中国にやってきましたので、筋力が回復してきたといってもさしたる実感も喜びも沸いてきません。
北京入院物語(77)