渡る中国にも鬼はなし(15/67)
第3章 中国第2日目 蘇州 (15/67)
おもいやり
レセプションが済んで、我々一行はこのときほんの少しだけ時間ができたのです。私としては昨夜カクテル光線の下で見た、深く深く必要以上に切れ込んだチャイナドレスのことが印象に残っていましたので、当然というか、もはや規定の行動として1階のラウンジに向かいました。ここは夜はラウンジ、朝は喫茶店になるらしく、コーヒーやオレンジジュースとかを外人客に出すことになっていました。我が訪中団の方も、1名コーヒーを飲んでいましたので、その人に段差の介助をお願いして席に着きました。
チャイナドレスの姉さんがオレンジジュースを持ってきた時、何か変なものを感じました。このオネーサンは伝票を持ってこないのです。したがって客が立て込めば、一体だれがお金を払ったのか分からなくなるおそれがありました。お金は先でも後でも良いとその人に言われたのと、深く深く必要以上に切れ込んだチャイナドレスのオネーサンをどういうふうに呼んだらよいのか分かりませんでしたので、後でもいいやと思っていました。
時々チャイナドレスのオネーサンが通るので私は目線を合わせてお金を払う意志を見せようとしましたが、どういう訳か1回も視線は絡まることがありませんでした。 出発時間は午後2時でしたが、気が付くと集合時間が来てしまいました。
お金はまだ払っていません……。
私はお金を払おうと口を開いたとたん、コーヒーを一緒した男性が私の車イスを押してしまいましたので、お金を払わないまま、その店を後にしてしまいました。支払う気持ちはありながら、いわゆる無銭飲食をしてしまいました。しかも私の場合は、目が覚めたまま布団の上で寝ションベンをしたようなものでしたので、はなはだ気持ちが悪いのです。
集合場所はそのラウンジからさして遠くない場所で、その店のチャイナドレスも見えます。こちらから見ているとどうも様子が変です。数人が集まってチラチラとこちらを見ています。けっしてオレンジジュース代をねこばばしようとは思いませんでしたが、伝票も客に持ってこない店ではたして気が付くのかどうか、やや意地悪な気持ちで眺めていますと、1人の女性が私の所にやって来て、そのとき初めて私は伝票なるものを見ることができ、あわててサービス料を含めて22元ほどを払うことになりましたが、何となく後味の悪い思いをしたのは事実です。
午後からはまず、蘇州の東園という公園内にある亀岡園を訪ねました。私と母がなぜこの写真に写っていないかというと、この記念碑は敷地の周りをぐるーと垣根がしてあって、車イスでは中に入り込むことができなかったからです。
中国に着いて2日目のころは、「皆さんにこういうことを頼めばどう思われるだろうか?」そんな遠慮ばかりでした。皆さんが記念撮影をしているのをやや寂しい思いで眺めていました。
この後同じ敷地内にある金沢市(蘇州市と正式な姉妹都市)の金沢園を訪ねることにしましたが、少々厄介なことになってきました。道を進むにつれ次第に上り坂になってきます。このとき私は母に車イスを押してもらっていたのですが、車イスというのは歩くとたいしたことのない上り坂でも押すとなると信じられないほど力が要ります。訪中団の皆さんは、そんなことは知りませんから、どんどん上り坂を上っていかれます。とうとう傾斜はきつくなり、坂の上にはぽっかり空がのぞいています。私はその真っ青な空を見て、やや絶望的な気分になっていました。
「やっぱり、ここで待っています...」そう言おうとした時です。
実に自然に、極々当たり前のように訪中団の中の1人が母に代わって車イスを押してくれました。もしこのとき、私の心中の苦しみを肌で知り、そっと手を差し伸べてくれる男性がいなければ、この日は落ち込んだ1日になったことだと思います。
その坂はこの男性の力で何とか越えられたのですが、金沢園はさらに階段を登らないと行けない事が分かってきましたので、母と私とその男性3名だけは、金沢園を囲む外周道路を通ってバスまで戻ろうと別行動を取りました。
その外周道路を抜けてバスに戻ろうと歩いていると、その日は土曜日で、中国晴れの快晴でしたので、園内には私たち日本人観光客以外にも多くの中国人が余暇を楽しんでいます。坂を上りきった所のベンチにも中国人の若いアベックがぴったりと体を寄せています。
大体アベックというのは、「世界は2人のためにある」と思っている不思議な人種ですので、すぐ近くを日本人観光客が通ろうが、アメリカ人が通ろうが、はたまたライオン、虎、象が横を通ろうが一切意に介しません。というより自分たちの世界以外の物はほとんど目に入らないのです。むしろ私たちのほうがアベックのその親密ぶりというか、中国人の彼の手が彼女の腰当たりに伸び、彼女が彼の胸の中に顔を埋めているような光景に、気恥ずかしさを感じるような始末です。
ふと気づくと抱き合っているカップルが公園のやや薄暗い木の下、青々とした芝生の上――あちこちに見られました。いや別に中国人は公園で抱き合ってはいけないという法律があるわけではなく、毛沢東の高度な精神主義から鄧小平の解放改革路線に変化する過程で、中国の恋人事情にもなにがしかの変化があり、こういう光景が見られるようになったのだろうと思ったまでです。
間違ってもそばをすり抜ける時「世界は2人のためにある」と思っているカップルに対して
「ニーハォ!」
だのという言葉はかけるべきではなく、我々3名は早々にカップルの脇をすり抜けて行ったのでした。我々3名を別行動隊とすれば、本隊15名も程なくバスに到着し、土曜の午後3時ころ、次の訪問地である蘇州市図書館に向かいました。