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渡る中国にも鬼はなし(18/67)


 第3章 中国第2日目 蘇州 
ファッションショー


  その後、バスは蘇州市シルク工場に立ち寄って、シルク製品の買い物をした後、ホテルには6時半ころに到着しました。

 いちいちどなたが私をバスから抱えて下まで下ろして頂いたのかも覚えていませんが、この作業が力がいる作業であることは間違いなく、いつとはなしに力のある人、若い人を中心にした合同作業チームができあがっていました。そのあたりは私にはうかがい知れませんでしたが、さっきはあの人がしたから、今度は自分がしようということが暗黙のうちにできあがりつつあったように思います。つまりいたわり合うのが、健常者と障害者の間だけでなく、健常者の間にも広がったということです。

 その自然発生的に成立した合同作業チームによって、私は5泊6日の中国旅行が無事できたのであり、この協力なしには私は到着した上海空港から1歩も先に行けなかったのは間違いありません。いわば私はその合同作業チームによって作り上げられた作品とでもいうものであり、ただ単に御輿(みこし)の上に乗って、1歩も歩くことなく中国旅行をすることができたのです。

 すでに「うんこ」をしてから2日目となり、予定では明日か明後日にはどこかでしないといけませんが、「なるようになる」という自信が少しずつできてきました。というのも、今日までにも実に多くの人の真心の介助でここまで来れたのですから、これから以降もまたなんとかなるだろうという信頼感というものもできてきたからです。

 夕食の後、いったん部屋に戻り、今度は夜のファッションショーの見学が待ちかまえていました。この日は我が訪中団としての公式訪問地がぎっしりで、朝のシルク祭パレード見学.蘇州国際会議展示センター.蘇州市人民政府主催の歓迎レセプション.亀岡園.蘇州市図書館.蘇州中学校.シルク工場とこのときまでに7ヶ所の見学をこなしていたのですから、母が部屋で「このファッションショーをいかんでもええか?」と聞いたのは当然かなという気がします。

 しかし、なんと言っても市長直々の壮行会で、壇上で一人一人紹介を受け、おまけに亀岡国際交流協会から金1万5千円を頂いた私としては、このファッションショーも公式行事としての一環であると深く深く自覚していましたので「おかあさんが無理なら私だけでも行く!」毅然(きぜん)と言い放ったところ「息子だけお世話になって親がてれーとホテルにいるわけにはいかない」と折れて、同行することになりました……と書くとかっこいいのですが、その実は私はファッションショーというものを見たことがなく、この機会に中国人のきれいなオネーサンのショーを見てみたいという気持ちも少しあったのです。

 蘇州市人民大会堂に降りてみると、たいした傾斜ではありませんでしたが、それでも10段以上の長い階段が正面玄関にあり、ここ以外に入り口がなかったので、数名の男性に車イスごと御輿(みこし)のように抱え上げてもらい、中に入りましたが、中は中でまた階段になっており、あわてて係員がエレベーター前まで私を連れていきました。



 ところが、このエレベーターは普段使用しないらしく、中国のエレベーターには金庫のように鍵がかかっており、どういう理由か用意したキーでは開きませんでした。仕方ないので別のエレベーターを探しだし、やっと2階席に着いたのです。

他の人は中央階段をなんの気なしに上がっていかれたのですが、車イスの私はすでに2階に上がるだけでもこういう現地の人のお世話になり、いろいろな事件があり、やっと2階にたどり着いたのです。

 けれども、鍵付きのエレベーターで蘇州市人民大会堂の2階に上がれるのは、恐れ多いことながら、中国国家元首と蘇州市長くらいでしょう。車イスの私もまた同じ扱いを受けたのですから、人は車イスになったからと言って、そうそう嘆く必要もないのです。

 訪中団の一行はそれぞれ所定の席に着いたのですが、映画館のように傾斜のある席でしたので、私はそこまで行けず、仕方ないので、入り口付近の壁側にいました。

 ファッションショーはちょうど午後8時半に、子供達数名の踊りから始まり、それ以降は、舞台両袖からシルクをまとった中国人の背の高いオネーサンが現れ、舞台の正面まで行ってまた元に戻り、そこで静止すると、音楽がぱっと止んで、暗転、両袖に下がるということを何組も何組も繰り返していました。



 いい加減、同じ繰り返しで飽きてきたころ舞台中央に琴が置かれ、日本から招いたと思われるやや年輩の女性と、手に胡弓を持った男性が現れ、2人が大きくうなずくのを合図に、連奏が始まりました。その連奏の後、今度は花魁(おいらん)を思わせるような着物をまとった日本女性の舞踊、この後、振り袖、打ち掛け、留め袖などを着た日本人女性が多数登場しました。最後にオールキャストが舞台で手を振る中、エンディングを迎えました。



 例によって蘇州市人民大会堂正面の長い階段を御輿(みこし)になって降り、ホテルに戻ってきたのは午後10時を回っていましたので、私は早々に夜のおつとめを済ませ、眠りにつきました。

渡る中国にも鬼はなし(19/67)


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