ジェイラボオープンWS準備記事「世直し系Youtuberについて考える」
今年からジェイラボでYoutubeを用いてオープンワークショップ(以下オープンWS)を行うことになった。所長とラボメン数名で、あるテーマを事前に決めておいてそれについてYoutubeのライブ配信で議論するという活動だ。
記念すべき第1回目のテーマは「世直し系Youtuberについて」である。その大枠のテーマの中で問題提起や意見の切り口は各自で自由に設定することになり、Youtubeのライブ配信の事前準備として一旦note記事で各自の意見や思考を共有するという流れで今回は行っている。今回の記事はその立ち位置の記事なのでこの記事を読んでいただいた方はぜひYoutubeライブでのオープンWSの方も覗いてみていただきたい。
それでは早速本題に入っていこうと思うが「世直し系Youtuberについて考える」にあたって「世直し」について考えていきたい。
「世直し」とは「世の悪い状態を改善すること」だが、では「世の悪い状態」とはなんだろうか。パッと思いつくものは戦争、差別、飢餓、そういったことであるが世直し系Youtuberが改善のためには長期的な活動が必要になるそれらの大きな問題の解決に取り組むはずもなく、彼らが扱っているのは動画にすれば再生数が伸びそうな分かりやすくて共感が得られやすそうで彼ら自身も手が届きやすく解決した感を出しやすい問題や事象(マルチ商法で不正な勧誘をしている団体に対して違法であることを指摘をすることや痴漢の私人逮捕等)に対してアプローチした動画をYoutubeにアップして「世直しした!」と声高に叫んでいるのが実態だろう。だから世直し”系”とも言えるのかもしれないが。
しかしこういった反論もあるかもしれない。「マルチ商法や痴漢は実際犯罪だし、世直し系Youtuberの行動によって犯人が逮捕できているならそれは世直しになっているのではないか?」
もちろん私も犯罪行為をしている者は適正に逮捕され正しく法で裁かれるべきだと思う。しかし世直し系Youtuberのやっていることは「私刑」である。痴漢をした犯人が法で裁かれることと世直し系Youtuberが勝手に加える制裁は分けて考えるべきであり、世直し系Youtuberの投稿によりネット上でリンチすることを許してしまえば司法の機能自体が麻痺していく。また世直し系Youtuberの匙加減、あるいはネット上での閲覧数に依存して、司法を介さず犯人を社会的に殺してしまうことも大きな問題だ。そして本来警察によって行われるはずである事情聴取や取り調べといった冤罪を防ぐ機能が無いことも忘れてはいけない。
世直しどころか世直し系Youtuberの活動が社会に広まっていってしまえば新たな社会問題になると私は危惧している。
ここでもう一つ考えていただきたいことがある。世直し系Youtuberが世直し系Youtuberであるためにはそれを「見る人達」が必要である。「見る人達」がいなければ世直し系Youtuberとしての生計は成り立たないため、自然と世直し系Youtuberという存在自体が消えていくはずである。
上で私が述べたような世直し系Youtuberの活動の社会への悪影響を鑑みれば、Youtubeの運営側から収益停止の措置が施されるのも当然だと私は思う。
しかし現状そうはなっていないということはどういうことだろう。
つまり、Youtubeのコンテンツはその動画の社会的な影響への精査が全然追いついていないのだ。そして我々はそれをあまりに無防備に日々見ている。
日本のYoutubeの利用者数は約7,840万人と言われている。