見出し画像

ヌーソロジーにおいて神話とは(2)

出雲在住、NOOS WAVEスタッフすさのわです。

ヌーソロジーにおいて神話とは?というテーマでMagazineに記事を書いています。
今回はその第二弾!

ヌーソロジーにおいて神話はどのように解釈されているのか?
実際にヌーソロジー提唱者の半田広宣さんもドゴン族の神話や古事記のお話を過去のレクチャーでされたこともあります。

ヌーソロジーと神話は根っこのところで繋がっている感があり、半田さんとチャネリングで繋がっていた知的生命体OCOTは古い日本の神様に関しての質問には即答だったと、振り返り話されていたこともありました。

ヌーソロジーを深めていく上で、押さえておいた方が良い分野であると思います。

そこで、出雲在住のすさのわが出雲から神話のお話をしていこうという趣旨で記事を書いています。

今回第二回目のテーマはズバリ出雲神話です。

ただの日本の神話ではなく、出雲神話
出雲で語られている神話について出雲視点を意識して書いておこうと思います。
なので、今回はまだヌーソロジーとの関連は出て来ません。

全国で唯一神在月がある出雲。
まずはきちんと出雲神話についてまとめておきましょう。

・出雲神話とは・・・? 神話の三分の一は出雲が舞台

出雲神話とは出雲地方を舞台とした神話、また、出雲の代表的な神々が主人公として活躍する神話と捉えています。
例としては、スサノオのヤマタノオロチ退治、オオクニヌシの因幡の白兎などが挙げられます。

この神話はどこに書かれているのでしょう?
ご存知の方も多いと思いますが日本最古の書物とされる「古事記」「日本書紀」です。
「古事記」「日本書紀」は、ともに八世紀前半、奈良時代の朝廷が、この国の成り立ち整理しておこうとまとめた書物です。
日本の国土を創世した神々の物語に始まり、やがて代々の天皇の話へと続いて行きます。
このうち、神々の御代を記した部分の三分の一が出雲神話にあたります

そして、もうひとつ、出雲の神々が登場する書物に「出雲国風土記」があります。風土記というのは「古事記」「日本書紀」と同時期に奈良時代の朝廷の命令によって全国各地でまとめられたもので、その内容は当時の各地方の情報をまとめた報告書のようなものです。

この風土記の中で「出雲国風土記」だけが唯一、ほぼ完全な形で残されていて、最も完本に近いとされています。
出雲側が記した内容が多く残っているので、朝廷が書いた内容と照らし合わせることも出来ます。そして実際に記された土地、地名があるのですが、それが現在まで伝わり、今でも使われているのです。
神話と言いながら、現在もその舞台とされる場所が存在している。
神様と人間の境目なんて、分かりようがありませんませんが、出雲の地で神様について想いを馳せることはその両方に跨って、思索をすることになると思うのです。

そんなスペシャルな土地から、出雲神話についてお届けしようと思います。

・出雲神話その1 国引きの神話 

出雲神話としてまず挙げたいのが国引き神話です。
この国引きというワード。実は島根ではかなり有名です。
なぜなら、くにびきと名のつく建物や、道路などたくさんあり、出雲の至るところで、神様が綱を引っ張っている絵などを目にします。

国引きの様子

この綱を引っ張っている神様をご存知でしょうか?
この神様はスサノオでもオオクニヌシでもありません。

ヤツカミズオミズヌノミコト(八束水臣津野命)という神様です。
まずはヤツカミズオミズヌノミコトが出てくる国引き神話について説明します。

ヤツカミズオミズヌノノミコトは出雲の国を見渡して「この国は、細長い布のように小さい国だ。どこかの国を縫いつけて大きくしよう」とお思いになりました。

そこで、どこかに余分な土地はないかと海の向こうを眺めると、新羅に余った土地がありました。ミコトは、幅の広い大きな鋤を使い、大きな魚を突き刺すように、ぐさりと土地に打ち込み、その魚の身を裂いて切り分けるように土地を掘り起こし、切り離しました。

そして三つ編みにした丈夫な綱をかけて、「国来、国来(くにこ、くにこ)」と言いながら力一杯引っ張ると、その土地は川船がそろりそろりと動くようにゆっくりと動いてきて出雲の国にくっつきました。

こうして合わさった国は、杵築のみさき【出雲市小津町から日御碕まで】になりました。
その時、引っ張った綱をかけた杭が佐比売山【さひめやま、現在の三瓶山】で、その綱は薗の長浜になりました。

その後も、ミコトは北の方の国から同じように狭田の国【小津から東の鹿島町佐陀まで】と、闇見の国【松江市島根町のあたり】を引っ張ってきてつなぎ、最後に北陸地方の高志の国から引っ張ってきた国が三穂の埼【松江市美保関町のあたり】になりました。

この時、ミコトが引っ張った綱をかけた杭は伯耆の国の火の神岳【ひのかみたけ、現在の大山】で、持って引っ張った綱は夜見の島(弓ヶ浜)になりました。

そしてミコトは「国を引くのが終わった」とおっしゃって、杖をおつきになって「おえ。」と言われたので、その地を意宇というようになりました。

というようなお話です。

この国引き神話は出雲国風土記の冒頭に書かれている内容です。
反対に「古事記」「日本書紀」には書かれていません。

全国的にはあまり有名ではないヤツカミズオミズヌノミコト。
朝廷によって書かれた書物には登場しないのに、出雲国風土記では一番最初に書かれている神様・・・

これには何か大きな意味があるのでしょう。

これ以上深追いはしませんが、奈良時代以前、出雲で大きな力を持っていた王のような存在だったのかもしれないという推測は出来ます。

・出雲神話その2 黄泉の国

次は黄泉の国、主に出てくる神様はイザナギ、イザナミです。
イザナギ、イザナミは夫婦神で国生み、神生みをしました。
黄泉の国のお話は国生みの最中に妻神様のイザナミが死んでしまうところから始まります。このお話は古事記に記載があります。

イザナミは火の神を産まれたとき、焼け死んでしまわれ、黄泉の国へ去っていかれました。
夫のイザナギは亡くなった妻神様のイザナミに会いたくてたまらなくなり、黄泉の国に会いにいくのです。
そこでイザナギはイザナミに「まだ国生みは終わっていない。一緒に帰って国作りをしよう」と言いました。
それに対し、イザナミは悲しそうに「残念ながら、もう遅いのです、貴方が早くおいでにならなかったから、黄泉の国の食事をしてしまった。だから帰れない」と答えました。
やがて、思い直されて「せっかく愛しの貴方がおいでになったのだから黄泉の神に相談いたします。その間、決して私を見てはなりませんよ」とイザナギに伝えました。

イザナギはしばらく待っていましたが、とうとう待ちきれなくなり、火を灯しイザナミを探しに行きました。
イザナミを発見するのですが、その姿はうじ虫がたかり、腐敗し、見るも無惨なものでした。
これを見て驚いたイザナギは驚き怖れて、黄泉の国から逃げ帰ろうとされました。
「あれだけ見てはいけないと言ったのに、貴方はよくも私に恥をかかせましたね」と言いイザナギを追っかけます。

そこでイザナギは大きな岩を持ってきて、黄泉比良坂の入り口を塞いでしまわれました。
ここで岩をはさんで各々が向き合い、言葉を交わします。
イザナミは「貴方がこんなことをなさるなら、私は貴方の国の人を一日に千人絞め殺しましょう」とおっしゃいました。
するとイザナギは「お前がそのようなことをするなら、私も一日千五百の産屋を建ててみせよう」とおっしゃいました。
というわけで、この国では一日に必ず千人が死に、千五百人が生まれるのです。

この話からイザナミはヨモツオオカミ(黄泉大神)とも言われます。黄泉比良坂の穴を塞いだ大きな岩はチガエシノオオカミ(道返之大神)と名付けられ、また黄泉の穴を塞いでいるので、ヨモツトノオオカミ(黄泉戸大神)とも言われます。

この黄泉比良坂は今の島根県松江市東出雲町にあります。

黄泉比良坂 松江市東出雲町揖屋

・出雲神話その3 ヤマタノオロチ

高天原で乱暴を働いたスサノオノミコトは高天原から追放されます。
そこでスサノオは出雲に天下って、恐ろしいオロチを退治します。

このオロチ退治は出雲神楽で、最も有名な演目です。神社の奉納神楽、夏祭りなどでもよく演じられ、出雲地方に住む人々にとってはとても身近な存在です。
この話は「古事記」にも「日本書紀」にも出てきます。

ヤマタノオロチの神話はスサノオの追放にはじまります。
父神の命令を聞かず、亡き母に会いたいと泣き続けるスサノオを父神は追放します。スサノオは姉である日の神、天照大神のいる高天原に行きますが、そこで散々乱行を働いたために天照大神は岩屋戸に隠れてしまいます。日の神が隠れたことにより世界は暗闇となり災いが訪れ、これは大変と高天原の八百万の神たちは計略をもって天照大神を岩屋戸から引き出し、スサノオを追放します。
またもや追放されたスサノオが降り立ったのが、島根県奥出雲町の鳥髪という地でした。(出雲市を流れる斐伊川の源流である船通山にあたります。)
そこからしばらく行くと、美しい娘「奇稲田姫」と老夫婦が泣いており、聞けば恐ろしいヤマタノオロチに娘が食われてしまうといいます。スサノオは娘を嫁にもらうのと引き換えに、ヤマタノオロチを退治することになりました。

スサノオはヤマタノオロチに酒を飲ませ、酔っ払っているうちにやっつけようと策略します。
ヤマタノオロチは頭が八つ、尾も八つの巨大な蛇です。
それに見合う大きな酒樽を八つ用意し、仕掛けます。
そこにやってきたオロチは全てを飲み干し、酔っ払って眠ってしまいました。
ここぞとばかりにスサノオは身に付けていた十握の剣でズタズタに斬り裂きました。尾を斬った時、かちっと音がして、剣の刃が少し欠けました。なんだろうと尾を斬りさいて見ると、一本の剣が出てきました。これが三種の神器のひとつ、草薙の剣です。元の名は天叢雲の剣(アメノムラクモノツルギ)と言っていたそうです。オロチがいるところにはいつも雲がかかっていたので、そのように名付けられたようです。日本武尊の時代になって草薙の剣と改められたようです。
スサノオは「これは不思議な霊剣だ。私が持っているわけにはいかないだろう」と言って、高天原の天津神に献上なさいました。

スサノオはオロチ退治をされると、結婚生活に都合の良い土地を求め歩かれ、出雲の国の中で、清々しくなる場所を探し当てられました。
「私の心はすがすが(清々)しくなった」とおっしゃり、今ではこの土地を須賀と呼んでいます。
そして、この場所に新居の宮を建てられ、和歌を詠まれました。

八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣作る その八重垣を

この神社が島根県雲南市にある須我神社です。

須我神社

そして、共に交わり子神オオナムチノカミ(後にオオクニヌシと同一神)をお生みになりました。
それから命令を下して「私の子神の宮の管理者はアシナヅチ・テナヅチにする」そこでこの二柱の神に、イナダノミヤヌノカミ(稲田宮主神)という名をお与えになり、オロチ退治の一件が落着すると、スサノオは根の国へ旅立たれました。

・出雲神話その4 大国主命の物語

大国主と言えば、有名な因幡の白兎のお話。
大国主を祀る出雲大社の境内にはたくさんの兎のモニュメントがあります。

因幡の白兎のお話はあまりにも有名ですね。
このお話は古事記にのみ載っています。

因幡の白兎の神話は、大国主命が毛皮をはがされたウサギの話を聞いていくところから話が始まっていきます。
昔々、隠岐の島に住む1匹の白兎が、ある姫神に会いたいと思い因幡の国へ行きたいと考えていました。しかし、隠岐の島と因幡の間は海でとても自力では渡れません。
こで白兎はワニザメをだまして向こう岸に渡ろうと考え、「ワニザメさん、君たちの仲間と僕たちの仲間とどちらが多いか比べてみようよ」と提案し、 ワニザメを因幡の国まで並べさせ、その上をピョンピョンと渡っていきました。
そしてもう少しで向こう岸に着こうというとき、あまりの嬉しさについ、「君たちはだまされたのさ」と言ってしまいました。 それに怒ったワニザメは、白兎の体中の毛をむしり取り、あっという間に丸裸にしてしまいました。
丸裸にされた白兎がその痛みで砂浜で泣いていると、そこに大国主命の兄神様が大勢通りかかり(大国主命の兄神達は、隣の因幡の国に八上姫という美しい姫がいるという噂を聞きつけ、 自分のお嫁さんにしようと、因幡の国に向かっている途中でした)、 面白半分に「海水で体を洗い、風に当たってよく乾かし、高い山の頂上で寝ていれば治る」と言いました。 白兎が言われたとおりにしてみると、海水が乾くにつれて体の皮が風に吹き裂かれてしまい、ますますひどくなってしまいました。
あまりの痛さに白兎が泣いていると、兄神達の全ての荷物を担がされて大きな袋を背負った大国主命が、兄神達からずいぶんと遅れて通りかかり、白兎に理由を尋ねました。 そして、「河口に行って真水で体を洗い、蒲の穂をつけなさい」と言いました。
白兎がその通りにすると、やがて毛が元通りになりました。 たいそう喜んだ白兎は「八上姫は兄神ではなく、あなたを選ぶでしょう。 あのような意地悪な神様は、八上姫をお嫁にもらうことは出来ません」と言い残し、自らが伝令の神となって、兄神達の到着より前に、この事実を八神姫に伝えたのでした。
これを知らない兄神達は、先を競って姫に結婚を申し込みましたが、姫はそっけなく対応し、「私はあなた方ではなく、大国主命の元へ嫁ぎます」と言い、兄神達を追い返したのでした。

このお話から大国主の優しさや大らかさが今に伝えられています。
出雲大社にはその雰囲気、パワーが溢れている気がします。

出雲大社

・出雲神話その5 国譲り

そして最後は国譲りです。このお話は「古事記」「日本書紀」の両方に出てきます。

出雲の国は大国主が治めていました。
しかし高天原を治めていた天照大神はその様子をご覧になり、「葦原中国(あしはらのなかつくに)は我が子が統治すべき」とお思いになりました。
※葦原中国・・・色んな解釈がありますが、ここでは出雲地方を指す解釈

そこでアマテラスは「先に行って地上の神たちを服従させなさい」とおっしゃってアメノホヒを遣わし下しましたが、アメノホヒはオオクニヌシを尊敬し家来になってしまい、そのまま帰ってくることはありませんでした。

アマテラスは新たにアメノワカヒコを遣わしましたが、この神はオオクニヌシの娘に心を奪われ、御殿を建てて住みついてしまいました。アマテラスは様子を見てくるようにと鳴女(なきめ)と呼ばれるキジを送りましたが、キジはアメノワカヒコに射殺されてしまいました。

使者が誰も帰ってこないので、アマテラスは力自慢のタケミカヅチと足の速いアメノトリフネ(日本書紀ではフツヌシ)の二神を差し向け、武力で解決しようと考えました。

二人の神は出雲の国の伊耶佐(いざさ)の小浜(現在の稲佐の浜)に降り立つと、剣を抜き逆さまにして柄を下にして突き立て、その剣の切っ先の上にあぐらを組んで座りました。

そしてオオクニヌシに「私たちはアマテラス様の命令できた。葦原中国は我が子が統治すべきだとアマテラス様はおっしゃっているが、お前はどう思うか?」と強い口調で言いました。
オオクニヌシは「私の一存ではお答えできません。息子のコトシロヌシがお答えいたしましょう。ですがあいにく美保の岬に鳥や魚を取りに遊びに行っております。」と答えました。
タケミカヅチはアメノトリフネを迎えに行かせ、国譲りについて尋ねたところ、コトシロヌシは「おっしゃるように、アマテラスのお子様に差し上げましょう」と答えました。

するとそこへオオクニヌシのもう一人の息子で力持ちのタケミナカタが大きな岩を抱えて戻ってきました。 タケミナカタは「この国が欲しいのなら力比べだ」と言って大岩を投げ捨て、タケミカヅチの腕をぐいとつかみました。

するとタケミカヅチの腕が氷の柱や鋭い剣に変わりました。 タケミナカタが驚きひるんでいると、今度はタケミカヅチがタケミナカタの腕をつかみ、葦の若茎のように軽くひねって投げ飛ばしてしまいました。 タケミナカタは恐ろしくなり、逃げ出しました。
タケミカヅチは逃げるタケミナカタを追いかけ、とうとう信濃の国(現在の長野県)の諏訪湖辺りまで追いつめて組み伏せてしまいました。
タケミナカタは「私は諏訪の地から外には出ません。葦原中国は全部お譲りしますから助けてください」と命乞いをしました。

タケミカヅチが出雲に帰り、オオクニヌシにそのことを伝えると、オオクニヌシは「仰せのとおりこの国をお譲りします。そのかわり、高天原の大御神様の御殿のような神殿を建てていただきたい。」と答えました。 タケミカヅチは願いを聞き、オオクニヌシのために大きな神殿を建てました。
それが出雲大社とされています。

この国譲りのお話は神話というより政治的な主権争いの抗争劇としても読み取れそうです。
出雲、大和、諏訪、そして、北陸、東北と・・・古代史と重ねて語られることが多い内容です。

以上、その5までに分けて出雲神話を紹介しました。

こうして、出雲神話を追っかけていくと、そのほとんどは現在も存在する場所や地名に遭遇します。

これってすごいことだと思いませんか?
神話なのに、現存する土地がある、建物がある!

出雲の醍醐味はここなんです!

あまりにもタイムスケールが壮大なので、史実が明らかになる訳ではないですが、この土地ににて、神話を思うこと自体、大変意味のあることだと思うのです。

それこそ、私たちの中にある、元型という神様に触れやすくなる!そんな機会を得られると思います。

ヌーソロジーにおいて神話とは(2)は以上でおしまいです。

いよいよ(3)以降で、ヌーソロジーにおいて神話とは?に迫って参りたいと思います。
natanさんのYouTubeチャンネル「ろじろじラジオチャンネル」の神話の回を参考に解説していきます。

その前に一度、私たち日本人にとっての神話を再確認する機会を設けました。
それでは引き続き、出雲より神話を切り口にヌーソロジーを思索して参りたいと思います。

よろしくお願い致します。


NWスタッフ・すさのわ@出雲



いいなと思ったら応援しよう!