【感想】映画エブエブに観た発達障害の表現2 / ウェイモンドを中心に
『Everyone Everywhere Needs Waymond Wang (and Ke Huy Quan) 』という動画を観た。
嬉しいことに日本語字幕付きなので、ウェイモンドが印象に残った人にはぜひご覧いただきたい。
aウェイモンドの設定が「a男性」というミームに基づいている点を主軸にした解説動画で、ウェイモンドというキャラクターの読み解きと併せて、白人男性中心的な映像界の中で男らしさの規範から外れた男性やアジア人男性が過小評価されてきた問題が描かれている。
aウェイモンドは従来の男らしさのキャラ表象(頼もしいが暴力的で支配的)に沿って表現されており、それによる限界をジェンダーステレオタイプに縛られないウェイモンドが打破し物語が大きく転換する構成となっていたことが理解できた。
aウェイモンドの「男らしさ」と危うさ
カンフー技を駆使しエヴリンをリードするaウェイモンドは確かに頼もしくて格好良いのだが、シンクロ中のウェイモンドに対し「弱い体だ」と言い捨て、俳優バースに浸っている状態から目を冷まさせる為とはいえエヴリンに手をあげる。
以前、aウェイモンドのセリフに発達障害/ADHDへの呼びかけに聞こえる箇所があると指摘したが、そこには支援やケアを思わせるものだけでなく「聞いているか?」等叱りつけるようなワードも含まれていた。
また当事者間でも賛否両論のある「(発達障害のあなたは)特別」というワードが関係性によっては相手へのリスペクトの表明よりもコントロールを目的としたものともなり得ることは想像に難くない。
エヴリンやジョイ、そしてウェイモンドに対して支配的なaウェイモンドは、エブエブという物語のストーリー上ではやはり退場せねばならなかったのだと思う。
絶命する直前にaウェイモンドが「君の選択の続きが見たかった」と言い残したことが救いだ。
ウェイモンドとミームのままならぬ関係性
ウェイモンドを「理解のある彼くん」と重ねるコメントを時折見かけるが、このミーム自体がメンタルに問題を抱える女性の生きづらさの軽視とパートナーの男性への同情・嘲笑を目的としたネットスラングと成り果てている。
そういった現状の元でキャラクターをかのようなミームとみなしてしまうことは、先の動画で問題とされていたアルファ男性至上主義の再生産に陥ってしまうのではないか。
米国とは文化的背景が異なるとはいえ、男性をも苦しめてきた男らしさの神話を切り崩すウェイモンドが日本の視聴者よって性差別的な文脈を持つミームに言い替えられてしまうケースにメンタルヘルスを取り巻く問題の一旦を見た。
エブエブ自体がミームやステレオタイプを入れ子式にまといながらそれを次々と翻してゆく作りとなっていることも踏まえ、ミーム的なものへの単純化に対し問いを持ち続けていきたい。
ウェイモンドからベッキーへ
エヴリンのとウェイモンドのパートナーシップがジョイとベッキーに重ねられているのは明らかだ。
娘を支配するエヴリン、母と心中しようとするジョイ、娘と孫諸共見放そうとしたゴンゴン
家族愛ー支配ー拒絶が組み合わさった、血の呪いとでも形容してしまいそうな関係性の中でウェイモンド、そしてベッキーが風穴となり緊張が解きほぐされていった。
登場シーンの少なさからしてベッキーの活躍がもっと見たかったとも思う(例えばダブルルーツであることで中国語の習得に悩むジョイとも通じ合えたのかなとか考えたり)。
しかしこれはエヴリンの内面と変化に重きを置いた物語であるし、発達障害とクィア両方の要素を持つキャラクターがいることが私はまず嬉しかった。
女性の発達障害はともかく、クィアの発達障害の表象はただでさえ少ないのだ。
エブエブ2は特に望んではいないのだが、エブエブの続きというかジョイとベッキーみたいな人達を描いた作品とこの先出会えたらいいと思う。