原因があるから結果がある【加筆】
当たり前のことですが、
子どもたちにどうしても教えたい価値観があります。
それは、
「原因があるから結果がある」というもの。
原因と結果の法則
これは、
子どもたちがこれから大人になるときに、
最も大切な、というか世の中の原則そのものです。
自然の法則です。
例えば、係の仕事をサボったとする。
すると友達から嫌われる。
係の仕事をサボるという原因があるから、
友達から嫌われるという結果がある。
ジャンクフードばかり食べる。すると太る。
ジャンクフードを食べるという原因があるから、
太るという結果がある。
とっても、とーっても当たり前のことですよね。
でも、子どもの中にはこの原因と結果の法則を受け入れることができない子がいます。
漢字テストの勉強をしなかったから、
点数が悪い。
でも、この結果を
受け入れることができない子がいます。
その子も、テストの勉強をしたのかもしれません。
でも、
覚えるほどたくさん練習したわけでは
なかったのかもしれません。
でも、その子は
テストの結果を受け入れることが
できませんでした。
「どうして勉強したのに!」
でも、結果があるのは原因があるからです。
勉強が足りなかったという原因があるから、
テストの結果が悪かったという結果がある。
それだけのことです。
修行もせずに強くなる主人公
そこで、ちょっと気になっていることがあります。
子どもが触れているサブカルチャー。
漫画やアニメですが、
特に努力もせずに強かったり
天才だったりして、
努力を排除するストーリーが多いんですよね。
私はバリバリのドラゴンボール世代です。
ドラゴンボールでは…
悟空は事あるごとに修行します。
亀仙人のところで修行。
カリン塔で修行。
界王星で修行。
精神と時の部屋で修行…。
そして、強くなるんですよね。
強くなるには修行するのが当たり前、
という価値観でした。
そして次がワンピース世代ですが、
ワンピースのキャラクターも
たまーに修行(?)しますが、
ほとんどその描写はありません。
戦いながら強くなる感じがあります。
努力というより、
勇気や気力?なのかな。
とにかく、
修行する描写はほとんどありません。
そして今は、
鬼滅の刃世代ですね。
炭治郎は修行しますが、
修行のシーンはカットされたり、
コミカルだったりして、
修行の辛さを感じさせません。
(一応、鱗滝さんのところで修行したり、
蝶屋敷で修行したりはします)。
修行シーンは、かなり短い。
どちらかというと、
戦いの中の「気づき」で強くなる、
という感じでしょうか。
戦いながら強くなるのは
ワンピースと一緒ですが、
例えば「柱」と呼ばれる人たちは
最初から強いです。
さらに、炭治郎の仲間たちも
修行らしい修行はしてないのに、
強くなっていきます。
原因があるから結果がある、
という価値観を受け入れることが、
難しくなってきているのかな?とも思います。
正しい結果を作ることが大切なら、自分がどう思うかは関係ない
例えば、金メダルを狙うオリンピック選手が朝起きたとき、
うわぁ今日めっちゃ眠いわ。トレーニングやりたくねぇ。
と思ったとき、選手はどうするでしょうか?
言うまでもなく、トレーニングをします。
やりたいかどうかは関係ないんです。
自分がほしい結果があって、
その結果を手に入れるための原因がほしいのなら、
やるしかないです。
このシンプルだけど世の中の真理である
「原因と結果の法則」を、
子どもたちにどう学ばせるか。
私は、学習指導要領も教科書も大切ですが、
なによりこういう
「世の中の真理」を、
子どもに教えたいと考えています。
もし共感していただける方、
実践例がある方は、
コメント欄からコメントいただけたらと思います。
本日はここまで。以上、現場からでした!
【以下加筆】2021.12.23
私の記事をいつも読んでくださっている
アキさんという方がいます。
作業療法士をされていて、
今は精神保健福祉士を目指されて、
様々なことにチャレンジしており、
とっても尊敬している方です☆
そのアキさんから
とても素晴らしいご意見をいただきました。
要約すると、
「発達障害の人からすると、
努力といわれても難しいところがあるから、
支援のあり方が大切だと思う」
というものでした。
確かに…!
この記事には、
発達障害という視点からの内容が
含まれていませんでした。
ご示唆いただき感謝です!
というわけで、
発達障害があるお子さんの場合の、
「努力」と「支援」について
私見を述べさせていただき、
加筆とさせていただきます。
アキさん、本当にありがとうございます!
発達障害がある子への「努力」の意味
私は教員をしているので、
小学校で発達障害があるお子さんを
もつことがたくさんありました。
毎年、必ずクラスには該当する子がいます。
そして、何を隠そう私自身も
「発達障害」かグレーゾーンです。
診断はもらっていませんが、
私が教員になって発達障害について
学んだり接したりする中で、
確実に私自身が発達障害に該当する
と思いました。
「自分がどうして、
今まで生きていくことが辛かったのか、
理由がわかった…」
そう感じることができました。
なので、
自分自身を例に、
発達障害における努力と支援について
述べたいと思います。
私は昔から数の概念が欠落していました。
一番難しいのが、7+8です。
7を5と2に分解し、8を5と3に分解する。
そして、2+3をして、5。
10+5=15
こうなるんですが、
頭の中で7を5と2に分けて、
その後8を5と3に分けるときに、
前分けた2のことを覚えていられませんでした。
あれ、なんだっけ…
そして、2と3をたした後、
10と足すのがまた難しかったです。
そんな頭のデキでしたから、
算数には苦労しました。
さらに、掛け算九九は
クラス全員が覚えても自分自身は覚えられず、
クラスで最後まで残されて
練習した記憶があります。
私は典型的な「LD」でした。
頭の作りは
明らかに他の子よりおかしかったですし、
暗算は今でも苦手。
ちょっと前の事を覚えていられない。
短期記憶が終わっていました。
そんな私に、ある日母親は言いました。
「のんた、あんたは頭は悪くないんだよ。
ただ、人より覚えるための時間が
かかるだけなんだ。
だから、他の人が10分で覚えられることが、
1時間かかるかもしれない。
それなら、1時間かかっていいから
一生懸命やりなさい。」
こんなことを言うんです。
ひどいなぁ…そんなにできっこないよ。
幼い私はそう思いました。
でも、そういう思いの反面、
「そうか、人より努力すればいいだけなんだ」
と感じたことも事実です。
腹落ちしました。
それからというもの、
できない掛け算を
猛特訓したのを覚えています。
さらに、漢字も全然覚えられなかったから、
いらないプリントやチラシの裏に、
紙が真っ黒になるまで書きなぐりました。
それでも、忘れました。
忘れたけど、前よりできるようになりました。
人より優れた能力を
手に入れることはできませんでしたが、
「できない人の心を理解する心」だけは
磨かれたと思っています。
そして、発達障害の子にこそ
「努力することの意味」
を伝えたいのです。
君の努力は無駄じゃないんだ!
絶対にいつか実を結ぶ。
そう信じています。
もちろん、できない子に
頭ごなしに叱る指導は
絶対に、絶対にしません。
「できないからこそ今勉強しているんだよね。
だから、できないことを悔やむより、
どうやったらできるようになるか
一緒に考えよう。」
「いきなりうまくなんてならなくていいんだよ。
昨日の自分よりできるようになっていればいい。
他の人と比べないで、
機能の自分をライバルにしよう。」
「できるようになってきたね!
先生は嬉しいな!
きっと毎日頑張ったからだね」
発達障害の子も、素直に努力します。
惨めかもしれません。辛いと思います。
でも、めっちゃ一生懸命頑張って、
健常者よりもテストで
いい点を取ることだってあります。
私は喜びながら、
「ほらみろ、できんだよ!
やればできる。見たか!」
と心のなかで誇らしげになります。
努力は無駄じゃない。
原因を変えることは、誰にでもできる。
そう信じています。
発達障害のある子への「支援」の意味
努力は無駄じゃない。
大切なのは、支援です。
頑張れ頑張れ言われても、
できないことはできない。
確かに、脳の機能の
アンバランスな発達の結果が発達障害ですので、
原因を変えることはとても難しい。
それはよくわかっています。
そこで、教師ができる支援ってなんだろうなぁ…
発達障害を言い訳に諦めたくないし、
諦めさせたくない。
自分の可能性を切り開けるようにする
支援ってなんだろうと考えてきました。
目の前で頑張り続ける子を見ていると、
「私がなんとかしてあげないと」と
考えることは自然なことです。
そこで、いろいろな支援をしてきました。
・やり方を視覚化する。
・スモールステップで反復させて習得させる。
・称賛と励ましを行う。
・失敗を共に悔しがり、次へのやる気を共有する。
・できたときには大いに称賛する。我が事のように喜ぶ。など…
効果的かは分かりませんが、
思いついたことは全部やりました。
そして、発達障害でも
努力することの大切さを実感してくれて、
粘り強くなった子がたくさんいることを、
私は知っています。
ASDの子への「支援」の意味
そして、
忘れてはいけないのがASDの子です。
対人コミュニケーションが苦手で、
よくトラブルになります。
クラスのいざこざの半分は、
やっぱりどうしても
ASDの子絡みの事が多いのが現状です。
私も毎年、
ASDの子の担任をしておりますので、
難しい実態だというのは重々承知です。
それでも、コミュニケーションにおいても、
やっぱり原因を変えることに注力します。
ASDの子の原因は
「脳の機能障害」です。
それこそ、
変えることができないですよね。
だからこそ、
その自分の特性を「理解」することで、
自分自身に対する
「解釈」を変えることなら可能です。
・自分はどういうときにイライラするのか
・自分がしてほしいことを
相手に伝えるにはどういう言葉を使えばいいのか
・相手が怒ってきたときに
喧嘩にならないようにするためには、
どういう言葉を言えばいいのか
など、自分を客観視できるようになれば、
その対処法もスキルとして
身につけることができるようになります。
ソーシャルスキルは
トレーニングすれば、
ASDの子にも身につきます。
スキルが万能というわけではなく、
環境や周りの人のその子への理解もとても大切です。
ですが、自分を客観視することができ、
さらに否定的に捉えるのではなく、
個性として捉え、
自分の弱点を補う方法を
スキルとして身につけることができれば、
社会生活を営むことは可能です。
自分がASDである、
という原因は変えられませんが、
自分はASDを理解し、向き合い、
対処の方法を知っている、
という原因を作ることができれば、
その結果を変えることはできます。
それと同時に、
ASDの子が抱える心理的ストレスや重圧を理解し、
寄り添う支援が絶対に必要です。
相手の不安を言葉にしてあげる。
理解しようとする。
その上で、どうすればいいかを指し示す。
「あなたが進む道はこっちだよ」と、
光を当ててあげるイメージです。
そして、成長したことを共に喜び合うのは、
LDの子への支援と同じですね。
寄り添う指導
この記事を読んでくれた若手の先生。
あなたのクラスにも、
必ず発達障害のお子さんはいます。
2012年という古いデータですが、
文科省から出された調査によりますと、
一般的なクラスにおける発達障害児の割合は
6.5%。
なので、
30人学級だと1人はいることになります。
(なりますよね?)
もしあなたが発達障害の子を担任するのなら、
「あなたにもきっとできる。
うまくできないならもっとやろう。
やり方を考えよう。
一緒に悩もう。
そしてできたら喜び合おう。」
そう考えて、
接してほしいなって思っています。
最終的には自分の人生なのですから、
自分で歩んでいくしかないわけです。
その心細さを想像すると、
胸が苦しくなります。
だから、私が教師というポジションを与えられたのだから、
そのポジションでできる精一杯を、
してあげたいって思っています。
原因を変えることができれば、
結果が変わります。
信じて付き合う。
それしかないって思います。
10年以上の経験を元にお伝えする方法論です。もっと知りたい方、是非フォローお願いします!
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