吃音で苦しんでいる人に「言友会」をおすすめしましたが、デメリットも紹介します。
吃音で苦しんでいる人に「言友会」をおすすめしましたが、デメリットも紹介します。
そもそも「言友会」をおすすめした理由は、吃音の共感でした。
吃音で苦しんでいる人は、孤独です。
本人は吃音で死ぬほど苦しんでいるのに周りからは、全く理解されません。
しかも人前で吃ると「変な人」と思われてしまいます。
普通に声が出る時もあるし、話やすい人と会話する時は、比較的問題なく話せる時もあります。
それでも自分の吃音が気になりだすと、次しゃべる時は絶対上手く声が出ないと確信できる時さえあります。
周りの人は、問題なくしゃべっているのに自分だけ声がスムーズに出ない。こんなことで毎日悩んでいるのは自分しかいないと焦って、ますます落ち込みます。
こんな悩みは誰に相談しても理解できないだろうと思います。
たまにものすごく話しやすい友達がいて自分の吃音を話すと「それ、気にしなくてもいいよ。僕だって吃る時はあるよ」と言われて終わりです。
「そんなんじゃない」と言っても理解されません。
そんな苦しみを言友会に行くと少し解消されます。
それまで孤独だった人からすると「吃音は自分だけの悩みじゃなかったんだ。」と悩みを共有できたことが嬉しく思います。
孤独から悩みの共有してもらえる世界に入るだけで大きな一歩です。
なので「吃音で死ぬほど苦しい人は、まずは言友会をおすすめします」と記事を書きました。
言友会のデメリット
吃音で死ぬほど苦しんでいる人に言友会をおすすめしますが、デメリットも紹介したいと思います。
言友会のデメリットは、「吃音とともに生きる」に徹することです。
おそらく吃音の地獄の苦しみから解放されて「吃音とともに生きる」を体感されている人は、違和感のないことだと思います。
ただ吃音の苦しみの真っただ中にいる人が、藁をも掴む気持ちで言友会にいって、そこにいる人から「吃音とともに生きましょう」と説明を受けたらどう思うでしょうか。
おそらく「吃音を治したいと思ってきたのに、吃音って治らないんだ」と落胆してしまいます。
吃音者は、起きている間中「この吃音さえなかったら」「どうやったら吃音は治るのか」を考えて生活をしています。
満を持して言友会に入って「吃音は治らない」を目の前に突き出されることになります。
もしかしたら言友会からの説明の仕方は、正確にはもっと丁寧で私の説明と違っているかもしれません。ただ、ネットで調べるかぎり言友会の吃音に対するスタンスは、吃音との共存です。
吃音と共存することで幸せな人生を送ることができる、です。
でもこれで多くの人が吃音の地獄のような苦しみから解放されて人生を前向きに生きているのであれば、全く問題ないと考えます。
問題ないどころか言友会の存在は、社会的に大きな意義があると私自身考えています。
それでも吃音は治ります。
言友会でも他の団体でも吃音は治らないことと開き直るのが一般的のようですが、私の意見とは違います。
なぜ吃るのか、なぜ苦しいのか、どうなったら治るのかを理論的に説明しているのが森田療法です。
我々吃音で苦しむ人間は、そもそも良く生きたいという欲望(生の欲望)が強い人間だと言われています。
その本来やりたいことに意識を向け没頭していると「知らないうちに吃音が気にならなくなった」という境地に達します。
独学で治した、自然と治っていたという人がいるのもうなづける話です。
ここまで来るのに少し時間が掛かるし、人によって症状も違うので、絶対、全員が治るものではありませんが、かなりの人の吃音に効果があると信じています。
その為には、まず「吃音と共存するという覚悟」が必要です。
その覚悟を決める為に言友会に入ることは、共感できます。
「私の吃音の症状を書きます。あなたの吃音と同じ症状だったら治りますよ。」