自分の中の変化
人生何が起こるかわからない。
昨年は特にその言葉を痛感させられた1年でした。そして、変化は思いも依らず、いつも唐突に訪れます。
3年前、SNSでぽろりと溢した発信から、自分のパンドラの箱が開きました。
それまで忘れようとして硬く蓋をしていた記憶と向き合い、考え、苦しみ、それと同時に大きく解放された自分がいました。
それまで自分は何に苦しんでいるのか、わからずに苦しんでいました。
今思うとそれは辛い過去から目を背け続けていたからです。
でも発信を始め、自分の赤裸々な気持ちや直視したくない記憶と向き合い、時には周りの人に打ち明けることで徐々に楽になってきました。
最近は元気になってきた反面、よく夢を見ます。
1番苦しかった時の夢を。
起きた時、夢に見た出来事から、忘れ去ろうとしていたトラウマ的思い出を反芻します。
あんなことあったなと、思えばあの時辛くて仕方なかったな、と。
そして自分が辛くなる時の特徴や思いがけず無自覚だった自分に気づく事があります。
それまで忘れようとしていた苦い記憶。
苦しんでいた自分を癒すことなく、振り返ることなく、前に突き進もうとしていた自分。
それを思うと今は立ち止まってそんな自分を受け入れてあげる時間なのかなと、思います。
10代の時、大人になるのが、変化する事がすごく怖いと思っていました。
ずっと変わらずいたい。大人になりたくない。
そう思っていました。
ハタチの誕生日直前ずっと死のうか悩んでいた自分がいました。
でも今は変化する事が楽しみに思える自分がいます。
人は変われる。人生は変えられる。
だから面白いし、希望を持てる。
母への気持ちも少しずつ変化しているような気がしています。
勿論、無かったことになんてできない。
でも距離を取って、時間が経って、発信をしたり、仲間が出来て、治療を受けたり、素直に感情を出すことができたことによって、少しずつ気持ちが変わってきました。
医療や福祉の知識を身につけることで憎しみや嫌悪を向ける相手が、母自身へからその環境や社会全体に拡がりました。
変わってほしい、という気持ちが母だけではなく、母を取り巻いていた環境や社会全体へと変わっていったんです。
そうなることで、気持ちに少し余裕が出てきたというか、うまく言えませんが私自身の気持ちもだんだん変化してました。
今はパートナーや妹と一緒に先々の事に目を向けられている気がします。
休職して、治療を始めて丸1年が経とうとしています。
最初はまるで立ち止まるようで時間を無駄にしてしまうようで焦りを感じていたけれど、今はこうなったことで大きく良い変化が起きている。
そんなふうに考えられています。
まだまだ起き上がれない日や辛い日もありますが、この一年で自分は大きな良い変化を得られました。
この気持ちを忘れずにいたいです。