36歳二児の母の自分探し、私にも「ナナメの夕暮れ」がおとずれた
めったに雪なんて降らないのに、雪が積もっている。
母親が雪が降るたびに、「あんたが生まれた日は大雪だった。何もそんな日じゃなくてもいいのに。一番寒くて大変な時に生まれた」と言う。
言われるたびに私はため息をついた。
「それ私が悪いの?」
でも、今は違う。
母は、雪が降るたび私が生まれた日を思い出すのかと思うと、母からの愛を感じられるのだ。
さて、2020年を一言でいうならば、「自分探し」という、恥ずかしすぎて穴があったら入りたい、よもやよもやだなことをしていた。そして、年が明けた今はそれを終えることができたと思える。
色々試したけど、私自体は結局変わらなかったし、私のまま、生きにくいままだった。
私は、変わりたくて変わりたくて、変われる何かを求めてきた。
外側の私と、内側の私のチグハグさを埋めたくて仕方なかった。
だから、色々試した。試してみたけど、たどり着いた私は、結局私でしかなかった。
ただ、一つ変化はあった。
私自体は変わってない。しかし、以前と同じことが起きても、同じ物を見ても、私の中の捉え方が変化していることに気付いたのだ。
その理由が、(三度目の登場)、若林正恭のエッセイに書いてあった。
『僕はずっと毎日を楽しんで生きている人に憧れてきた。
ずっと、周りの目を気にしないで自分を貫ける人に憧れてきた。(中略)
だけど、結論から言うとそういう人間になることを諦めた。
諦めたし、飽きた。
それが不思議なことに、「自分探し」の答えと「日々を楽しむ」ってことをたぐり寄せた』
まさにこれだった。
自分探しをしても、結局変わらない。自分は自分でしかないと思うと、それを諦めたし、飽きたのだ。
私は私でしかない。
ふと気付いたことがある。
私はこれまで、親のせい、過去のせい、あの人のせい、「他人のせい」にすることを自ら選択して生きてきたんだなぁということだ。
そんなつもりは全くなかったけど、散々無意識に、言い訳につかってきたことに気付いたのだ。
例えば、親の私がこんなだと、子供に影響があるからなんとかしなければ思いこんでいた。私が生きやすくならなければ、子供もまた苦しむのだと。
それもまた、私が「親のせい」でこうなったと無意識に思ってきたからなんだろう。
その気付きを得てから、自分の捉え方を変えられるようになった。冒頭の母親の話もその一つだ。
そして、過去も今もこれからも、自分を作り上げているのは、全部自分なんだと思えるようになってからは、なんとかしたいと思わなくなったし、不思議と日々を楽しむという許可を自分に出せるようになっていった。
若林正恭のエッセイには、私が2020年に気付いたこと全てが載っていた。
というより、かなり前に読んでいたから、私はやっと、この本の意味がわかるようになったというだけのことなのかもしれない。
出会えてよかったと心から思える本だった。
もっと美しい言葉で誰かに同じようなことは何度も言われてるんだろうけど。
私には、若林正恭が刺さったのだ。
充実した30代を迎えるために20代は突っ走ったし、充実した40代を迎えるために30代もそうするつもりだったが、急ブレーキがかかったここ数年だったように思う。
でも、結局、トップスピードで走っていた頃も、ブレーキがかかった頃も、それを抜けた今も。
私という構造はずっと同じなのだ。
ただ、その性能を理解したし、これからは使いこなしていくだけだ。
私が求めていた、私の内側と外側のチグハグが埋まりつつある。
私にも「ナナメの夕暮れ」がおとずれたのだろう。
それにしても、若林正恭と毎日毎日書きすぎて、ゴリゴリのリトルトゥースと思われるかもしれないが、
私はオードリーのレギュラー番組で見ているのは、唯一ヒルナンデスだけである。
なぜなら、私は、ゴリゴリの和牛ファンだからだ。
でも、若林正恭の書く文章は、私をいつも救ってくれる。
きっとこれからも。