美しい風
正月が終わった。ようやく、わたしの中で。
・元日→おせちのあと、頭痛でダウン、こたつで寝る、だるくて死ぬ
・2日→おせちのあと、箱根駅伝を見ながら頭痛でダウン、こたつで寝る、だるくて死ぬ
気づいた。
正月に向いていない。
正月にいつもだるくて死んでいる。
クリスマスと年末にはわりと向いてると思うんだけども(元気だから)、実は数年前から正月に向いていないと薄々気づいていた。
毎年、おせちを食べたあとに頭痛におそわれる。そしてこたつで寝て、起きてからもだるくてだるくて死にたい気持ちになるのだ。元旦早々だよ。
ちなみにお酒はまったく飲まないため、アルコールによって頭痛や眠気がひきおこされているわけではない。
正月だからといって遅くまで寝ていたりもしないので(40代半ばになり、なにがあろうと6時にバキッと目が覚めてしまう)、睡眠の乱れでもない。
たぶん正月特有のゆるい時間の流れに心身が対応できないんだと思う。
普段は6時に起き、食パン半分と目玉焼きとバナナヨーグルトとコーヒーというまったく変わらない朝ごはんを食べ、娘のお弁当をこしらえたり仕事に行く支度をしてなんだかんだシャキッと動き続けている。
おせちって食べるの時間かかるじゃないですか。朝昼ごはんみたいになりますでしょ。それに、することがなくて自然とだらけますよね。原因はそれだと思う。
もう、私だけ正月を卒業したい。
正月つらい。
娘が自立したら、なんなら正月から働きたいくらい。
食パン半分とコーヒーの朝食でいつも通りにして、正月卒業宣言をしたい。
・・・
そうは言っても箱根駅伝である。
正月には向いていないが、箱根駅伝はわたしの心のふるさと。亡き父との思い出である。
わたしの実家は品川にあり、箱根駅伝のコースがすぐ近くに通っている。往路1区、復路10区。八ツ山橋という中継ポイントのちょい手前。
駅伝やマラソンが大好きだった亡き父は、毎年必ずわたしを連れて沿道から生応援をしていた。それこそ物心つく前から、赤ちゃんの頃は抱っこして。
幼稚園の頃には、読売新聞と書いてある応援の旗を持ちながらふざけて走っていたら転んで棒の先の部分が上顎に当たり、あやうく刺さりかけたことがあった。(いま思うとめちゃめちゃ危ないですね)
その時の怪我の跡はなんと、いまでも上顎にかすかに残っているのである。
かすかな丸いくぼみ。
そこを舌でそっとさするたび、いまは亡き父との箱根駅伝の思い出がよみがえる。
なので、わたしは結婚して実家を離れてからも箱根駅伝を生応援することを続けている。
ちなみに箱根駅伝にはわたしの母校も出場しているが、母校だけ応援するのではない。そんなわけにはいかない。
これは生で箱根駅伝を観たことがある方ならきっと共感していただけると思うのだが、目の前で一生懸命にたすきを繋いで駆け抜けるあの若者たちを見てしまったら、「全員がんばれ!」の一択になるのである。
がんばらなくていいランナーなんて一人もいない。全員すごい。すごくてすごい。
今回も、わたしの右には「中央大学」「がんばれ」と書かれたうちわを持ったご婦人方、左には東洋大学のタオルを持ったおじさまが30分以上前からまんじりともせず控えていたが、いざランナー達が到着しだすと、全員のランナーに「がんばって!!!」と全力の拍手を送っていた。もちろんわたしもである。
駆け抜けてゆく。
とんでもない胸打たれるスピードで。
なんというものを見たのだ!と、いつも思う。
まるで美しい風みたいなんだ。
・・・
年末年始は、いくつかの本を読んだ。
これは、12月に前職場を辞める直前に、利用者である若い男の子が「本が好きです」というので、「なにか一冊おすすめしてください」と頼んだら教えてくれた本。
どういうところが好きなんですか?と尋ねると、彼は、「そうですね……最後にええっ!とびっくりするのと、あと、感動もします。とてもいい話です」と恥ずかしそうに教えてくれた。
あの子にももう会えなくなってしまった。退職するとはそういうこと。あの子にも、あの子にももう会えない。そう思うと、いまでも胸がキュッと傷む。
すぐにこの本を図書館で借りてきて読んでみた。けっこう分厚いな、と思ったが、面白くてぐんぐんと読んでいける。
そしてはたして、最後にええっ!とびっくりし、ほのかに感動し、「いい話だ」と思った。
あの本、読んだよ。ミスドで読んでて思わず最後は「ええっ!」って声出たよ。
あの子に感想を伝えたいけど、それはもうできない。
元気でいてくれるといい。
いつかまたどこかの空の下で会えたら、「あの本すっごく面白かったよ!」と伝えたい。
あの子にも、あの子にも、いつかどこかで会えたらいいなあ。そう思う。
・・・
雪を食べる夢を見た。
わたしの目の前にはまだ誰にも踏まれることのない真っ白な雪原が広がっており、他には誰もいない。それはそれは美しい雪景色だ。
わたしはそっと、そこへ踏み出した。
ざく、ざく、と足にぶあつい雪を踏みしめる感触がある。でも寒くもないし、冷たくもない。
そして、わたしは当たり前のようにその雪を両手ですくって、がぶがぶと食べた。それはとても美味しくて、いい歯ごたえで、「ああ、おいしい」と心から思った。
ここからすくい、今度はあちらからすくい、たくさんの雪を食べていく。どの雪もとても美味しい。
そこで目が覚めた。
雪。
雪食べてたな。
あの雪、すごく美味しかった。
宮澤賢治が「永訣の朝」で書いていた「天上のアイスクリーム」ってあんななのかもしれない。
いやいや、それはもっと素晴らしく尊い味がするんだろう。などとベッドの中で思う。
美しい雪景色。
美しい風。
今年、どんな人に出会えるんだろう。
2月から働く新しい職場でどんな人とどんな話をするのだろう。
まっさらな雪原に踏み出すような、そんな2月まであとひと月。