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適応障害と、それでも幸せを享受するということ

秋が深まった。
一気に。
だからそういうのやめてほしいんだよ、と今年も思う11月である。

金木犀が咲く→一気に寒くなる

その間の、秋のいい陽気だね~みたいな日が短かった。
昨夜はあわてて冬用の布団を乾燥機にかけ、ふくちゃんの家の下にペット用ヒーターを敷き、ふくちゃんの床材を足した。

これはおとといの深夜のふくちゃんである。
このままぴくりとも動かずじっとしている。
一瞬、静止画かと思いカメラを左右に動かしてみると、カメラはちゃんと動く。

ふくちゃんは微動だにしない。

疑似冬眠にはいりかけている!?!?

と慌てた寝ぼけたわたしは(たぶん違うのだが)、リビングに駆け込んで暖房をつけた。

ハムスターは10℃を下回ると疑似冬眠に入る時があり、そうなるとほぼ目を覚まさず助からないのだという。
わたしの夫の動物病院にもかつて、「飼っているハムスターがずっと寝ている」と連れてきた飼い主さんが何人かいて、やはり冬眠してしまっていたのだそうだ。

冬はあぶない。本当に気をつけねば。
ふくちゃん、初めての我が家での越冬である。

今朝はこんな油断した寝っぷり

そういえばふくちゃんの回し車をカウンター付きの回し車に変えたのだが、なんと、3500メートルも走っている夜がある。
なにが君をそんなに走らせるのか。
すごいものだよ、野生の本能とは…。

・・・

さて、辞職のはなし、その後である。
まだまだ終わっていませんよ~。

3回目の上司とのなんハラ面談(意味のわからん条件を突きつけられ、そんなの飲めません、年末で辞めますと決まった)のあと、わたしは明らかに心身に変調を来たしていた。

・ねむれない
・寝てもすぐに目が覚める
・上司に詰められる夢を見る
・食べられない(痩せました!)
・職場の入口にはいる前に動悸がする
・上司の顔を見ると動悸がする

おやおや。
これはもしかして……
適応障害?
メンタル原因で仕事を辞めた方々の就労支援をしているので、もうこれは、とすぐに気がついた。

先週、とある県庁で相談員の事例検討会に出席せねばならず、トコトコと遠出をした帰りに「これはもう多分早めに辞めないとまずいな」と、木々の色づきかけている車窓を眺めながら思った。
いくら頑張ろうと思ったって、心身のことは自分ではコントロールできない。ここで無理をしてはその後に響くのだ。わたしの人生になんてことをしてくれる。そんなの悔しいではないか。

そこで、急遽、上品先生の予約を取った(当日でも対応してくれるのでありがたい)。

「予約より早いですけどどうしました」

と尋ねる上品先生に、元気なくボソボソと再度上司に詰められた経緯や症状を説明。

「うーむ、適応障害ですね」

ですよね。

「わたしとしては、明日からもう職場に行かないでほしいですが」

いやー、それが、いま引き継ぎをしているところなのでそれがまったくできなくなるというのも自分としては精神的につらくて……と、ゴニョゴニョと話し、話し合った結果、

「じゃあ、辞めるのをなるべく早めること。あと、心配なので週1くらいで私とお会いしましょう。あと仕事中でももうダメだと思ったら、すべて投げ出していいから職場を出て私のところに来てください」

と、言ってくれ、上司に見せる用の診断書を出してくれた。

「あと、あなたはなんにも悪くないです。だから私はこの件に関して全面的に、なんでも協力します。できることがあったらなんでも言ってください」

と言われ、あまりのありがたさにポロポロと泣いてしまった。
あわててティッシュを引き抜いて渡してくださる先生。
「なんか泣かせちゃったみたいですみません」
「いえ、先生はなんにも悪くないです!!」
と、涙目でハハッと笑って診察を終えた。

翌日、上司に診断書を見せ、なるべく早く辞める必要があることを伝えると、「主治医の先生がそう言うなら」と、あっさり退職時期がはやまった。
上司というものはたいてい権威に弱い。先生がつく職の人の意見にはすんなり応じるのである。

とはいえわたしがやっていた業務をすべて引き継ぐとなると、最速でも12月の2週目に早まっただけなのだが、それでも本当に心からほっとした。ほっとして、眠れない・食べられないの症状は緩和し、いまは結構元気にやれてます。

皆さんに伝えたいのは、少しでも心身の変調を感じたらすぐにお医者さんにかかってほしいということ。長引けば長引くほど、回復も難しくなります。「眠れない、食欲がない」はもう、お医者へGOのサインです。

・・・

で、辞職時期も早まり、あとはもう仕事を引き継げばいいだけの状態になってスッキリしたわたしは、さっそくハローワークのインターネット求人検索をしてみている。
もちろん失業保険をもらいながらしばらくゆっくりしてもいいのだが、社会福祉士のいい条件のお仕事があったらスルーするのももったいない。
…と思っていたら、なんと、願ってもない条件(立地、仕事内容、勤務時間、お給料)の求人をひとつ見つけてしまった。

これは…!
と思い、すこし悩んで、家族にも相談。
その上で問い合わせの電話をしてみた。まだ在職中だけれど応募してもよいか、働けるのは少し先になりそうだけれども大丈夫か、など話してみると、雇用のスタートが来年1月になるというではありませんか。
なんてちょうどいいの。

とりあえずここだけは受けてみよう。
と、来週ちょこっと行ってくる予定です。
どうなるかは分からないけど、差し伸べられた手はとりあえず握っておく。それはわたしの生きるモットーなのである。

このみさんに「退職早まりました!」とLINEで報告したら、

「ののっつさん、よくぞ我慢しました。お疲れ様でした。もう早めに辞めちゃいましょう。
何もできませんでごめんなさい。
卒業パーティやりますよー!
もう少しだ!ファイト!!」

そう、もう少しだ!ファイト自分!と思う。

・・・

いま、高浜虚子の『立子へ抄』という素敵な本を読んでいる。

高浜虚子が娘の立子さんへ贈ったさまざまなメッセージ集である。

そのなかにこんな一節があった。

人間はその日その日の出来事で、だんだんと運命づけられてくるものである。
姉は姉、妹は妹、世上の人は世上の人、皆それぞれの運命がある。そうしてその運命の上に安んずるか安んぜないかがその人の幸不幸の岐るるところである。
安んずるというのは安心して眠っておるという意味ではない。その境遇に立ってその境遇より来る幸福を出来るだけ意識することだ。
お前の『玉藻』もそういう運命にお前を置くものではないかと思う。お前はそれから来る幸福を十分に享受する権利がある。

『立子へ抄』高浜虚子より

生きていればいいことも悪いことも日々起きて、でもその喜びや悲しみのひとつひとつが「わたし」というものを動かしてくれているものなのかもしれない。
どんな状況にももしかしたら「甲斐」みたいなものがあるのかもしれないよね。
虚子がいう「その境遇に立ってその境遇より来る幸福を出来るだけ意識すること」というのは、フランクルがいう「それでも人生にYESという」こと、つまり、どんなに酷くつらい状況でも、意識すれば見いだせるささやかな輝きがあるのかもしれないということなのかもなぁ、なんて思った。

だとしたら、やっぱりめげずに生きていこうかしらと。人生は短いのだから。