ツリーの根元に宿るもの
わたしの母は、クリスマスをとても大事にする人だった(いまもである)。
母方の祖父母もまた、もう亡くなってしまったけど、そうであった。祖父母はふたりともアメリカ生まれの帰国子女で、クリスチャンだった。そしてわたしの母もクリスチャンである。
アメリカでのクリスマスを幼少時に経験してきた両親に育てられたからか、母もやはりクリスマスへの意気込みが日本の一般的な家庭よりも高かったのかもしれない。
クリスマスになるとわたしや兄のもとへは、祖父母、おじ、おば、などからそれぞれにクリスマスプレゼントが贈られてきた。
もちろんサンタさんも来るが(サンタはなぜかわたしの手紙の返事をスペイン語で書き置いてくれた。スペイン語学科を出た母によるものである)、父や母もそれぞれにプレゼントをくれた。
そして、それらのプレゼントはいただいてもすぐには開封してはならず、クリスマスツリーの根元へ開けずに置いておくのである。
そして25日のクリスマスの朝に、一気に開封するのだ。
どうやらそれはアメリカの家庭の風習であるらしい。
わたしと兄は、25日の朝だけはものすごい早朝に2段ベッドから飛び起きて、うきうきとプレゼントを開封したものだった。
わたしはクリスマスプレゼントというのはそういう風にするのが当たり前なのだと思っていたが、世間的にはそんなに当たり前ではないようで、人に話すと「ええっ」と驚かれることが多い。
そもそもサンタさん以外にはクリスマスプレゼントを家族や親戚間で贈り合わない、という人もいた(夫もそう言っていた)
でも、わたしはこのツリーの根元にプレゼントがたくさん置かれてある光景や、25日の朝の嬉しさ、たくさんのプレゼントがもらえる幸せ感がとても好きだった。誕生日よりクリスマスのほうがワクワクして嬉しかったかもしれない。
なんというか、静けさと輝かしさ、そして暖かさがあった。
なので、もし自分に子どもができたら同じようにしたいと思っていて、そうして14年前に娘が生まれた。
以来ずっと、ツリーの根元にプレゼントを置いている。
ひと月前に設置したツリー。
こんな感じに飾りつけしました。
近年はずっと、ツリーはIKEAで本物のもみの木を買ってきている。本物だから、部屋が森のような匂いになる。
(ちなみにクリスマスが終わると、もみの木はIKEAで回収してくれる)
さて、このツリーが、ひと月経ってクリスマス直前のいま、こんな風になりました。
我が家は三人家族で、クリスマスには「お互いがお互いにプレゼントを贈り合う」というならわしにしている。
娘が小学校を卒業して、サンタさん制度が終了してからそういうことになった。
だから、私は夫と娘にプレゼントを用意するし、娘は夫と私に、夫は私と娘に用意する。だからこれだけで6個のプレゼントが置かれることになるわけだ。
ツリーの根元には、家族同士のプレゼントのほかにも、わたしの母(娘のおばあちゃん)から娘へのプレゼントや、わたしの兄(娘のおじ)から娘へのプレゼント、わたしの友人からのプレゼントなどもある。
昨年、たまたまなんの話の流れか職場の同僚の方にこの話をしたところ、素敵な風習ですねぇ~と感じ入ってくださり、何日後かに「ぜひその風習に自分も参加させてほしい」と、いくつもプレゼントの入った紙袋を持ってきた。
びっくりした。ひとつどころか、プレゼントが何個も入っている。
大大大恐縮である。
「そんなの申し訳ないですよ。ご自宅にツリーを置いて、自分でやってみては??」
と提案してみたのだが、
「自分でやってもつまらないですよ」
と真顔でおっしゃる。
「ののっつさんの家の、○○ちゃん(娘)の楽しみに参加させてもらいたいんです。ツリーの根元に置いてください」
そういうものなのだろうか。
わかるような気もしないでもない。
だから、ありがたくそれらのプレゼントもツリーの根元に大切に置かせていただいた。
(そして今年も、またいただいてしまった。)
そういう、贈ってくれた人の暖かい気持ちや、愛みたいなものがクリスマスツリーに宿っていくのだろうとも思う。
・・・
さて、皆さんはどんなクリスマスをお迎えでしょうか?
わたしはなんだか「えっもう今年終わっちゃうの、うそでしょ、いやうそでしょう」感がすごく、否応なしにズルズルとトナカイに引きずられてクリスマスを迎えさせられてるような気がする。待って待ってー、トナカイ待ってー。おい止まれって、シャンシャンシャン(鈴の音)じゃないよ !っていう。
トナカイに愚痴りたい。
今年の後半、ほんとうに大変だったの。
意味不明な病気で舌が痛くなったし、また上品先生のもとへ病院通いしなくてはならなくなったし、とても悲しくて泣くことも多かったし、
そして、どういうご縁か「やってみたい」と思っていた仕事に挑戦することになり、ただいま厳しめの研修の真っ只中でもある。
実は、24日も25日も研修がある。メリーヘロヘロクリスマスです。
でも、せめて25日の朝だけは。
幼かった頃のように、わくわくしながら目を覚まし、ツリーの下にある輝かしい贈り物を暖かい気持ちで開封しよう。
そんな朝を迎えたいと思っています。
そうすることが、わたしを大切にしてくれた亡くなった祖父母や、亡き父や、母(は、生きてる)からの贈り物でもあるように感じるのだ。
皆さんも、きっといろいろですよね。
クリスマスなんてしらねーよと言いたくなる夜もある。
人生なんてと投げ出したくなる朝もある。
わたしはいつからか、年末年始が好きじゃないなと思うようになりました。悲しいもんだ。
娘のためにもこんな感じでクリスマスやってますけど、普段はめげめげのめげまくりな人間です。
最近けっこう泣きます。でも、泣くとオキシトシンが分泌されて悲しみが凪いだり痛みが和らいだりするのだそうです。だから、もう泣きましょう。わたしも泣きますから。
25日、なにか、皆さんに良いこと起きますように。
こんな文章を読んでくれているあなたのために、祈ります。