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墓まいり 8/14

墓まいりは必ず行く。

忙しかろうと、よほどなことがない限り
節目ごとに必ず行くようにしています。

春と秋のお彼岸、お盆、命日。
その他、近くに行った時はいつでもいいと思う。

電車で向かいました。
約5時間くらいですが、
車窓から景色を眺めながら向かうのは
いいものです。

それに、畑仕事ばかりだと、そう都市にでることもない。

何かの用事で都会にでることは、
新鮮な気持ちにもなれます。

車での長距離移動は
やめました。

道路上は乱れた運転、
無謀な運転等を見る機会が
多々ありました。

それに車では
イライラしている雰囲気を
感じることが多かったからです。

それなら田園風景を見ながら、
電車で移動する方がいい。

本を読んだり、都会に近づくにつれて、
人の様子などを見るのもいいかと。


さて、最初に気になったのは、
冷房がかなりきつい。

普段はあまり冷房は使わないので、
慣れていないこともある。

別に我慢したり、電気代を節約するつもりではないけど、冷房は
よほど暑い、耐えられない時に使う程度。

途中から、とても寒くて
夏なのに寒さを感じるのは
変な気がしました。

とはいっても、5時間は
あっという間でした。

駅を降りて毎回驚かされるのは、
綺麗な町であること。

駅から徒歩で概ね30分くらいですが、
ゴミがない。

商店街を抜けるときに、一つくらいは
何か落ちているだろう、って見ていたけど、ない。

ゴミがないのに、ホウキで
掃いているいる人も
いるくらいです。

いろんな街に行ったことはありますが、
これほど綺麗なところはみたことがない。

ゴミを投げ捨てない、
って当たり前ですが、

全市民か、住人に根付いているのか、
毎回感心させられます。

ただ、地面が暑い。
これはアスファルトやコンクリートがあるからだと思う。

桜の並木道がありますが、桜は結構暑さに苦しんでいる気がしました。

土が少なく、ほとんどアスファルト、車も通ると
気温は上がる。

それに道路に面しているから
だろうけど、
木は結構切られている。

田んぼは緑で綺麗に見えるが、
稲以外は見当たらない。 草が全く生えていない田んぼは
どうも好きになれない。



おそらく、何度も刈り取られるから、
新しい新芽や若い葉がある。
じゅずだま
神社のにわとりは、相変わらず元気にしていました。
ただ、相当暑いようで、
水を飲んだり、座り込んだり。
森の空気はとてもいい。
大きな杉やヒノキ、クスノキがある。神木も立派です。

杉やヒノキがあるところの空気は澄んでいる。

その綺麗な空気を吸う、空気を食べる。

毎朝実践していますが、とても大事です。

ニワトリはよく動き回る。

何か食べる、休む、けつくろいをする、
遊ぶなど、にわとりの本来の姿を見れたと思う。

神社等でお参りを済ませ、
京都に向かう。
今度は先祖の墓参りです。

人があまりにも多い。
どこもアスファルトとコンクリート、
土が少ないから、これだけ暑いのか、って思いました。

それに甘いお菓子の香りや、ソースのような匂い、
街の中は誘惑が多いように感じた。

ただ、不思議と何か食べたいとも思わなかった。

おしゃれな雑貨屋さんや食材探し、
商店街や古本屋さんにもよらずでした。

目的地に行き、お経をあげて
お参りをしたら
もうそのまま帰りました。

暑いけど、行けたこと、
お参りの時間に間に合って
よかったと思いました。

買い物は特に欲しいものがなかったせいもありますが、
街への関心が減ったのかもしれません。

途中の電車で気になったことも
色々ありますが、

一つあげるとしたら、
電動の小さな扇風機を
持ち歩いている人です。

不思議と、私が住んでいる地方都市では
見たことがなかった。

去年、初めて持ち運べるミニ扇風機をみたのですが、
とても変だと思った。

何かのネタならまだ
面白くていいけど、

日本文化の崩壊のような
ショックを受けました。

というのは、かなり以前のことですが、
扇子を接客で販売していたことが
あるからです。

老舗の扇子屋さんの
社長の接客の様子を思い出しました。

扇子や団扇(うちわ)は、
その人の雰囲気に
合うものが必ずあり、

当時の社長の接客をみていると、
見事と言えるくらい、
その人に合うものを選んでいた。

扇子の大きさ、種類、
色、形、図柄、
色々あります。

たとえ低い予算であっても、ぴったりのものを選ぶ。

「私の雰囲気に合うものを」
って言われても、
喜んで接客する姿を思い出す。

またそんなふうに言うお客さんも
全く嫌な感じがしない、むしろ大歓迎な質問でした。

雰囲気や、天候、気分等で使い分ける。

一度に複数の扇子を買われる人も、
扇子を買いに毎年くる人もいました。

街で見かけた、ミニ扇風機は
当時はなかった。

でもその先代社長がみたら、
嘆くか呆れるか、

言葉にならないくらいなのは、
簡単に想像がつく。

品格、日本人でも外国人でも、
扇子を開いて涼しむ姿は、
なかなかいいものです。

扇子は化粧や髪型以上に
大事なものだと
思っていたくらいです。

それに、扇子や団扇の風は、
とても優しい風が起こせる。

少しの力で、大きく、
心地よい風になる。

扇子はピッタリと収まり、さっと開く。
とても品がある。

手持ちの小さな扇風機は
ハンディファンというものだ
そうだけど、
品格は感じられない。

私は初めてハンディファンを見た時、
失礼ながら笑ってしまった。

うちわや扇子のように手で
動かすことをしない。

楽で便利なものかもしれないけど、
使わない筋肉って、
どんどん衰えるわけです。

私ごとですが、車のブレーキや
アクセルを
踏む足、ふくらはぎの下のあたりだけが
つりそうになったことがあります。

わずか30分足らずの運転を
していた時のことです。

足がつる。

最近は長時間車に乗らないため、
足が慣れていなかったのが原因です。

何万歩歩こうが、クラッチを踏む、ブレーキを踏む
微妙な筋肉を使っていないと、
足がつったり、
衰えることがあるようです。

コーヒーの手廻しミルでも同じです。
しばらく使わなければ、何か変な感じがする、

もっと大きな動きであれば、
筋肉痛になるなどあるわけです。

確かに自動で風が吹くのは
楽かもしれないけど、
その風が扇子とどれだけ違うか、

また些細な筋肉を使わないことの
積み重なりは
きっとこわいと思う。

エスカレーターが多いのも、
気になりました。

こんな短い距離でエスカレーターが
いるのか、

遅い、止まらないでさっさと
歩いてくれ、
って何度思ったことか。

階段も遅い、若いんだし、もう少し早く登らないのか、って
感じたこともある。

歩くのが早い、せっかちではないけど、
エスカレーターに
頼り切っている人ばかりに
思ってしまった。

(動かない方が安全なのは
わかるのですが、
階段が少ない、歩く人が少ないと思いました。)

色々みていると、運動不足にさせる、罠だろうかって
思ってしまいます。

ホウキではかず、ブロアーのエンジンの風で吹き飛ばす。

デッキブラシでゴシゴシとせず、
高圧洗浄機に頼る。


買い物に行くより、なぜか
通販の方が安い。

届けてくれる、っていうのも、
便利で楽、
そして得しているように
思うこともある。

先日、スーパーで自分で会計するレジもみましたが、
あれも人と接せず、接する手間をせずに、少ない会話をせずに
買い物ができるわけです。

八百屋さん、乾物屋さん、金物屋さん、
川魚屋さん、などで

会話をしながら買い物をする機会も
減ってきた、

もしくは消えてきたと思う。

料理包丁を買うときも、
金物屋さんが結構詳しく
いろんなことを教えてくれるものです。

教わることなく、ネット情報、あるいは
広告などで影響され、買い物を
済ませてしまう。

色々と早くて便利な面もあるのですが、
どうも体や頭を使わずにできることが
増えてきたと思います。

先の扇子ですが、
扇子を使っているだけで
品格がでるわけです。 一つのファッションとも言える。

ハンディファンを見て、あれは格好悪すぎるだろう、って
思うのは少数派かもしれません。

ただ、扇子屋さんで働いている人なら
わかるかもしれない。

外国の人は日本人がハンディファンを使う姿を見て
何か思うんだろうか。

色々と些細なことを
感じたり、考えたりしました。


結局、朝6時台の電車に乗って出発し、
夕方の6時頃に戻ってこれました。

その間、なぜかお腹も空かず、
ろくに食事もせずでした。

誘惑に耐えよう、断食でもしよう、
っていう考えも予定もなかった。

ただ、朝に梅干し湯を飲み、
慌ただしく出発しただけです。

水は持参したのですが、結局、切符と神社のお札やお参り諸々以外は

何も買わず、寄り道もせず、景色見て、
本を読み、帰りの電車の中で少し寝たくらいです。

おはぎが半額だったけど、
なぜか買いたい、
食べたいとも思わなかった。

本は結構読み進めることが
できました。

家に着くと、猫の世話などもあるので、いろいろ大変です。

ふと思ったのですが、
もしかして、梅干しで
街の誘惑に負けなかった、

誘惑すら感じなかった、
のではないだろうか、
って思いました。

なぜか扇子を持って出かけましたし、
実際に使っていました。 
扇子はいい風でした。

朝の梅干し、そして夜の梅干し。
そして、朝に少し食べた、
梅酢を干したもの。

体力がつく、気持ちを引き締める、
誘惑を感じさせない、何かを断ち切る、

梅干しの効能は色々と
あるのかもしれません。

お参りでしたが、
結局、梅って何かあると思いました。

やはり梅干しは毎年必ず作る、
改めて梅干しのことを
考えました。


古い梅干しも干しました。
梅酢を何日もかけて天日干しにする。
色はもっと黒くなります。
これが強烈に酸っぱい。

梅酢でも梅干しでもない
不思議な食べもの。

梅干しとセットです。
これからどれだけできるか。


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