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様々なお米づくり



お米作りのやり方は、狭い区域でも
皆それぞれ違う。

農協のカレンダー、指導方針通り、
有機栽培
自然栽培
特別栽培(減農薬)
手植え (自然栽培)
といったところ。

それぞれ特徴がありますが、
ここ数日で
気がついたがあります。

普通のお米づくり、つまり農薬を使っているところが、
とても草が多い。

特に大きな草が目立つ。

風で稲が倒れているところもある。
品種はおそらく同じ。

すぐ近くなので、
天気の違いではない。

農薬使用の田んぼで目立つ、大きな草。
自然栽培
草は多いけど、目立たない
(草は稲よりも丈が低い)
稲は倒れていない。
この類の野草が目立つ。
自然栽培

草はあるけど、背は低く、また少ない。
これで農薬肥料をつかわない、

自然栽培というのは
意外な感じです。 
初期に鎖を使って歩いて
除草することだけ。(チェーン除草)

管理者の性格からしても、
熱心に草取りをしていないはず。


もち米
これで、無肥料無農薬、
無除草(チェーン除草なし)なら、
十分かと。
もちろん、草は生えてます。
ただ、水草が大半、

また水の表面は、浮き草が
最初から覆っている。

この浮き草がポイントだと思う。

浮き草が他の草の成長を
遅らせる間、稲は急成長する。
田んぼの片隅の
マコモダケはどんどん広がり、
丈も高い。

マコモだけは稲よりも
大きく育つ。田んぼの
隅っこでちょうどいい。

ただ、驚異的な拡がりと
成長力です。

ある程度抜いて
根株を売るなり、誰かに回さないと、
この調子でずっと放置すれば、田んぼはマコモダケに
占領される。

小さな根、たったの5本を
譲り受けてわずか5年、
手に負えない状態になりつつある。

もしマコモダケの栽培が
難しいというなら、
嘘だと思っていいと思う。
水さえあれば、どこでも育つ。

この強さだけでも
体に良さそうなのは
想像はできます。



さて、散歩のコースを
田んぼにして歩けば、
除草作業にもなる。

はだしで足を回転させれば、
草は浮く。

結構いろんな筋肉を
使うので、田んぼウォーキング、
筋トレ、

植物観察から、
写真撮影まで、いろんなことが
同時に楽しめます。

抜けた草はまた根を
張って育つのですが、
成長は少しは遅れる。

草の成長を遅らせたら、
十分です。

今年は、田んぼ内ウォーキングは
たったの2回だけでした。

それでお米は結構きれいに実っている。
田んぼもきれいだし、
十分じゃないか。

費用も手間もかからず。

草取りをしっかりしていると
言われても不思議ではない。

規模が大き過ぎれば、気軽にできないかもしれないが、
ほどほどの大きさだと
ちょうどいい。 

いや、たとえ広くても
本気になればできるはず。

さて、収穫時期はまだ先ですが、
風で倒れず。 


自然任せ、稲は強い。草はあるけど、
あるようには見えない。

草はあるけど、ウォーキングの効果で
稲より小ぶり。

稲の成長の
邪魔をしていない。

マコモダケ以外の草は
稲に負けている、
とも言える。


一般的な、慣行栽培/農協の方針の
田んぼ。
大きな草が結構目立つ。
肥料投入が目立った特別栽培。
除草剤は通常使用。

草は大きく育ち、
また稲はもよく育っているけど、
多くは風で倒れている。

草がある、ない、は
どちらでもいいと思う。



除草剤を複数回撒いている田んぼは、
皮肉なことに、大きな草が目立っている。


また、冬から春にかけて肥料を
多く入れて育ったところは、
稲は大きく、実りも多いように見える。

ただ、大半は風で倒れている。


二月、
まだ肌寒い頃の田んぼ。

鶏糞/牛糞、籾殻など混合の
肥料を撒いていました。


肥料を入れて水を流し込む。
水は濃い茶色になり、
地面をならしてから栽培。

変わった匂いがしたことと、
水の色が気になったところですが、

ただ、こういった水は水路にも流れ、
下、要は他の田んぼにも
流れます。
どうなんだろうかと思う。

お米はよく育っていた。


ただ、肥料や除草剤が裏目に
出ているようにも思った。

ただその場所は高価な農機を
使っているところなので、あの程度の
草や稲は問題ない。

一方、自然栽培の稲は
大半は倒れていない。

稲の丈がやや低めなことと、
田に生えている草は
低いものが大半でした。

自然栽培でも大きな草が生えているところもあったけど、
全体的には、少ない。




こうしてみると、
肥料や除草剤はなくても
良いと思う。

肥料や農薬は決して
安価ではないようだし、

実際になしでやっている人もいるし、
何より私自身がそう。

稲の多くが倒れているのは、
今年がたまたまそうなのか
わからない。

ただ、思い出す限り、稲が倒れて、
草が多い、という状態に今までは
なったことがない。

場所や気候もきっと
関係するだろうから、
他府県も同じかどうか不明。

でも、いろんな条件が重なってのことじゃないだろうか。

たとえば自然栽培は
自家採取の種だから、
環境に馴染んできて、

苗は少し低めに育つ、
あるいは風に強くなった。

一般の栽培だと、農薬/除草剤を
使い続けている。
だから強い草が生える。

肥料で草もついでの大きく育つ。
と言った皮肉なことかもしれない。

草が多いから
農薬はやめられない、というのが
現状かもしれない。

有機栽培も結構な草が
目立っていたので、

単に肥料で草が大きく伸びる、
ということかもしれない。

正直言ってわからない。
ただ、栽培が異なる人同士は
交流がない。

価値感が違うのも理由だと思う。

おそらく、自分の管理している
田んぼしか見ていないように思う。

いずれにせよ、肥料や農薬は
結局のところ、なくてもできる。

栽培する場所が死んだ土、
死んだ水では
そうもいかないだろう。

10年以上前に田んぼだった
場所を一つ借りて、
野菜作りをやってましすが、
ダメですね。
土が硬く、なかなか野菜も育たない。

色々見ていて現状、
変わりようがないのは、
社会が必要としているから、
とも言える。

農薬肥料の会社、農協、種子の販売、
農機具メーカー等、と考えてみれば、自然農法では都合が悪い。

簡単にいえば、だれも
儲からなくなってしまう。

最低で有機栽培なら
無難かもしれませんが、
有機栽培、って結構場所によっては匂います。

特に朝夕の空気が
重い時間帯にでも歩けば、
耐え難いような匂いが漂います。

考えようによっては、
有機はまだ良さそうにも思えるけど、
肥料が多く、水を汚すなら、やっぱりどうかと思う。

草が生え、大きく育つのは、
もしかしたら、
土をきれいにしようという草の働きかもしれない。

実際に草が養分を吸い取れば、
土はきれいなるだろう。

ただ、そこで除草剤が入れば、
草は枯れる。
過剰な肥料を止められず、
土や水が汚れ、

下流の川の底にはヘドロか泥が
見える原因じゃないだろうか、
と色々と考えてしまいます。

自然が正直に答えをだすけど、
理由はわからない。


田んぼから流れ、また下流の田んぼは流れる水を引き入れる。
堰き止められた川の水は、
汚れが目立つ。ひどければ、結構臭う。まだ水の流れがあれば、
ずっとマシだと思う。

下流と上流のお米の味はずいぶんと違うと言われています。

水が理由だろうと言われていますが、おそらく事実。

水の流れや土をみないと、無農薬も慣行栽培も場所によっては
大差がない、とも言える。

パッとみれば、きれいで自然豊かな場所には見えるけど、

よくみれば、結構恐ろしくも思えてきます。

この川の下流では
シジミが取れるとも言うけど、
食べない方がいいんじゃないかと思う。

コイ、うなぎ、すっぽんもいるけど、
見るだけで十分ですね。

あまり見ていくと、
買うもの、食べるものが
だんだんと減ってきます。

見ない方が、考えない方がある面
幸せかもしれない。

ただ、田んぼを色々みるだけで、
様々なことが想像できます。

農薬使えば下流で無農薬栽培をしている人にも多少の影響は
出てしまう。

冷静になってみると、草が少なく、
自家採取、無農薬、自然栽培でお米の栽培がうまくいくなら、
結局楽で費用も
抑えられるんじゃないだろうか。

農家であれば、ある程度の
設備等はいるけども、
自然栽培でまわせるなら、
規模にもよるけど、
一般の農家よりは費用等は抑えられることになる。

自然栽培で原価が安いお米ができるというわけだけど、

世間では無農薬、自然栽培ということに
価値が置かれており、値段は上がる。
逆に値段が高くないと、
生活が成り立たないことにもなるから
双方で良いのかもしれない。

稲を大きく育てよう、多収を目指すのは、企業として普通だけど、
土はよごれ、大きくて高価な農機でないと収穫が難しくなる。 

資金が多くある大規模農家は良いかもしれませんが、おかげで
世の中はうまく回る。

草が多いから、除草していこう、
虫がいるから、殺虫剤を使おう、
という流れだろうし、
種も毎年購入した方が
双方で都合がよく、
楽なわけです

自然に任せて楽なのと
費用を払い続けて楽を得る、
考えてみれば違う。

社会の流れがスムーズでも
水の流れや土をみていると、
皮肉な面を自然は黙ってみせる。

理由は説明してくれない。
ただ現象をみれば、
何か想像はできる。

こうしてみると、自家採取をする、
続ける価値は
とても大事に思えてきます。 

結局、費用を大きくかけず、自然の力を借りれば、汚さず、迷惑をかけず、
楽な方向に進むわけです。

ただ実際に自家採取をしているところは
近辺ではほとんどいない。

自家採取は実は種用にわざわざ田んぼを用意し、手刈り天日干し、
その他選別など地味な作業、

人の体を使う手間はありますが、
種を買う必要がない。
費用はかからない。

社会経済から見れば、
人間社会から抜け出したように見える。

仮に種や苗の費用を抑えるために
自家採取であっても、結局は自然の流れに従うことになる。
むしろ自然界では良いことだと思う。

種の自家採取が結局、
人に頼らず楽になるなら、独立して
楽に進んでいることになる。

農薬等を使えば
草が多くなるのが事実なら、
皮肉に思えてくる。

時にはよく見ないと自然の答えは
気がつかないのかもしれない。


種の自家採取でいく。

農薬肥料を使わないのは
自然のありのままの
答え見ていることにつながる


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