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歩く

雨が降ろうが、
傘をさしてでも、
歩いた方が良いと思いました。

やはり、歩かないと
色々なことは見えてこない。

自転車や車では、
見過ごす。

たとえば、以前に気になった、
自然農法の水田と
農協指導の水田との違い。

草が目立たなかった自然農法ですが、
偶然だったかもしれない、と
どこか心の中で思っていた。

しかし、今回さらに広範囲を
歩いてみて、農協のご指導に従った

慣行農法は、
草が多い。

稲の多くが倒れている
例ばかりであった。

農薬肥料なし、除草剤なしで、見事にきれいに稲は育っていた。

今回歩いて、合計ほぼ3時間程度の
範囲なので、
もう事実だと言い切っても
良いと思えてきました。

自然農法の水田。
風で倒れた稲はごくわずか。 倒れたところ、草が多いところを
あえて探したが、
わずかしかない。
手前に草はあるが、これは水田の外。たんぼの中は水草、
短い草ばかり。

草は生えても、稲に負ける。
さらに、こちらは鹿対策の
柵もしていない。
一般的な水田。結構高い確率で
稲は風で倒れ、
草は多い。稲よりも草が大きい。


歩くと発見があるとは思っていたが、こういった水田の違いも
見ると思いのほか違いを感じる。

除草剤を何回もまき、殺虫剤を何種類も複数回も使う、

それで草ぼうぼうになるなら、
一体何をしているのか。

自然農法に切り替えた方が、
楽なんじゃないだろうか、と思う。

種や苗を毎年買うために、
弱く、いつまでも環境に慣れない稲に育つのかもしれない。

だから肥料で補う、農薬で虫から守る、とも考えられないだろうか。

草の量をみたら、除草剤を使わないと難しい、と考えるのも
無理はない。

以前の肥料の投入で異臭が漂っていた。
(特に朝夕などの空気が
重い時間帯に匂う。)

除草剤を撒いてこの状態なら、
皮肉そのもの。
自然農法らしく見えるが、慣行の農法。
これだと完全に草に負けている。

真夏の朝、割と年配の人で多かったが、早朝から田んぼに入り、大きな草を
手作業で抜き取る姿はよく見かけた。

そのような方々の田んぼは、
さすがに綺麗です。

自然農法では
最初の頃だけ、鎖を歩いて引きずり、草の発育を抑える。
チェーン除草だけだった。

私はそのチェーンすら
していない。それでも、結構いい感じでお米は育つ。

上出来だと思う。

楽な田んぼでいいんじゃないか、
と思う。


考えてみれば、草が多くあり、
虫が多いなら、
それに対処する
農薬が使わなれる。

まさかとは思うが、弱い米の方が
都合がいい人が
いるのかもしれない。

費用かかれば、当然、
お米の値段もあがる。

以前にイタリアのお米の話を
少しあげたが、

現地のスーパーなど、要は
一般市民が購入する価格は
1キロで概ね130円前後だった。安い。

日本では卸でも
概ねキロ300円程度だと思うが、
その場合は少なくとも30kg以上だろう。

今はどうか正確にはわからないが、
EU圏内で今でもお米はそう高価では
ないと思う。

きっとカリフォルニア米も
現地では高価ではないと思う。

何しろ、飛行機で米を直播。
稲の植え付けがない。

随分前の話だが、
あるイタリアのお米は

福岡正信さんの影響をうけ、
自然農法のやり方に切り替えたと
イタリア人に聞いた。


農薬等の費用が抑えられ、その分お米が
安いのかもしれない。

イタリアのお米は味わいのあるお米で、
鍋で炊いたら結構いい味だったのを
記憶している。

それと、胃もたれしない、
という特徴があり、

あっさりしたインディカ米(タイ米など)
やイタリアのお米しか食べられない、
という人にはきっといる。

現に日本在住のイタリア人で、
日本のお米がなぜか体が重くなる、
という人は何人かいました。

そこで、消化を助けるのが、梅干し、
と強く言いたいわけですが、
話がそれるので、またいつか。

ヨーロッパでは小麦主体なのは
事実ですが、

スペインなどでもお米は作られている。

決して高価ではない。もちろん、EU圏外の輸入品はそれなりに
値段は上がるが、

小麦の影になるかのように、お米の
存在は目立たない。 

などと、思い出してみると、
お米に対する価値観や考えも
いろいろあるように思う。

10kgなどのお米が見かけなかったのは、
やはりお米を主食とする人は
少数派なのだろう。

それでも生産は容易か
設備が整っているから
なのかわからないが、

お米は安い。

味もそこそこ良い、となれば
仮に日本のお米がうまい、
といっても、

多分、わざわざ高いお金を出して
日本のお米を買う人は
少ないように思う。 

まして、EUで禁止されている
ネオニコチノイド系の農薬が
使用となっては、相手にさえされない
可能性も十分ある。

1970年代の時点で、
日本の農薬使用量が多く、

また禁止されているものが
使われている話は、
複合汚染に書かれている。 

外国の学者は日本の様子を
ただ黙って様子をみている、

という著者の意見からしても
国産がよい、というのは
幻想だと思っていい。

不思議と私の体験と重なる話があり、著者が見た事実しか
書かれていないと思う。

またここで予想されている奇病等を
今と照らし合わせて見ると、
色々と見えてくると思う。

考えられないかもしれないが、
野菜や穀物などの食べ物で何かあれば、
ストや暴動がおこる国がある。

小麦粉のストライキ、
パン屋が閉まる、
ということも一度経験した。

食べ物でも何かあれば、
物言うのは、羨ましく思う。


さて、お米は当然原価があって、
ある程度の値段は決まる。 

安いお米=悪いもの、
とつい考えてしまうが、

農薬などが少ないから、
多少安くなっている、とも考えられなくもない。

となると、単純に考えても、農薬や肥料、除草剤、またあるいは、
農機/重機等、その他諸費用があって売られるわけだから、
使うものが多ければ、
それだけ値段は上がる。

皮肉なことに、費用がかかったもの、
肥料や農薬が多い=体に良いお米、
と言えないのは
誰もが想像できる。

できることなら、農薬不使用で、
綺麗なお米がいい、と思っている人は多いと思う。

では農薬がいらなくて、よく育つ、
虫の害などを受けにくい、となると、

その土地、気候にあった強い種子が
必要となるのですが、
実際はどうだろうか。

一般的に種子更新(毎年、農協からお米の種を買う)
が推奨されているが、

これは品種の変化(たとえば、コシヒカリが環境に応じて変化し、純粋のものから遠ざかる)を防ぐためらしい。

種は毎年あたらしく買う、

これだと毎年0からのスタートみたいで、
環境になれて、強く変化しない、
とも言えないだろうか。

他にも色々と種子更新の理由がある(理由づけをしている)
のかもしれないけど、

おかしなことをしているように
思えてきます。

先の自然農法のところですが、
種は自家採取、概ね20年は超えているという。

それでも、コシヒカリはコシヒカリ、
餅米は、普通にもち米だと感じているし、違和感はない。

また、草に多くが負ける、
風で稲が全て倒れる、といったことは
ほぼない。

あっても台風の時に
多少あったくらい。

少なくともここ十年間で、
倒れた稲はほぼないので、
自家採取を続けている
お米の強さはきっとあると思う。

自家採取、って費用が
抑えられるようだけど、

種ようにわざわざ手植え、
天日干し、その他
準備は楽ではない。 

種や苗を買った方が楽。

自家採取をしている自然農法のお米が高いというのは、

自家採取の労働費用、見えない努力でできた種籾が貴重だから、
といってもいい。

逆に自家採取していない自然農法のお米は、何か大事なことが抜けている、
とも言える。

おそらく、環境に慣れ、
育つ力がある米。
今の時代では貴重だと言える。 

なにしろ、多くのところでは、
ほとんど種を買う、あるいは苗を買う、といったところばかり。


とはいっても、
お米は本来は強く、肥料や
除草剤なしでも育つのかもしれない。

農協の種子と自家採取はさほど大差が
ないのかもしれない。

正直わからない。 
ただ、やってみたら結果は出る。

お米は人が種まき等、栽培をするが、作るのは自然の力です。

した行為はそのまま、
自然が黙って結果を見せる。

そうはいっても、
農協だと指定の農薬等を使って、
という条件がきっとあるだろう。

よほど興味関心がない限り、
やらないと思う。


色々考えてもよくわからない。実際にやってみないと
答えは出ない。

こうしてみると、頭わるかろうが、とにかく歩いてみて回る。

そうすると何かの関心ごと、
その他ヒントが出てくる気がする。

みたくないものも見かける。


雨上がり。水の匂いがくさい。

農水用の水も多ければ流す。
前々から溜まっている水は汚れていると思っていたけど、
事実のようです。

風で川の匂いがくる。
いい香りではない。

もはや人口の川になっているから、
アユは放流しても定着はしない。周りがコンクリートなのもきっと
よくない。
シロサギ

水田から
流れた水は下流に集まる。

その川を堰き止めて、
また農水とする。

下流の地域のお米の味が今ひとつと
いう人がいるらしいが、
水が汚れていたら
そうかもしれない。

いや、お酒も水こそが大事だから、
お米に何かしらの影響があるのは想像できる。

匂いがする時点で
農水は相当
汚れていると思う。


下流の水田
相変わらず、草多く、また稲は倒れているものが
目立つ。
河原に捨てられた野菜が発芽して、
結構実っているのもある。

ただ、捨てられたところは、誰も手をつけない、数十年はすくなくとも
自然のまま。いわば自然農法とも言える。

彼岸花も咲き始める。

不法投棄のビールの空き缶をみると、
飲酒運転が多いと
想像できる。

着物から家具、毛布などを
捨てる人がいて、
ここまでいくと、ある面、
感心してしまう。

ただ、バレなければいい、
という気持ちがあるのは
想像できる。

観光客が通らないような裏道なら、
地元住民が捨てているのは
想像できる。

年に一度のクリーンデイで地域民は
強制参加の行事があるが、

対象外のところに捨てるのも
よくわかっていると思う。

そもそも、不法投棄の人がいるから
そのような特別な清掃デーが
あるのであって、

元栓をしめるような、
何か根本的なことをしないと
毎年同じことすることになる。

無駄な税金とも言えるけど、それで潤うところもあるわけで、

だれも違和感を感じないのだろうか、
なんてことも思う。

ただ、そういう行事の時にこそ、
団結、人と話す機会が増える。


いろいろと歩き回っていると、
珍しい野鳥や、時にはコウノトリも見かけたこともある。

一度だけ、とてつもなく大きな鳥、
クロハゲワシを見たけど、
とにかくでかい。

もいう一度会いたい、写真を撮ってみたい、と思って、
以前は少し重い大きなレンズを持ち歩いていたけど、
ダメですね。

出会わなければ、ただの重荷。

重い、というだけで私にとってカメラ/レンズの価値は
下がってしまう。


歩いていると色々とあって
刺激的で良い。

腹立つようなこともあれば、
珍しいものも見かける。

また色々と勝手な想像もしてしまう。

あと、日中にある程度の距離を歩くと、
本を読んでも頭に入りやすく、
夜はぐっすり眠れるのは
実感している。

そもそも、足を使う機会が少なすぎるのでは、と
自分も含めて、周りを見ていても思う。

地方では、やっぱり車で出かけるのが普通。

歩けば片道20分足らずで
コンビニに行けるのに、
ほとんどの人は車で行く。


クマが出た、とさわぐが、
山桜やクヌギ、柿のような木を多く
切っているのも一つの原因じゃないか、
と想像する。

薪ストーブに使うんだろうけど、
大量にある杉、ヒノキを使う、という選択はできないのだろうか。
針葉樹は、燃える時間が短いかもしれないけど、それくらいは我慢か気にしなくても、って思う。持ち山の特権かもしれないが、やっぱり人は自己中なのが普通かもしれません。

農薬や除草剤を使っても、草ぼうぼう、稲は風で倒れる。

クマがでて、騒ぐ。

原因について、考えないのは、
いつまで経っても解決しない。

新たな問題を生み出していることにも
気がつかないのかもしれない。

答えが正しいかどうかは確かでないが、
少なくとも、疑問が出る。

頭が働かないと無関心のまま。

歩けば、少なくとも、体の血液はよく流れるようになる。

血流がよくなるなら、頭も少しは働く。
以前にも述べたように、
健康にもつながる。

血流はあのスターリンが
調べさせた結果というのも
皮肉ではあるけど、
一つの教訓ともいえる。

手当て、針でもお灸でも、
なんらかの刺激を与えて血液の
巡りをよくする助けを
しているわけだから、

血流こそ大事、という考えは
的を得ていると思う。 

もちろん、他にも色々あるだろうけど、
血液の流れが大切、
ということは否定できない。


歩く、体を動かす、といったことが
大事に思えてきます。

となると、何気に食器の洗い物をする、窓を拭く、
料理をする、ぬか床をまぜる、
些細なことであっても、

体を動かすことをやっていかないと、
考えない人、頭を使わない、使えない人になっていくのでは、
って考えると、恐ろしい。

自動掃除機なんて便利だろうけど、
使わない方が良いと思います。

甘い誘惑が多い。車もそう。
楽に遠くに行ける。


化学調味料で味つけ、
カット済みの冷凍食品が最高、
っていう人もいるかもしれない。

ただ、楽なもの、便利なものは、
何か罠がある、
と心の隅にでも考えておくといい。

以前にも例をだしましたが、お隣さんの
体調がずっと悪いらしい。

みた限りでは、
夏は冷房ほぼ一日中、外は冷却ファンの服装でずっと過ごし、
冬も同様。
何年も季節を感じない生き方を
していている。

車ばかりで、
足はほとんど使っていない。

暑いから、動きたくない。誘惑に
負けているように思えてならない。

不調の原因の全てでは
ないかもしれない。

ただ、血流が良くないのは
想像できる。

今からでも血流が
よくなることをしていけば
治ると思う。


先の川でも水をせきとめるから、
腐る、臭うわけです。

でも流せば解決でもない。
そもそも、水を汚さない、という
根本原因もあるかと思えてきます。肥料や農薬も水が汚れる原因だろう。


甘いもの、誘惑のあるような、
何か楽で便利なもの、も原因。

そういったものを一瞬でも
切り落とすとしたら、

食べ物なら、梅干しに
限ります。

不思議と梅干しを
一粒口にするだけでも、あの辛さ、
酸っぱさなどで気が引き締める。

その瞬間、甘い誘惑に
負けない。

梅は日本の気候で
しか育たないらしい。

温暖なところでは、
あんずのような別の植物
に育ってしまうという。

ということは、梅こそ日本人には
とても合うもの。

海の塩、天の天日、土で育った梅でできたものとなれば、
まさに自然の結晶とも言える。




天日で干す。

外国人は大半がすっぱい梅干しが苦手。

日本人だと再認識するのも、
酸っぱい梅干しを口に
したような時だと思う。

梅干しは身近で強力、自然の結晶、
貴重な切り札のように感じる。

食事に梅干しを入れてみたら、
食後に眠くなることが少ない。

やってみたらわかります。

消化、疲労回復(食事/消化に使うエネルギーからの回復)の
力も働いているからだろう。

その他、詳しく知らなくても
自然は黙って助けてくれる。

偉大な力がある。梅干しには
力が詰まっている。

だから、ご飯に梅干し、
おかゆに梅干しである。

苦手でも、ごはんを炊くときに
一粒梅干しを入れるだけでもいい。

味は消えてわかりにくくても、
ごはんに梅干しが溶け込む。

やはり梅干しの存在は大きい。

また話が飛びそうなので、省略するが、
とにかく、歩くといった、
些細なことでも
おろそかにしない、

歩くと、結局血の巡りよくなり、
体の臓器も働く。

血液の巡りさえよくすれば、
良いことばかり。



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