楽だから
実家に帰った時、父が
スマートフォンで集合写真を撮った。
以前はカメラで
三脚等をセットして
撮っていたので、意外でした。
カメラを使わない理由はというと、
「楽だから」でした。
「楽だから」、っという一言が妙に重く、
何も言い返せない。
なるほど、確かに楽。
ただ、どうだろう、父親らしからぬ、
寂しさを感じた。
というのは、昔から一眼レフを使い、
引き伸ばした写真でパネルなど作っていたくらいだったから。
確かに楽。スマートフォンなら、
二本の指でたいていの写真は
簡単に撮れる。
ピントも合いやすい。
ただ、どうだろう、
スマートフォンを使うのが
本当に楽なんだろうか。
私は農作業中や散歩の時は、スマートフォンは置いて出かける。
というのは、何か気になった時に調べ物をしてしまって、
時には歩くのをやめ、何か買い物をしてしまうことすらある。
便利ではあるのだけど、
どうも楽しめない。
特に外にいるときは、
なるべく邪魔がないようにしたい。
そんなわけで今は
デジタルカメラを
持ち歩いている。
デジタルカメラって、
メールは届かないし、
もちろん通話、検索もできない。
写真を撮るだけ。
あるとき思ったのは、写真を撮るときの気持ちが、カメラを使ったときの方がスマートフォンよりもずっと
楽しいということ。
そして、花であれば、
普段以上に見つめてしまう。
何かを見つめる、
意外に多くの人には少ないことかもしれません。
見つめると気がつくこと、
感じることがある。
手動でピントを合わせて撮るとき、
植物をよく見る。
見て何か良さを感じたら、
シャッターを切ります。
気が付けば、毎日同じ道を歩き、
似たような写真ばかり。
電池が切れたら、入れ替えたりするので、
楽かどうかといえば、そう楽ではない。
ただ、決して苦ではない。
なにしろ、シャッターを切った時は、
小さな感動の瞬間です。
シャッター回数が百回あれば、百回感動している、ってことも言えます。
無感動なら、外出てカメラで写真を、
って誘えば楽しい、とでも言えば誰か
のってくる気がします。
カメラや写真自体は
別に大した興味はないけど、
植物を見つめる瞬間は
大幅に増えたと思う。
だいたい、1日軽く100枚は
撮っており、
主にススキや野草、その他野菜などですが、撮る瞬間は感動。
寒さは楽ではないかもしれないけど、
30分もすれば、暖かくなる。
車だと暖房いるけど、
歩いていれば、暖房はいらない。
楽かどうかはわかりませんが、
楽しさはある。
ただ、夜は楽に寝れる。
いや、楽に寝られるのは、
ある程度外の光、風、植物を見て
良い疲れがあるようにも思える。
写真も楽ではないけど、
まぁ、楽しいとは言えます。
これがスマートフォンだと、
あまり撮りたい、と思えない。
また植物を見つめる時間が
少ないと思う。
誰かに見せたい、言わば自慢、
自我入りの写真になる気がしてならない。
もっとありのまま、となれば
顕微鏡か虫メガネ、撮影となれば
カメラだと思います。
スマートフォンは便利で
楽かもしれないけど、
楽しさか奥行きがない、って思いました。
もし、カメラを使う理由を
聞かれたとしたら、
好きだから、と答える。
何が好きかといえば、植物、またカメラを持つときの感触、
対象のものを見つめる瞬間、シャッターを切る瞬間、などです。
ふと思いましたが、
「楽だから」と答えるより、
「好きだから」って答えた方が
言葉がきれいに聞こえます。
それはさておき、
今朝、アマゾンから荷物が届きました。
定期購入で申し込んでしまった、
6ヶ月毎に届く、かつお節。
そして、ちょうどなくなりかけていたキャットフード。
これは、便利、楽だな、って思いました。
ただ、鰹節は、近くに乾物を扱う商店街がなく、また近辺では
どうも手に入らなかったから頼んだ。
頼んだことすら、
うっかりと忘れていたのが、
どうも我ながら情けない気がしました。
それにしても、定期購入であれば、
指定した期間に
届く。楽、便利、この上ない。
ただ、どうだろうか、以前は都会に住んでいたとき、
山積みの鰹節の中から、店主が良いものを選んでくれたこと、
また色々と説明をされて、つい手にした食材も結構ありました。
要は、乾物一つにとっても、いろいろな思い出があるわけです。
ところが、アマゾン定期購入などだと、会話なく、選ぶこともない。
考えなくても時期が来たら勝手に届く。
しかも真空パックです。
いいのか悪いのか、
わからなくなってきますが、
通販の方が値段が安い、
というのも皮肉です。
便利の引き換えに、手間は犠牲になっているということですが、
その手間が実はいいものだった、
って思います。
商店街の人との会話がなくなった、
ともいえます。
楽だから、ということで、父はカメラを使っていた頃より、
写真を楽しめているのだろうか。
商店街は都会にはありますが、
私が住む地域にはない。
1時間くらい歩けば、イーオンには行けますが、個人的にはあまり好きになれず。
かつお節すら置いておらずで、
ダメですね。
使っていない筋肉は衰える、と痛感しているのですが、
もしかしたら、マニュアルフォーカスのレンズでピントや露出を
合わせることは、
普通にできるのだろうか、
など、スマートフォンを
使うことで失っているものが
結構あると思えてきました。
楽だから、楽だから、肥料、化学肥料、
楽だから除草剤、
楽だから草刈機、チェーンソー、
楽だから高圧洗浄機、
楽だから、宅配の移動型スーパー、通販、
ってことだろうか。
見事に表せる一言が「楽だから。」、という
ことがわかってきました。
そういえば、デッキブラシでゴシゴシするシーンは見かけない。
神社では、ブロアーのエンジン音が聞こえ、ホウキではく音が減った。
なるほど、楽だからって、
結構すごい一言に思えてきました。
となると、好きだから、って言えるように考えてみようとも思いました。
ただ、楽だから、がいい言葉には
どうしても思えない。
好きだから、って本当に思う方が
楽しい気がします。
ちなみに、「楽だから」という曲はなさそうだけど、
「好きだから」、という曲はありました。
やっぱり、好きだから、って答えられる方がいい気がしますね。
かつお節の定期購入を忘れていたのは
どうも情けないことだし、好きだから、の方がずっと気分がいい。
気分良く過ごす、というのは、とても大事です。
となると、鰹節の定期購入は解約し、
街にでたときに必ず
乾物屋さんに行く、と決断する方がいいですね。
そんなこと考えなくても、
かつお節さえあれば、良質な栄養もあるだろうし、おいしく、
贅沢な生活ができます。
乾物屋さん、って結構いいもので、
知識豊富です。
たとえば、驚くほどおいしい
煮干しがあります。
スーパーの煮干しとは全く違っていて、おいしくてびっくりする
煮干しです。
私の好物の一つは乾物屋さんの煮干しで、
ごちそうです。
煮干しで感動。
地味に見えるかもしれませんが、質素でもない。
これぞまさに
好きだから、とも言えます。
だしじゃこ、何てって思う人も
いるだろうけど、
色々といいものが乾物屋には
置いてあります。
ある地域の商店街では、合言葉があって、こっそりと食材を売ってくれることがあります。
店に並べておけば、って思うところですが、誰にでも売りたくない、という特別なものがあるようです。
裏情報と言えば、そうですが、合言葉を言えば、奥に取りに行って持ってくる、というのも面白いものです。
楽、って手っ取り早いけど、楽しいというわけではないのかもしれません。
外に出るのは、太陽の光を浴びれるし、
寒い風が吹こうが楽しい。
楽ではないけど、体は使うと後で
楽な気がします。
おそらく、太陽の光、外の風そのものに何か元気の源、
エネルギーがあるのかもしれません。
そういえば、少し前の時代劇ですが、
風、光、と唱えるシーンがあります。
そんなシーンがあるということは、
太陽の光や外の空気には何か
変身させるくらいの
エネルギーがあるのは、事実だと思えてきます。
こういう時代劇がどうこう言うわけではないですが、
体験したもの、聞こえる音、見たものに何かしら影響を受けるってものです。
風、光、って聞けばライオン丸を思い浮かべて、外に行くって言う人もいるかもしれません。
音や見たもの、映像はきっと文字より頭に残りやすいと思います。
自然のエネルギーは偉大、とは言っても
多くの人には通じない。
だからライオン丸を見て通じるのも
アリかと思いました。
自然の野草は確かにいい。野菜も肥料で肥大したものより、
肥料なしでもよく育つのは、自然の力があってこそ。
同じ大きく育つのも、
何も肥料を足さないところと肥料使ったところとは違う。
肥料なくとも大きくなるのは、
謎です。ただ土の力があるわけで、
即効ではつかない筋肉か品格のようなものを感じます。
土は急がず慌てず、
持ち込ませず。 できたものが大地の答え、みたいに思えばいい、
肥料を入れない理由も再認識できます。
それに肥料探して買って、
混ぜ込む、って楽ではない。
楽しくもない。
有機肥料をただ同然で手に入れて
大きな野菜を作ることは
できます。
でもまぁ、乗る気がしないようなのは
たぶんダメ。きっと楽でもない。
つまらない邪心は流す。
そんな時は川、滝に行くと
いい感じで流せます。
自然というと漠然としているけど、
触れると心身が活性化するように思えてきます。
かつお節は真空パック入りのものは
ガスで充満させている。袋を簡単に手で開ければすぐに使える。
便利、楽です。
ただこれは本当の
かつお節とは言えない。
荒節と言ってかつおを
蒸して乾かした節を削ったもの。
熟成期間も節にカビを生やして作る
工程もない。それに仮に枯れ節であっても、ガス充満で何か
失われてはいないか?。
かつお節は本枯節を削るに限る。
なにしろ味が抜群にいい。
熟成なしのかつお節は、
発酵食とも言えない。
かつお節を削れば楽に
いいものを食べられる。
それにかつお節は好きだから、
とも答えられます。
外に出歩くのも日光やなびく風が好きだから、ってことです。
外の日差しや空気は何か良いエネルギーがあるように思えてなりません
運動は健康を追っているか、
無理にふるいたたせている気がして、好きになれない。
それに続く気がしない。
ただ外に出るのは、結構好きです。
外で見るもの聞こえる音に影響を受けているからだと今は思います。
こういったものを見たいから出る。
草で何か良いものを感じる。
探さなくても、いっぱいあるいいもの。
見つけるのは、楽で楽しいですね。