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考えるについて考える①~考えるってどうやるの?~

「じゃあさ。なんかこう、難しいこと考えることとかってある?」

「・・・え・・・あの、相対性理論について、とかですか・・・?」

「あは!そうじゃない、そうじゃないよ~!難易度の話じゃなくて。うーん、そうだな、答えが無いようなこととか。」

「答えが無いこと・・・うーん、、、ない、ですね・・・。」

「そっかあ。ないかあ。」

まただ。
また、会話が終わってしまった。

それはそれはめくるめく思考の話なんかを大好きなサクちゃんと話せる予定だった「サクちゃん聞いて」の第1回目、私は笑っちゃうくらい会話ができなかった。

それはきっと話すぞの気持ちが強かったり、
そもそもの前提条件がいろいろ違ったりで、
深く話すというよりも私がまごまごしてしまっていたから。

あのあとずっと、「考える」ということについて考えている。

サクちゃんがよく言ってる「つい考えちゃう」ということが、実はよく分かっていなかった。
時間があるときに、あ、あれについて考えよーって引き出しを開けて取り出して考えるんだよね、というような表現をしていたと思う。それ自体はイメージできるしサクちゃんらしいなと思っていて、私だってそういうことをしていきたいなと。

でも、サクちゃん聞いての1回目を経て、冒頭のやり取りを反芻すればするほど、

あれ・・・?私ってもしかして「考える」ができないのでは?

という思いが強くなり、だんだんそれは確信に近いものになってる。


いやいや。もちろんね、きっと広義では「考えて」いると思うのよ。
一応一人暮らしだって結婚だって育児だってどうにかできているし、仕事だって自分で言うのもなんだけど結構デキる方。ゼロイチが苦手な意識はあるけれど、リーダーとして母として妻として意思決定もそれなりにしてきた。
考えてるはずなんだよ。

でも、こういうことよく考えるんだよね、つい考えちゃうんだよね、というのがピンとこない。しかも答えのないことだって?
どういうことだ?

日々思ったことを手帳に書く、noteに書く、発信する。
思考の深い友人たちとzoomやリアルで何時間も語らい気付きを深める。
対談イベントに足を運び、本を読み、感想を発信する。

やっとここ数年でこうしたことができるようになってきて、ランチ仲間や夫からは「ポッドキャストとかやればいいのに」なんて嬉しいことも言われたりもしている。
昨年末には「よーし、ものは試しだ!来年は1ヶ月限定毎日発信で音声配信やってみるぞ~!」などと燃えてすらいた。

でも気づいてしまった。

私、「分かった」り「思った」り「気づいた」りしてるだけで「考えて」はいない。


「考える」って、どうやるの???


voicyや読書からのインプットは楽しい。
それだけ思考の幅が広がる感じがしてたけど、実はきっと、手持ちの選択肢を増やしてる行為なんじゃないだろうか。
何か観たり聴いたりしたことへのリアクションは取れる。
面白かった。学びになった。こういう考え方もあるんだなと思った。〇〇が~だと分かった。
「それに対してこう思う」まではイケる。ギリ。ギリだけどイケる。
それについてあの人がこう考えていて、それを聞いたらなんかいい感じだなって思った、だから私もそう思いたい、という「私もそう思う」。
「それについて考えたんだけどさ」は、述べられない。
どこかで見聞きした同じようなトピックのあの人が話してたあれを思い浮かべながら「それってこういうことなんじゃない?」みたいなことは、ギリ。


そもそも、答えのないことを考えるってなんだろう?
正解がないものに対して何をゴールにすればいいんだろう。

そもそも「考える」って、なんだ?
考えるとき、その拠り所をどこに置けばいいのかわからない。
だからゴールすらないと、それはそれは浮草のようにふわふわとしてしまう。
自分がこう思う、だからこうだ。
その「自分が」「思う」すらも自分のものじゃないから心許無いのかな。


なるほどな。
考えてる人は「思う」すら自分のものにしてるんだ。

めちゃくちゃ大発見みたいに書いちゃったけど、特にnoteにいる人たちなんてみんな既に知ってるしやってることですよね。


ねえ、それっていつからできるの?
どうやって身につけたの?
普段どうやって思ったり考えたりしてるの?
教えてくれ~~~~。

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