「繋ぎたいから手を繋ぐ」という当たり前に気づく。
台北旅行中、とにかく娘たちの手をギュッと握っていた。
離さないで、離れないで、こっちだよ、お願い。
私自身の緊張もあるし、ちょっとした焦りもたぶんあった。
途中何度か長女に「ごめん、ちょっと痛い」と言われたのを、これを書きながら思い出すなんてひどい話だね。
キャンプを振り返って思うのは、あれ?全然手を繋いだりしてないな?
なんなら抱っこなんて1回してなくない?
あんなに疲れて寝てたのに、抱っこして!って言われなかったな。
ということ。
だってそもそもぶつかそうな距離に人がいないし、目が届くから迷子の心配もない。
いいよ行っといでー!って50m先のお隣さんの子連れキャンパーのところまで軽く見送った。
キャンプ地からの移動もないから子どもにとって無駄な徒歩も必要ない。
歩きたいときに歩きたいところへ歩くだけ。
それでもちょっと離れたトイレまで娘たちと行くとき、自然と手を繋いだ。
そのときのことを思い出すと、「止まって!ねえ待って!お母さんと手を繋いで!」なんて感じじゃなくて、
隣に娘たちが歩いているから手を握った、という感じ。
それは本当に自然な感じで、
そういえば娘たちの手はこんなに柔らかかったな、
って、思ったの。
なんか、たぶん、この余裕だよね。
この親の余裕が子どもたちに伝わって、
というかそもそも子どもたちにも普段よりも制限が少ないから自由で開放的で、
だからあんなにずっと楽しそうだったんだなって思う。
これはキャンプを礼賛するのでも旅行を下げるのでもなく、
「手を繋ぐ」ということについての気づき。
そうだよね。
手を繋ぐことも抱っこをすることも、本来は「したいからする」べきであるはずなんだ。
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