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木桶サミット2025 in小豆島 -想い-
木桶サミット/木桶職人復活プロジェクトとは
興味を持ったメーカーや関係者たちと企業や業界の枠を越えて集まり、毎年1月に小豆島で新桶づくりをするプロジェクトのことです。
2010年には一社にまで減った木桶を製造する桶屋。絶滅の危機に瀕した木桶作りを次世代に繋ぐことを目的としているプロジェクトで、ヤマロク醤油の5代目 山本康夫さんの掛け声により2013年から始まりました。今年で13年目を迎えたサミット。毎年ここ小豆島の地に全国、世界中から熱い想いを持った人たちが集まり、語り合い、桶を作り上げています。
時間がない方は「★サミット全体を通して私が思ったこと」に飛んでください。
運命の1週間のはじまり
私は京都の「加藤みそ」で出会ったこの本だけをお守り代わりに持って、人生初・小豆島に向かいました。
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ずっと憧れていた小豆島へ向かうフェリーの中、木桶サミットのYoutubeで予習しながらイメトレ。どのYoutube動画も蔵元や職人達の個性と思いが伝わり、涙が出るような映像もあります。
でも実際、どんな人達が集まっているのか、誰とも会ったことがなかったため、ドキドキ緊張していていました。まっさらな気持ちで、とにかく元気を武器に楽しもう!できるだけたくさんの人とお話ししよう!という気持ちで現地に臨みました。
憧れのヤマロク醤油に到着
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あの夢に見たヤマロク醤油につきました。Youtubeやインスタグムで見てた景色をいざ目の前にすると、ディズニーランドに入った時のような異世界感、非現実感がありました(嘘じゃないです!)。でも醤油屋さんが日々行なっていることは極めてシンプル。蔵元が醤油の製造をし、製品のラベル貼りや物販を従業員の方が行う。そして桶作りも同じ。そのシンプルで美しい景色を目の前にした時、ホッと地元に帰ってきたような安心感を覚えました。シンプル、でも作り手や先代の思いの結晶によってできる醤油、木桶仕込みの世界、そしてその世界観に魅了されていく人々の一体感に私は吸い込まれて行ったのだ、とヤマロク醤油に到着した瞬間感じました。
運命を変える二人との出会い
1月28日午後3時頃、ヤマロク醤油に到着。しばらくして、ヤマロク醤油の山本康夫さん、そして職人醤油の高橋万太郎さんと初対面しました。
正直はじめてお会いした時は、この2人が、私にとってここまで大きな存在になるとは思ってもいませんでした。
桶プロの特別な世界観と空気感を味わせてくれた山本さん。そして、人生のアドバイス、自身の信念もたくさん共有していただきました。
そして私の可能性と世界を広げるチャンスをたくさん与えてくださった万太郎さん。万太郎さんの存在無しでは今回のサミットでここまでのものを得ることはできませんでした。
お二人には感謝の気持ちでいっぱいです。
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そして世界一カッコいい職人集団との出会い
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木桶職人復活プロジェクトの重要構成員には、まるでワンピースの登場人物のようなスターたちが集結しています。
ガチでかっこいいんです。私のスター達です。
■海賊王ならぬ、世界の1%を取りにいく、木桶職人復活プロジェクトの発起人 ヤマロク醤油・山本康夫さん。
この世界の1%には、「木桶仕込みの醤油 国内シェア1%から世界シェア1%を取りにいく」という意味が込められています。
■「未来の人間国宝」桶職人の坂口直人師匠。山本さんと同級生。
■機械や鉄・金属加工のプロフェッショナル、今井浩之さん。
■木工関係、特に細かい作業の玄人、岡主弘さん。
この四天王に加わり、
■蔵元仕込みの醤油を100mlの小瓶で販売する「職人醤油」の経営者、木桶コンソーシアム代表、木桶職人復活プロジェクトの重要人物であり「人を繋げ、伝統を再仕込みする玄人」高橋万太郎さん。
■福島県郡山市の大工であり桶職人、「桶プロの完成形」伊藤大輔さん。
■兵庫県灘市 日本最古の日本酒ブランドとして知られる「剣菱酒造」から、木工チーム課長の中野勝さん。
■自然酒で有名な福島県郡山市の酒造 「仁井田本家」から井上篤さん。
■日本で唯一、洋樽と木桶 両方の製作、リペアを手がける祝迫智洋さん。
■官能評価士をしながら木桶端材でアクセサリーなどのアップサイクルを手がける、頼れるみんなの親方 、門之園知子さん。
■奈良県吉野で宿を経営しながら樽丸と木桶を作る横堀寛人さん。
ここでは、今回のサミットで職人チームとして木桶の製作を手がけた方々を紹介しました。もちろん、上記以外の方々の力によっても木桶製作、サミットは成り立っています。
みなさんそれぞれ違うバックグラウンドと強みを持っているので、集まると本当に最強なんです。桶もすごいスピードでできていきます。
でもみなさんの凄いところって、カッコいいだけじゃなくて、とにかくオモロいんです。島外から来た人に地元ノリを味合わせてくれて、ナイスすぎるボケツッコミのキャッチボールが毎秒繰り広げられています。特に直人師匠の口から出る言葉はなんであんなに面白いんでしょう。心温かいユーモアもあって最高です。サミットの特別な空気感はこの方々の地元ノリ的チームワークのおかげでできているのだと思います。
小豆島で起こる化学反応
冒頭にも述べたように、この木桶職人復活プロジェクトの醍醐味は様々な業種の人たちが混ざり合い、力を出し合い、助け合うことで初めて完成するプロジェクトであるということです。「ヤマロク醤油だけ木桶が残ったところで意味がない。醤油の蔵元に声をかけて大勢で一緒にやろう」この山本さんの声によって始まったのです。
「蔵元みんなで協力して木桶仕込み醤油の生産を増やせば、木桶の需要も増える。新桶の注文が入れば桶作りの技術が磨かれて残るし、消費者も木桶仕込みの醤油を買うことができる。桶屋、醤油屋、消費者、三方よし。ウィンウィンウィンになるやん」 山本康夫
現在は、全国の木桶醤油屋だけではなく、味噌・たまり・日本酒などの醸造家、食品メーカーや卸、小売店、商社、料理研究家や麹の講師、さらにはアパレル業界からデザイン会社、行政機関の職員や大学教授、そして私のような学生などなど、業種の垣根を超えた人たちがそれぞれ想いを持って、小豆島に集結しています。
若手、次世代に対する職人達の思い
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今回のサミットは世代交代を目指し、初めて、若手醤油職人たち主導でサミットが運営、進行されていました。私は今回初めて木桶サミットに参加したため、昨年以前のサミットがどのような様子だったかわかりません。ですが、私が確実に感じ取ったことは、「職人達の若手・次世代に対する強い想い」です。サミットの参加者も年々増え、海外向けの発信に注力していることもあり、「KIOKE」が世界に知られるようになってきました。しかし、醤油屋も桶職人もやはり若手人材が少ない。もしくは、世代交代がうまくできていない。といった課題があります。
そのような課題だけではなく、若手一人一人の成長のために悩み、話し合いを繰り返す職人さん、サミット運営者の方々の姿に、私はなぜか、一番心動かされていました。
若手職人の多くは、私と同じ20代の同世代、もしくは少しだけ年上の方々が多いです。先代やご両親が受け継いだ伝統、そして100年・300年といった私には想像もできないような長い歴史を背負って、醤油屋を継ぐと決めた方々の決意は本当に誇らしく、心から力になりたいと思っています。
若手醤油職人さんたちの話とは少しずれますが、私はそのような話し合いに混ぜてもらった時、現代の若者、これからの日本についてすごく考えさせられました。
★サミット全体を通して私が思ったこと
生まれた時から ある程度モノに恵まれ、コンビニや大型スーパー、ショッピングモールでなんでも物が手に入る時代に育った私たち。(日本全国で同じ物ものが手に入るし、海外製品も買える)
さらにインターネットやソーシャルメディアの発展により、いつでも簡単に世界と繋がれる、情報や知識を得られる、これ以上にない便利で自由な時代を生きています。
そんな時代に生まれてきた私たちは、よっぽどおかしな出会い(良い意味で)やひょんなきっかけがない限り、「木桶に出会う」ことがないのです。
それは木桶だけではありません。
文化は世界各国や日本各地の慣習が日常的に行われなくなった時に「文化」と呼ばれるようになります。だから、「文化」というものには、きっかけがない限り、出会ったり触れる機会が基本的にはないのです。
では、木桶仕込みは慣習ではなくて「文化」なのでしょうか。
木桶じゃなくても味噌や醤油は作れるのだから。
私は木桶は文化ではなく、先人が日本に残した最後のメッセージだと感じています。だから、「文化」にしてしまってはいけないと考えます。
日本だけではなく、先進国の多くは成長しきっています。
そんな成長しきった消費社会、工業化による大量生産が合理的で当たり前となった時代、歪んだ資本主義が息詰まった今、必要とされることは価値生産力なのです。
その価値というものが、日本の伝統文化、とりわけ食文化には宝箱のように溢れています。その食文化の基盤を支えてきたのが伝統発酵調味料であり「木桶仕込み」なのです。
そのことに、海外の賢い人たちは気づいてきています。しかし残念ながら、多くの日本の若者にはまだ届いていません。この言葉が響くまでにもなにか大きなアクションが必要、もう少し時間がかかりそうです。
ですが私たち若者は、これから果たしていかなければならない役割があります。それは日本に「何を残していくか」という価値選択です。
2050年には人口約9,515万人、現在の人口の約25.5%も減少するのだから。
そんな時代に私たちは何を残していくのか。
その中で木桶文化を残したい、残さなけれならないと思う若者をどれだけ増やしていけるか。
これが私ができる、使命だと思っています。
木桶仕込みは製造手段の一つです。
木桶が正義で、タンクが悪、とかそうゆう議論ではありません。
何を価値とするか なのです。
"森林大国 日本"が自然の恩恵を得て、木こりが木を切り、職人が製材し、桶を作り、その中で美味しい調味料を蔵元が仕込む。木桶に棲みつく微生物の働きによって発酵が進み、美味しい醤油や味噌などの調味料が作り出され私達の食生活を豊かにする。
循環という言葉が数年前から流行っていますが、究極の循環の形が日本文化・日本食文化には元来備わっています。
そして、ただ地球環境や生き物に優しいだけではなく、こだわりを持った消費行動をすること、または食べ物の生産の過程に自らが関わっていくことは、人々に喜びと幸せ、生きている感覚を与えます。
それを証明しているのが「木桶サミット」なのです。
生産者の思いやこだわりを知り、彼らが仕込んだお醤油をいただく、美味しいと感じる、また買いたいと思う。とてもシンプル。でもその一回の出会いやきっかけが、その人の「買う」という行為全体に変化を与えます。
木桶を知るということも同じです。「この醤油美味しい。調べてみたら木桶仕込みだった!」こんな出会いも。
★木桶が日本にもっと広まることで、日本社会全体の消費行動に変化が訪れると私は確信しています。ヨーロッパではこだわりを持った消費行動がかなり前から定着しており、イタリアで始まった「スローフード運動」という、その土地の食文化を守る目的のムーブメントは現在世界中に広がっています。
ですが日本には「KIOKE」があります。スローフード運動じゃなくて、「KIOKE」が良いんです。 欧米に前ならえではなくて、日本独自のやり方で、世界をちょっとずつ良くしていけるのです。その素材全て揃っているのが「木桶」です。
おわりに
知らない間に、木桶への愛、想いが止まらなくなっています。
サミットに参加した人は全員このような思いを持っていると思います。一度木桶の世界を知ってしまったら、もう愛さずにはいられません。
こんなにも人を魅了するパワーがあるのだから、もっと多くの日本人を巻き込んでいけると思います。世界を味方に。木桶醤油が世界の1%をとった時の景色を、私は死ぬまでに見たいです。そしてそのために、私は力になると決めました。
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