桃大学 ももたろう学科 桃文学科
ももたろうに絡まれたわたしの桃好きの歴史について、前回書いたのですが、
桃について考えていたら文学に出てくる「桃」も何点か思い出したのでご紹介することにしました。
本を通じて、盛りも終盤ですが桃をお裾分けします。それこそ、山程。
桃 もうひとつのツ、イ、ラ、ク/姫野カオルコ
桃と言うと一番に思い出すのは、こちらの作品です。そもそも「ツ、イ、ラ、ク」がマイベストオブ恋愛小説なのですが、「桃」はそちらのスピンオフ作品になります。(「ツ、イ、ラ、ク」のあらすじは、中学校の先生と生徒が恋をする話です。。。なんて言うと安っぽいですけどね。圧倒的な情感で恋の波に溺れ、思いやりと忍耐が2人の恋愛事件を辛うじて死なないところに着地させた、と言う、奇跡を目の当たりにする名文学。皆さんにも是非読んでほしい。)
さて、ご紹介の「桃」ですが、若かりし頃の致命的な恋愛の生々しさと、その後の消化試合みたくなっている粛々とした人生の日々が桃を食べることで時を超えて繋がります。
恋した人と過ごした分だけ思い出が今の自分を切なく苦しくさせる。恋を進めた手のひらとそれを留めた手のひらが同じだからこそ、桃がどんなにセクシーな思い出でも決して下品にならない一話となっております。
死ぬほど好き/林真理子より「果実」
こちらは、若くて普通の、もしかしたらちゃんと考えるのがあまり得意じゃない、可愛らしいお嬢さんたちのそれぞれの生活からの冒険を描いた短編集です。その中で、「果実」は一番最初に載っているお話です。
実家住まいの由希は、桃の選別のアルバイトに参加します。もうすぐ結婚を控えているにもかかわらず、そこで再会した高校の後輩男子と仲良くなって。。。と言う話。
桃が食べ物としてだけではなく木々に実る果樹として、コンベアで運ばれる商品として、みずみずしく美しく表現されています。樹になる実としての桃、商品としての桃を描き、その生き生きした表現に読者が目を奪われているうちに、セクシーな象徴としての桃がその発露を目掛けて根を這わして行きます。
主人公の行為は平凡で低俗なオハナシなのですが、桃が売り物になるまでの産地の様子の牧歌的な美しさに目を奪われてしまうこと、主人公自身が自ら突き進みつつ、どこか覚めて、諦めていることがお話を下卑たものにせず仕上がってます。上手いなあ、巧みだなあって唸る作品です。
ちなみに同小説集の「憶えていた歌」は、アイドルに憧れた学生時代を思い出して涙ちょちょぎれました。
天才柳沢教授の生活/山下和美より第26話「教授、脱帽す」
続いては柳沢教授の生活より、桃をご紹介します。
柳沢教授が、恩師に好物の桃を持って会いに行きます。しかしながら、お年を召した恩師は柳沢教授を認識してくれません。
そこにまだ恩師先生が元気だった頃から大好きだったものが2つ揃って、奇跡が起こる、と言う内容です。
このお話の素晴らしいところは、食べてもいい桃がいつ食べてもいいんだよって風情にたくさんあるところがまずひとつ。そして、もう一つはここに出てくる桃はきれいに切られている事です。ナイフで種から放心円状に切られた笹舟形の桃。人から食べさせてもらえる、きれいに切られた桃。これもう天国だなあって思うワンシーンです。(ただ、恩師の家で出された桃なので遠慮なくパクパクってシーンではないのですがね。その禁欲を強いるところも桃ならではです。食べたいのに食べられそうで食べられない、桃の宿世?)
(そう言えば、柳沢教授の生活の中に、二重に人格を持った男の子がその性格を統合するお話にも桃がでてきてました。男の子は桃太郎くんと呼ばれていましたが、こちらはあんまり桃が出ないので割愛します。)
まるまる、フルーツより 町田康 /「地下鉄のなかで桃を食う。手も服も。身も心も。」(初出「爆裂道祖神」より転載されたもの、こちらのエッセイ集には写真は不掲載だったはず)
町田康さんのこちらのエッセイ、桃なのですよ。最初に本になったエッセイ集の名前がどうしても分からないのですが、フォトエッセイだったのです。(※「爆裂道祖神」でした。)
青いフルーツの盛り皿に一杯桃が盛られた写真に添えられた一編でした。出かけていった先の応接で山ほどの桃を見つけて、ちょいと話題に出したら食べ切れないから貰って行ってーって言われて、わーいってウキウキ帰る話を町田康節でまくし立てる?独説する?話です。いやあ羨ましい。夢なら覚めないで。
きっと、このシチュエーションが、わたしの夢なんでしょうね。ここだけ憶えてるんですものね。。わたしでも同じことがもし現実であったら嬉しいだろうなー。
桃ってさ、買うんじゃなくて、食べ放題じゃなくて、桃をくれる相手の顔色を伺いながら、よく冷えた切り立ての色の変わってない甘い桃をお腹いっぱいになるまで食べたい。そう言うものだよね。なんだろうね、愛とか母乳に似てるってことなのかな。自分でたくさん買うのはちょっと虚しい、誰かからもらったらすごく嬉しい。ちょっと雑にふんだんに受け取りたい。。。私が受け取りたい愛情への感覚に酷似してて震えますね。
ちなみにこのフルーツのエッセイは、フルーツ食べ過ぎてエア水っ腹になるから、読む際はお気をつけ下さい。
奥様はクレイジーフルーツ/柚木麻子
最後はこちらです。レスな奥様の逡巡が、奥様の周りにいる浮気候補?とフルーツを通じて表されています。
ああ、これ、桃が出てたなと思ってセレクトして読み直したわけですが、おセクシーな桃がクローズアップされてて、実際のラブシーンはないのですが、桃を用いての表現としては上の品ではないので、一番最後に紹介しました。
ただ、レスを扱っていながら、作者が主人公を自暴自棄な奈落に落としたりはしてなくて、そこがとてもいいと思いました。悩んで、行動に出る主人公を馬鹿にしてもいないし、その行為において、彼女を見下す異性が出てくるわけでもない。それは作者さんが上品だからなのだなと思いました。
さて、桃が出てくる話ばっかり集めた、桃文学、楽しんでいただけましたでしょうか?思い出すままに紹介しながら、桃が桃であるが故にか禁欲と背中合わせであること、禁忌の実の本質はママへの思慕でないかと思ったこと等、新しい発見があり又探究を進めていきたいなあと思った次第です。
桃の実でもぶどうでも、お夕飯でも、これを読むあなたが美味しいものにありつけます様に。 まだ見たこともない桃の畑の樹の下で手を振って今日はおわかれ。
あなたにいいことがありますように。