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フランス人(Z世代)にぶったぎられた“KAMIKAZE”への尊厳
私の彼はフランス人(24歳)。
彼は三兄妹の次男坊で、上に27歳の兄、下に22歳の妹がいる。
このクリスマスの夜に、三兄妹🇫🇷と私🇯🇵で、夜な夜なSwitchのマリオカートで遊んでいた時のこと。
発端は、ボムへい。
アイテムの”ボムへい”(爆弾のキャラクター💣)を手にしながらコースを爆走していた私に向かって、恋人である彼がこう言った。
「ノノカ!!爆弾、早くどっかにやって!危ない!
It’s like a Kamikaze!」
…
これはジョーク。
彼はジョークとして、ボムへいを抱えた私を”Kamikaze”と比喩して、その場にいたみんながフツーーに笑い、私自身も笑っていた。
そして私はそのジョークに対して、こう返した。
🇯🇵「おいーー!Kamikazeにリスペクトを払えよ〜!」
特に深く考えた返しではなく、ナチュラルに、とっさに。
すると彼らは、
🇫🇷「…Quoi? (は?) あんな残虐なことをした悪者たちにリスペクトがあるの?(失笑)」と。
それまではジョークとして会話を楽しみ笑っていた私も、彼の「神風特攻隊員=悪者」とした表現に対しては「NO」と反応した。
以下続く。
🇯🇵「NOOO!彼ら(神風特攻隊員)は悪者じゃないよ!
指令を下した上部が悪者!隊員たちは指示に従っただけじゃん!」
🇫🇷「上からの指令だったとしても、その指令に従うと選択したのはひとりひとりの特攻隊員だよ。いつだって、個人の選択に責任がある。」
🇯🇵「…日本ではそうは教わらなかった。もちろん神風という作戦自体はクレイジーだけど。自らの命を犠牲にして国のために戦った隊員たちを、悪者だと教わったことは一度もないよ。」
🇫🇷「確かに彼らは洗脳されていたと言っても過言ではないだろうから、例外なケースかもしれないね。でも、原則としてフランスでは、いつでも個人の選択に責任がある、と教わるんだ。」
…
とのこと。
ほほぅ。
さて、このマリカ対戦中の何気ない会話から、私が取り上げたいトピックはこの2つ。
①フランス人が持つ神風特攻隊についての印象
②フランス的教育「個人の選択に責任がある」について
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①フランス人が持つ神風特攻隊についての印象
の前に、まずは私が持つ神風への印象を考えてみました。
私自身が日本の学校で習った”神風”とは。
当時10代〜20代前半の少年たちが招集され、飛行機ごと敵軍に突っ込む神風特攻。出撃命令=死の宣告。
「戦争に行きたくない」と表立って言うことはタブー。本当は行きたくないし死にたくないと思いながら、命令通りに玉砕した隊員たち。隊員たちが書いたとされる、家族や恋人に向けて書かれた最期の手紙の内容が印象的。
これまで受けてきた教育の結果から、現在の私が持つ神風特攻隊員たちへの印象は、かわいそう、だ。どの教師からも、教科書からも、「特攻隊員たちは悪いことをした」と教わった記憶はない。
一方、フランス人が知る”Kamikaze”とは。
フランスではテレビや新聞で、自爆テロのテロリストたちをKamikazeと呼んで報道することがある。
これはフランスに限らず、英語圏でも同様。
私がフランス人の彼らとの会話中に感じた、モヤっとした違和感の原因はこれだった。
神風特攻隊員たちは、戦時要員として敵軍を狙った。兵vs兵。だれかれ構わず突撃する部隊ではない。
つまり、無差別に一般市民を巻き込む現代の自爆テロと、戦下の神風特攻を同義にするのは間違っている、ということ。
もしかしたら、フランスでも、学校の歴史の授業では正しく教えているかもしれない。けれど、テレビの報道や新聞記事の見出し等で、日常的にKamikazeが自爆テロを指す言葉として使われているのなら、社会に誤った認識で定着してしまうのも無理はないよなー。
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こんなモナリザは嫌だ。(鉄拳)
②フランス的教育「個人の選択に責任がある」について
個人主義国家、フランス。
フランス三兄妹が口をそろえて言っていた「フランスでは、みんな自分のした決断に責任を持たなければいけない」という言葉が強く印象に残った。
この教えこそがフランス人の根底だな、と腑に落ちた。
フランスでは、幼い子供でも大人と同じように、ひとりの個人として扱う。
もちろん家庭によるけれど、日本の一般的な感覚と比べると圧倒的に赤ちゃん扱いしない。
幼い頃から、自己主張する習慣がある。
そして、フランスでは同調圧力がほぼ存在しない。
全くないわけではないけれど、日本の10倍弱い感覚。
自分の意見と、相手の意見が違って当然。
「この後みんなで飲みに行くけど、一緒に行く〜?」「うーん、私はいいや〜」「オッケー」で終了。「ちょっと頭が痛いから…」とか「明日朝早いから…」みたいな一言はいらない!!
移民国家で、いろんな人種の人々が一緒に住んでいるフランス。街で聞こえてくる言語は様々。宗教も様々、慣習も様々。
いちいち他人と違うことを気にしない。自分は自分。
だからフランス人は、自分のありのままを受け入れている人が本当に多いと感じる。日本と比べて。
この考えを持ってるかどうかで、生きやすさがだいぶ変わるよね。
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ただ、他人には干渉しないベース。
細かいことは気にしないフランス。
マリオカートのボムへいという何気ないきっかけから、結構しっかりした議論になった、というところもミソで。
フランス人は討論好きとよくいうけれど、本当にそう。日常的によく討論をする。でもきっと、彼らにとっては討論とも思っていないのだろう。
おしゃべり好きなフランス人。家族とのテレビ電話もしょっちゅう。店員もレジ打ちながら同僚とおしゃべり放題。お客さんが多少待ってても気にしない。お客さんもいちいち文句言わないし。
日本と比べるとテキトーだし雑なことばかりだけど、逆に日本にいた時の自分は常に整合性を求めてたんだなって、フランスに来てから気がついた!
そして、整合性なんて気にしない方が人生楽だしハッピー!
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パリの街角。
私はフランス人が好きだし、フランスの生活がとてもしっくりきています。
日本に住んでいた時よりも心理的にストレスフリーな生活が送れています。(言語が通じないストレスはまだあるけれど。)
細かいことは気にしない!他人は他人!
ただ自分がハッピーであればいい!それだけ!
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ナルトはダントツ人気。
タイトルでは"尊厳"としたけれど…
私は神風特攻隊を「尊い」とか「かっこいい」とは思っていない。
だけど、無意識的に、悪く言ってはいけない存在として認識してたかも…、と今回のボムへい発端で気がついた。
フランス人が自爆テロを指してKamikazeという言葉を使っていても、まあ、そっかー、まあそういうもんだよな、という感じです。(どんな感じ?)
言葉は時間の経過で意味が変わってくることもあるし、正確な意味と違う意味で定着して広く使われている言葉も世界中にはたっくさんあるし。
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ジョーク好きなフランス人。またフランス人からKamikazeジョークを食らったとしても、今後も、鼻で笑ってサラッと流すだろう。
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フランスでは、乾燥している食べ物は直置きOK。
左から、よく焼けたもの、焼き過ぎ、生焼け。
おわり!