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思い出はもういらない。
思い出は重荷になる。思い出になれば邪魔になる。
再会。
僕は、どこの誰だか知らない他人のネット上にある過去の日記が好きだ。
きっと僕が好きだった、その見ず知らずの誰かの「生きた記録」や「証」のその日記がどれも途中で更新が途切れているのは。
もしかしたら、その人にとって、何か大きな変化や出来事があって、それまでの日記や自分の書き続けてきた記録が、そこで更新しなくなった理由が大なり小なりあるのかな、と何気なく考えた。
何気ないキッカケが人生を変えてくれる、ふとした些細なことが自分を変えてしまう事もある。
もしかしたら。何かあったのかもしれない。
その人はもうそこには居ないのかもしれない。
・・・・・・・
いつまでも子供ではいられない。青々しさ。刺々しさ。痛々しさ。
初期衝動と安定しない心。
それをいつまでも若気の至りや狂気みたいに傷つけながら。
自分で自分を傷つけながら。
大人になると新たに責任感や背負うものがある。
それまで抱えて生きてきた不安や怒りや焦りや衝動。
それでも優しさを履き違え、自分で自分を絞首。
愛されたいだけだったのに全ての苦痛や苦悩。悲しみや寂しさや不安や孤独感から解放されることもなければ、救われる未来が僕はまだ見えていない。
でも怠慢ではなく、図太さは少し出てきたのかな。
大切な人たちからもらった声や温もりをこの胸に心臓に、突き立て、刺して、もう一秒でも一瞬でもいいから早く、僕はこの偽りの愛に包まれて、死にたい。遠い未来の話。
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その時には、更新は止まっているといいね。
またいつかどこかの誰かが僕に浮遊して、たどり着いてくれたら僕から言えることは
「それは死ぬ程の事かい?」
「それほどの事なのか?」
と今は伝える。音楽も言葉も、もうそんな事、追い越して。
「今が答えだ」「今の全てが答えだ」
と生きる為に割り切ったとしても、僕らは常に群像劇の真っ只中を生きている。解ったような口も気もないけれど。
運命論者は夢を語るのだけど、革命家はこれからを語る。
今までのようには何とかなるでは何も成らないけれど、逃げずに考えて。
努力できるやる気や、楽しみというより、生き甲斐や自分が誇れる大切な存在を持てるような、人生や世界にしてね。
ミカンのような、甘酸っぱい傷が生乾きで、今でも胸がうずくのです。
そんな悲しいも寂しいも切ないも孤独で苦しい夜のような日々も。
いつかどこかで終わりが訪れるのです。タイミング。
その人生の変わり目のそのタイミングを逃してしまうと。
僕らはまたひとつ、先の見えない闇の中に戻っているのかもしれません。
・・・・・・・
バスの窓から、そこそこ大きな橋が見える。
そのシンプルなデザインの鉄橋。
きっと100年後には形が変わっているだろう。
もうこの橋はその時には存在しないだろう。
きっと新しい橋は、最先端の技術や新しい乗り物が走る。
システム化された橋。
今からは想像も予想もつかない未来が何食わぬ顔で動いているのだろう。
・・・・・・・
僕はこのnotoの最初から始まって最近まで、今の僕は「人生の第二章から第三章への過渡期」「それがどうしてもうまくいかないんだ」と言っている。
解かっている。気が付いた。神のみぞ知るから、僕じゃなくたって、誰だって本当は解かっているよ。解かっているけど、それを自分が受け入れられないんだよ現実。
僕の優しさの誤解釈は、大切にすればその僕の想いは届く、みたいなものだ。
「努力は必ず報われる、夢はいつかは華開く」みたいな、「痛みを知る人は解かる人は他人の心の痛みや傷も理解できる」と想っていたくらい僕は勘違いしていた。
もし天変地異や神様の悪戯みたいな不幸が重なって、不安が、感情が、生き辛さも言っていられないくらいの速度で、白昼夢は僕らの時を止めて。
もう何も感じなくなって、もうこれで良い。終わりにしたい。と、万が一そんな立場に追い詰められてしまったら。
僕は笑顔のような色をもった表情をしてぼーっとしているよ。
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大切なあなたの人生を語って。
何があったのか。いつ、どこで、誰と、何のために。
君の人生分岐点。キーワードやキーパーソンになる存在。
運命はタイミングだから、群像する僕らの中。
僕は君のすべてを知りたい。
心の傷、トラウマ。
苦しんでいる本当の君の姿。 僕は君の肌の空気、体温、触感、響き、感触。僕は君の歩く姿も笑っている姿も、後ろ姿のその背中も。
僕はこれからをこれからは、あまり気にし過ぎずに、気楽に、でも真剣にね、思い出をこれからまた一から作り直すのかもしれない。
僕は自分のHSS型PSH エンパス みたいな複合してしまう歪な僕だから、生き辛さに対して今は俯瞰(不感)になって、でもそのまま「ただただ何となく生きているだけ」の人間にはなりたくない。
片方は悪夢白昼夢の引き篭もりのおとぎ姫。
片方とは駆け引きなんてするくらいなら。
僕はもうここで消えて死ぬ。