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be 2022/7/7
僕が好きな人に自分を好きになってもらいたい。
大切だと思っている人に大切に思ってもらいたい。
人生なんてものは、それの繰り返しや自答(自戦)だと知った。
好きな人や大切な人と一緒にいたい。
自分が尊敬している憧れている人には、
自分と同じ価値観でいてもらいたい。
また、同じ感覚でいてもらえると思い込んでいたりする。
でも人間。他人。
聖人君子なんてこの世にはいない。
だから相手が自分と同じ思いでいるなんてことはない。
自分の思っていた通りの生き方をしている訳がない。
そこで相手に幻滅したり、ショックを受けて、
傷ついたりもしているのだと思う。
それでも、「主観」はどこまで行っても自分。
自分の物語は自分だけにしか解からない。
伝える事は大変な労力がいります。
そこには運命みたいなものがいるのかもしれない。
でもそこで「自分には才能がある」や「自分には特別な何かがある」みたいな想像空想を抱えてしまうと生き辛くなる。だからそれは生き方としては間違いを犯しやすい考え方、考え方なんだと気がつき知った。
努力したからと言って想いは届かないし、届いたとしても伝わるとは限らない。どこまでいってもそれまでなのです。
僕はこうして今を生きていますが、その理由も過程も他人には判ってもらえるものではないのです。
悲しいというか複雑な心境になってしまうのですが。話したところで、どこまでいっても全て「そこまで」なのでした。
あの人が僕の事を知ってくれていたら嬉しい。
君が僕を好きでいてくれたら嬉しい。
あの人も僕も。
きっと人を傷つけたり、無責任だと言われるような言動をしている思う。
裏切りだと、僕も言われるような過ちをしてしまっている思う。
それを繰り返しながら今日も生きています。
過去にしてしまったことも、良いことも悪い事も、
それも他人から見ての評価です。味方、見え方の問題です。
僕は「大好き」な君と一緒にいられる世界を望みます。
僕は「大好き」な君が、僕を好きでいてくれる世界を望みます。
この記事は、7月3日(4日)に、誰か(様)宛てのファンレターを書き起こして、下書き状態で保存していたものを、一度全部消して、一から書いています。
僕からしたら上書きですが、
他人から見れば、新規作成されたページです。
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人は事件や事故、事象に対して、わかったような事を言ったり、あたかも自分は無縁無関係のような態度で、偽善や綺麗ごとのようなことを言ったりもします。その時その場の感情や一時的な心情でモノを言っていたりします。
僕は人が死のうが、どこで何をしていたとしても、そこまで自分に対して悪影響や害が無ければ見ないようにしたいと今は必死で無視したり相手にしないように切り捨てられるように努力しています。
気にしすぎたり、本当に理解されないようなビックリされるようなところを気にしていたり引きずって苦しんでいます。
でも、「所詮は人、所詮は所詮は他人」と極力努めています。
でも、僕は大切な人と一緒にいたい。
好きで仕方がない、大好きな人たちとの共存する世界を求めます。
そこでまた立ち止まったり、転んでしまう時や事もあると思う。
それでも、僕は僕の答えを君に全力で伝え続けたい。
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世の中が変わるには数年ではなくて、十年単位、百年単位で変化するみたいだ。
世の中と言うのは、世界とか世代とか社会とか価値観、人間の何かが大きく変わっているのです。些細な変化は日常の中で起こり続けているけれど、曖昧で漠然としたもの、気にならないような気付かないような変化は常に起こっていて、それがはっきと目に見えて実感できるのは大きな節目や年月がかかってしまうみたいだ。
僕が十年やそこらで語っている人生や僕の物語なんてものは、その時間や変化の中から見れば、ほんの小さな、小さな小さな取るに足らないような変化の中の一つ。けれど僕は僕だ。生きている。
今すぐには答えは出ないけど、ちょっとづつでも変わり続けて、少しでも少しでも変わっていくのです。
スイッチを変えるようにオンオフを「パチンッ」と切り替えれるものではなく、僕もそう簡単に生まれ変われるような人間ではない。
きっとこれからも悪戦苦闘し続けるし、自問自答しながら生きていくのだろう。
僕は生き辛さを抱えながら、息苦しさを感じながら今日の今も生きています。
みんな、僕を愛してくれる人たちへ
「また、どこかで逢おう」
以上です。異常ではなりません。
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神様が僕に伝えようとしている。
今夜は、星とお姫様に、ありがとう。
僕は愛されているし、生かされようとしている。
ここで、このnotoを終了とする。