目の前の簡単な事ですら、気持ちが重く遠く身体は付いてこない

何も無い。

生きていて、も、いいこと、ない。

悲しいとか、そういう感情もあるけど、確かにそれもあるけれど。

この感情を細かく正確に伝える必要は、ないと思う。

絶望というようなものが、今、これといってあるのかと聞かれたら、上のように、生きていてもいいことはない、と応える。

人は、仕事や生活をしながら、嫌なことや痛み、怒りも確かにあるだろうけど、逆に、ふとした事で笑ったり、楽しんだり。
良い事や悪い事、その中で息をしているのだと思う。

そして、そうして、年を取り、老いていくのだ。
自分が死ぬ時ですらも、そのそれとない日常の流れの中で、僕らは生きて死んでいくのだろう。

仕事帰りに半額以下で買えたお惣菜。

美味しそうな刺身。

気になるスイーツ、新商品。

毎年新商品として同じ商品が並ぶのに。

そういえば、コンビニの新商品って、毎年同じ商品に新商品とか、さらに美味しくなって、とか謳い文句が張られている。

それを見るたびに、「毎年どころか、一年中このタマゴサンドは置いてあるし」「一年中変わらないよな。毎年変わらないよな」と思ってた。

けど、これは少し違うのかもしれない。

このタマゴサンドを、初めて食べる人がいる。

それは子供という未経験者だ。

その人たちは、初めて、コンビニでそのサンドイッチを見、初めて買おうとしているのかもしれない。初めて見る商品たち、陳列棚を見ているのだ。

だから初めて見る、初めて買いに来た、初めて食べるのだ。
その人に向けてアピールしている事も忘れてはいけない。
だから毎年、同じような広告もあれば、誰だって初めて見るようなものがいっぱいある。
コンビニはさすがに何十年も通って見飽きるくらい生活の中にあるから、僕はそう思わないだけだという事に気が付くと、そんなに違和感はない。

初めての見る、その人から見れば、新商品やその謳い文句は刺激的で魅力的な未知の味なのだ。

そこに対して

「これ毎年、一年中あるよ」
「ずっと同じじゃん」

と言っても、それは一方的な意見であって、確かにそうなのかもしれないけど、それはそちらの意見であって。

そうやって気が付けば、こんな時間。
気が付けば、こんな所に。
気が付けば、もう一生。

・・

逃げるとは、過去を捨てるという事らしい。そういう風に考える事も出来るのか、と考えて気が付いた。

リセット癖と言うのか、特に自分軸で生きると、過去を切り捨てるような選択を迫られる時がある。

自分の事。今、自分が置かれている環境。今まで自分がしてきた過去の良い事も悪い事も。
それを「過去は過去」と言い、決別するかのようにして、美談にするのも僕は人間らしくて良いと思う。それが現実だろう。事実、真実だ。

けど、よく考えれば気が付く事もある。

過去を捨てるという事は、
それまでの自分を捨てる覚悟が無ければおかしいと思う。

都合よく自分の綺麗な過去や美談、武勇伝だけを持って過去を捨てたり、現実や自分のしてきた事から逃げることは出来ないのだ。

逃亡犯が過去を語らない様に、語れなくなるのだ。
語る人もいるけど語れば捕まるから、そこまで考えることが出来れば過去を捨てるとは自分を完全に捨てるという事だ。

だから僕は今は出来ていない。しないとは言わない。今の自分が出来るとは悲しいけど言えないから言わない。それだけだ。

人に歴史ありですが、歴史を捨てるという事が、どれだけの事なのか。
それを考えれば、死ぬ気になれば、死ぬと思っているなら何でもやればいいのに。

そうか。

やればいいだけか。

・・

人間は理想を語る。

自分の事は棚に置いてだけじゃない。

うちには今は犬がいるだけど、日中は婆ちゃんの所にいる。
認知症の婆ちゃんの食事は僕が全部用意している。
でも、ボケた婆ちゃんは一日中、同じことを犬に話しかけて、一日に何十回も
「この子は何も食べないねえ」
と言っている。

確かに食べないけど、毎回、忘れて解からないだけだ。

これでもし婆ちゃんが犬が食べてはいけないものをあげて死んだとしても、本人はわからない、なぜなら認知症だから。

その婆ちゃんと犬の姿を見て、にこやかに見ている人たちは、綺麗ごとの部分だけを見てるだけだ。他人だからそれで良いのだ。
だから、実際に何か問題が起きても、それはそういうものなのだ。

人間の勝手で犬が死んでも、逆に、犬に対して何か良い事をしようとして、婆ちゃんが転んで死んでも、それは犬のせいでもない。
本人のせいだ。

人は上っ面の綺麗ごとや理想の矛盾の危険性を無視したがる。

相反する事を平然として生活をし、社会も同じように成り立っている。
僕はそう思っている。

・・

希死念慮ではないと思う。風が吹いただけだ。

僕は絶対に断言できる、言いたいことがある。

全員

絶対に

「何でこんな事が」

「何でうちがこんな目に」

「何でこんな事を」

「何で」
「何で」と絶対に言う。

僕は何度も前もって伝えている。

お前がやった事だろ。

お前らが蒔いた種だろ。

お前らがやった事だろ。

都合よく、話を作り替えるな。問題をすり替えるな。

僕だけの問題や僕だけを悪者にするな。

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