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欲も興味も薄れていく

12時、日曜の朝市は終わる時間。

僕は何か気になっているので、もうほとんど人が居なくなっている日曜市まで車で向かう。

これは気になっているから、行かないと自分の気が済まないのだ。

到着、人はほとんど居ない。
片付けをしている出店の人と、疎らな通行人がいるだけ。

僕の気になっている事は、大したことではない。

そういえば、前に食べたタコ焼き屋はあるのかな。
そういえば、10年前に僕を可愛がってくれた人たちはいるかな。
青空居酒屋。
日曜日の朝からやってる人たちの中に僕の知り合いは来ているだろうか。
あとは「何か面白そうな事はないかな」だけで動いている。

・・

その疎らな人の中、リュックを背負った僕より少し若く見える男性が僕の前を歩いていた。

旅人なのか、こういう服装が好きで日常的に来ている人なのか分からないけど。その人も撤収作業が終わりかけている会場を眺めている。

僕がそのまま歩いていると、軽ワゴンの後ろを開けて売り物を広げている商人のおばちゃんが、勢いよく荷物を落とした。
そして、それを拾い上げて、汗をぬぐい、また勢いよく片づけを始めた。

・・

日曜市は早朝から始まって、昼前には終わる。

昔からここ。
夏場は日除けも無い会場の中で、お爺さんやお婆さんが楽しく盛り上がっている。

僕の知り合いはいなかった。たこ焼き屋も珈琲屋さんも完売していた。

僕は思う。

この人たち、全員が、主人公なのだ。

僕の目の前を歩いているこの人も、同じ主人公なのだ。
この人はこの人の目線で、この世界では主人公なのだ。

露天のおばちゃんも、商人のお爺さんも、青空居酒屋で酒を飲んでいる人も、カラオケを歌って人も、走っている子供たちも。

全員が自分を中心とした世界でモノを考え、モノを言う。
それぞれが、自分という主人公を生きているのだ。

僕の鬱は回復している。僕はわかりやすい。
自分の中で音が鳴る。

先輩が僕がザゼンボーイズのライブがあるから、
「こんな状態で向井君に会えないですよね」
というと
「そんなん関係ないやろ、会う訳じゃあるまいし」
と言ってくる。

僕はずっと覚えている。

僕が大学生の時。初めて東京に出た時。
ルミナスオレンジを追いかけて。
アヒトイナザワのドラムが見たくて走った時。
チョモランマトマトが見たくて。
冷凍都市に初めて辿り着いた時。

僕が号泣している事を、なめおさん以外の先輩たちは。

僕から聞こえている声、僕から見えている先輩たちは、僕を馬鹿にしていたと僕は覚えている。

「そんな泣く事か?」
「のりすけはそういう所、変やからな」
「あいつの気持ち理解出来んわ」

そういって、それが馬鹿にしていたのか、ただ単純に笑い話にしていたのか、そんな事は今になっても分からないけれど、僕の目線からは悪くしか見えていない。覚えていない。

昨日の話に戻さない。

僕はいつも思う。

この人だけに限らない。

みんな、自分が辛いときは僕に連絡してくる。
それは昔から何一つ変わらない。
そして、自分が辛いときは僕に共感しているような事を言う。

みんなは自分が過去にしている自分の発言を覚えていない。

きっと僕もそうだと思う。
けれど、僕が言いたい事は、例えば、ここで指すと
「理解できない」
と笑っておきながら、自分が好きな事や自分が感動した時は
「感動するよな」
「やっぱり最高だな」
と、感情を僕に伝えてくる。

僕がそこで
「何言ってんすか」
「感動とか言いすぎでしょ、笑っちゃいますよ」

と、僕が言えば烈火のごとく怒るだろう。

俺は辛いんだよ
「お前も色々あんだな、辛いよな」
と、一緒にモノを語るな。

一緒にするな、ではない。
一緒にして語るな、だ。

わかってもらえたら幸い。

一緒にするなとは言っていない。
一緒にして、一緒の立ち位置に、こういう時だけ来るな。

言葉を強くすれば、
「自分が僕に連絡してくるときだけ、僕のよき理解者になるな」
と僕は言いたいのだろう。

・・

餓鬼が笑う餓鬼が笑うこの世の全てを何も知らず。

その続きは、人間なんてそんなものだ。

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