したがき 君子は成功する

みんな何考えてるんだろうね。

目の色変えてさ。顔色代えてさ。
同じような事をそれぞれ考えてるんだよ。

解ってるようで分からないんだよ。

でも一緒だよ。

自分を語るのに気持ち良くなる。
相手の事なんて、考えられていないのだよ。

・・

結局のところ、俺たちは欲にまた溺れて
我を忘れて、気が付いた時にまた思い出す。

・・

温泉で、心が折れかけていた所。

露天風呂にあるテレビで、漫才特番が流れていた。
悲惨なくらい僕は面白くも笑いもしなかった。

「これが平穏無事な世界か」

そう思いながら、生きる事の虚しさを実は感じてはいない。
哀しい気持ちから虚しいとは言ってしまうけど、何が悲しいのかと一つ一つ紐解いていけば、それこそ、感が手も意味がない事を考えているだけ。気持ちの問題と言われる事だと思う。

学べ。経験から乗り越えるのだ。

・・

満員の露天風呂。
僕の隣で、若者が仕事や考えている事について話をしていた。

盗み聞きをする気は無かった。
けど、時々聞こえてくる彼らの会話が僕には興味深かった。

・・

最初は夢や仕事の話をしているのかと思っていた。
断片的にしか聞いてはいない。

彼らは、起業の悩みを語り合っているのかなと僕は思っていた。
けれど、少し違っていた。

3人組の彼ら。
その中の一人の男の子の意見に僕は納得させられた。

僕は邪魔にならないタイミングを計って、失礼にならないように、タイミングを見計らって。

声をかけた。

僕は、そういう事をする時がある。

・・

「何か」は掴め。
気になる事があるなら、一生に一度の縁や機会を逃したくないから。

・・

話の流れは書かないが、彼の意見はこうだった。

・知識(見識)は、聞き手(受け取る側)が共感して、その意見に賛同されるとフォロワーになる。そうすると、その知識は「事実」になる。

・そういう考え方もあるよな、と思われると「解釈」で終わる。

自分を発信して売り込む為には、自分が発信する事に共感なり、賛同してもらえなければ、良好な関係性は築けない。顧客にはなってくれない。

解釈として受け取られると、それでは顧客にはなってくれない。

その次に

・成功のやり方や例は無数にあるけど、失敗する例は決まっている。
最初から失敗するケースを排除していけば、成功しか残らない。

確かにそうだなと思った。
その言葉を聞いた瞬間、僕は彼らに声をかけたくなった。

よくその状況で見知らぬ人に声をかけるなと自分でも思うけど、かなり勇気が必要で、迷いに迷った結果の行動だから、これで良かったと思っている。

別に、これから縁が無くても、その意見は僕の中に残った。

これも僕らしい。

気をつけて、相手をよく見ないと。
どんな人間なのか分からないと危険だと今は分かっているから、大丈夫。

たぶん、今は必死で考えて忘れない様にしているから大丈夫よ。

・・

ここからは先は、過去の日記の下書きを纏める。

・・

人に愛されたいけど、人も支配したい。

人からも、社会からも、自分が正しいと評価されて、自分が言う通りにさせたい。

金も稼ぎたいし、評価もされたい。
調子にも乗りたいし、カッコつけたい。

自分が好きな理想の自分像になりたい。当たり前の事を言っているようで、それには大きな問題、致命的な矛盾がある事。
そこに気が付かないまま、人に生き方を語る。それが大間違いなのだ。

優等生として評価されたい。粋がりたい。
地位や名声も欲しい。

けれど、人から攻撃はされたくない。

攻撃されたくないから攻撃する。
攻撃されたくないから、相手を見て、自分より下と思う相手を選ぶ。

自分を守りたい。自分は誰からも否定されたくない。されるのが怖い。
けど、自分は攻撃したい。

気持ち良くなりたい。
自分は都合よく守られて、立ち回り、評価もされて、人の上に立ちたい。
称賛もされたい。嫌いな人は排除したい。

上に立って人を使いたい。
人を使って気持ち良くなりたい。

けど、自分を利用されたくない。

今更、他人が評価されるのは別に気にしないけど。
やっぱり気に入らない者は気に入らない。だって人間だもの。

だから、言える相手に、他人の悪口を言いたい。
言える相手には言わせたい。

そして、自分を相対的に評価させたい。そう思わせたい。
想われたい。
そして、嫌いなあの人の評価を下げたい。

これが僕の親。

自分の理想像を全部押し付けて、言い聞かせる教育しか出来ない人間。

・・

僕は少し前、美容室のアシスタントの人の話を一番に思い出した。

自分はしたい事や好きな事を仕事にした、だから、自分の子供には安定を勧める。公務員を薦めるらしい。

本当にその得手勝手、糞勝手な人間の理屈。

自分の夢は自分の店がしたい。
でも自分の店は美容室ではない、何でもいい。
とにかく自分の店がしたいだけ。
けど、子供には公務員になれってまず教えている。

こういう人間が僕は大嫌いだ。

・・

お金もいっぱい稼いで、人からも称賛されながら、誰からも非難もされずに、自分の言うとおりになる世界線を理想としている。

誰しもあると思う。

漫画の主人公のような自分像。
自分の好きな人たちを、全部、合わせたような自分の姿。

自分の夢や理想は、全部叶えられると思い込んでいる。

けれど、それは少し誤解や間違いがあると思う。

実現するためには、実現できなかった自分とは違う道を、違う価値観や考え方で模索する必要がある。
同じ人間が同じ考え方や価値観、常識、所謂「普通は」と感がてしまう癖から一度見直し、反省し、改善していく事が出来ているなら、そこまで間違ってはいないと僕は思う。

だから可能性や見識を広げる為には、自分がまず変わるしかない。
歳を取って、年を取ったから変わったのではない。
経験や失敗、絶望。
九死に一生を得るような修羅場や、否定をされ、粉々に自分の今までの人生や人格すらも打ち砕かれて、なお、更に、いざ逃げられない状況からどう現実に立ち向かうのか考える所から人間の成長や変化は始まると僕は言っている。言いたい。

その必要性を理解できない人は自分の姿が見えていない事だけが気が付いていない。なぜなら、その人自身が、変化する為の成長過程を実体験で実感出来ていないから。

その人の、そのやり方で通用するのなら。
その人が夢や理想を叶えているだろう。成っているだろう。

「自分が出来なかった後悔、子供には同じ失敗はさせたくない」

言葉だけ聞けば正しい事のようだが、実際はどうだろうか。

自分が同じ失敗をしたから、させたくないからと言うけれど。

今度その次には、自分が思う正解や理想論を、自分は出来ない事、したことが無い事。未経験の事。それを、さも知っているかのように、経験者のように、成功者の様に語って、押し付けてはいないだろうか。

「反省の経験から、自分が正しく教えている」

その考えが間違いなのだと言いたい。
その言い方や考えている事が、僕は嫌いなのだと思う。

自分が出来ていない時点で、それでは出来ない事を理解出来ていない。

自分が出来なかったのは、自分がその時は解っていなかったから。
そう断言するのは間違いだと思う。

自分が出来なかった事を、自分の遺伝子の子供に理解しろと。

自分の言う事を理解して、自分の子にその通りにしなさいと言うのは、過信や盲信だと思う。

自分の価値観、考え方、やり方では出来ない事、出来なかった事。
自分の考え方や知識は正しいと思い込んでいる事を分かっていない。

自分は間違えない。間違ってはいない。
(自分は考え方、やり方は間違えない。間違っていない。)
という時点で、観えていない事が大き過ぎると僕は思うようになった。

少しづつだけれど、そう考えれるように、あれから生きている。
僕も、この負の連鎖も、「死」「命」をもって断ち切るのではなく。
変えたい。

・・
・・

人が想像が出来ないのは無知だからだ。経験が無いからだ。

わかった。

これは僕が、どうしても話が合わない人たち、と同じだ。

知りもしない事を語りたがる。
経験もしていない事を、憶測や妄想みたいなレベルで語る。

漫画かアニメや映画や文字で得た情報を、さも事実の様に勝手に思い込む。そして知ったか(知ったかぶり)で語る。

気持ち悪いあいつらと一緒だ。

だから僕は、嫌いなのだ。
わかった。
ここと、そこは同じだ。

・・
・・

「親殺し」の話の続き。

婆ちゃんがルルを可愛がる時、強引な形で抱える。

もし、それでルルの関節が外れた場合。
それでも、婆ちゃんは何も責任や負うものはない。

笑い話にはならないけど、認知症だから忘れるだろう。

僕が何かの間違いで僕自身が転んで、そこに偶然ルルがいたら。
ルルが大怪我や、万が一死んでしまったら。

それは、それだけしかない。

人間は、現実なんて、実はそんなものだと僕は思う。
背景なんて、本当に分からない。解り合えないものなのかも知れない。

・・

人間は「責任を取る」「何かを負う」と言う。
けれど、何度も言うけど、失った命は戻ってこない。

人間は自分が正しいと思い込んだまま。
自分のしている事に一切気が付く事はない。

・・

ある人が、息子が小さい頃、自分の間違いで子供に大火傷を負わせてしまったと言っていた。

物凄くその人は後悔していたけれど、
「でも、その時は解らなかったのよ」
「今と違って全然情報も無かったから」
と開き直りとは違うが、反論を持っていた。

そういう事は必ずある。

けれど人間、自分がしている事が正しいのか間違っているのか、気付いて、考える。そして学ぶなり、変る事が人間の力だと僕は思う。

更新する力だ。

それを誰からも指摘もされず、そのままで変わらずにいる事。
それはおそらく「いざ」という事を経験をせずにいる事と同じと思う。

自分は何も間違っていない。

「だって」

と言い、一生、解る事も無く死んでいくのが人間だと思う。

ただ、間違った事を言い続ける事の危険性(リスク)を知った方が良い。
負の連鎖は、感情は、怒りや恨みを、舐めない方が良いと僕は思う。

理解したほうがいい。

「私は何も悪くない」
「私は間違ってないもん」

それで逃げ切ろうとするのでは、成長が無い。

そういう人間は同じようにまた、

「ああしなさい」「こうしなさい」
「あれが良いの」「これが正しいの」

と言い続けることになる。
それが異常であり、致命的な過ちなのだ。

・・

人は大人になれば、黙るという。

黙秘の選択肢が出てくる。僕はそう思っている。

それは僕の経験談でしかないから、どこまでいっても一例だけど。

・・

僕は言わない(黙る)よりも、正しく言葉に出来ていない。

とりあえず思った事を、迷いもなく口にする。
自分が正しいと思い行動してしまう。それでは子供と同じだ。

視野(視点)や知識(世界)が広がれば広がるほど、自分の意見をどこまで正当化させ押し通せるのかを(大なり小なり)考えられるようになる。

考えられるようになる、見えてくるようになる。
それが大人になるという事だと僕は思う。

それが出来ないまま子供を産み、育てるという事。
そこで歪な、致命的な過ちをしていると思う。

「未熟な人間が未熟なまま未熟な出会いや人間関係のまま未熟な相手と未熟な結婚をし、未熟なセックスで未熟なもの同士で未熟な育児をする。だから綺麗ごとじゃ済まされないって事だ」と僕は言い続ける。

当然。これにも自戒が入る。

・・

僕は主語がよく無くなる。
言葉、言語能力が足りない。

あと、短い言葉を使う。

日記ではダラダラと長ったらしい文章で、解りづらい日記をこうして書いてる。けど、本来の僕は、単語、単語、単語、で伝えようとする。


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